小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

異色の明治人 「川上善兵衛」 翁

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異色の明治人 「川上善兵衛」 翁ー65

上越市の日本の父の二人目は、日本のワインの父で,異色の明治人 川上善兵衛 翁

を描きました。

左側に、社屋関連の様子を、真ん中に、翁の銅像を、銅像の両側には、

たわわに実った葡萄を、そして右側には岩の原葡萄園の案内標識を描いています。

背景には、手前より、葡萄畑を、、そして、頚城平(高田平野)を、地平線には

直江津海岸の海を描いてあります。

 

1868年4月2日 大地主の川上家の長男として頚城郡北方村(上越市北方)に生まれ

       ました。

       代々の当主は、、「川上善兵衛」を襲名する決まりがあり、七才で

       父の死により、家督を継ぎ,六代目 川上善兵衛を襲名しました。  

                         幼い頃から厳格な教育を受け漢詩を学び明治の時代を敏感に感じながら

       成長しました。

       幼いころより冷害などで思うように収穫ができない稲作の苦しみをみて

       きました。

1882年(15才)上京して慶應義塾に入塾

       勝海舟先生の元に、たびたび訪問し激励を受け、葡萄酒を

       振るまわれて、葡萄栽培のヒントを得ました。

 

1887年    山梨の土屋竜憲氏のもとで葡萄栽培を学びました。

1890年    北方の丘陵地、岩の原を開こんして、葡萄を植えました。

1893年    収穫した葡萄でワインの製造をしました。

1894年7月  アメリカのニューヨーク州フレンドニアから船で苗木20種類百株を

       輸入しました。

       苦難の試行錯誤のすえにアメリカ種の葡萄を母としてヨーロッパ種

       を父とした品種交配の研究をしました。

1897年(30才)国内醸造の本格ワインが生まれ「菊水」の銘柄で売り出されました。

       貯藏所は、雪国の地域性や雪を生かした石積み貯藏所を作りました。

1902年    皇太子殿下(のちの大正天皇)御一行の岩の原葡萄園へ行啓

1927年    マスカット ベーリーA 誕生

1934年    経営的な負担のため、(寿屋)現サントリー株式会社の資本参加

       を得て、(株)岩の原葡萄園を設立して、専務となり、事業継続と

       なりました。

                         

1944年    76才で生涯を全うされました。

 

翁は「日本のワインの父」 「日本のぶどうの父」として有名です。

 

成し遂げられたこと

       〇一万株以上の葡萄の新品種栽培をし、ほぼ40種の有望品種を

        開発しました。

       〇マスカット ベーリーAにして、我が国のワイン醸造の代表

        品種に確立しました。

       〇ワインを今日の水準にまで引き上げた最大の功績者です。

 

最後に、川上善兵衛 翁は、私財を、なげうって、葡萄園を定着されました。

    まさに、ワインに一生を、ささげられた気骨ある、異色の明治人で

    あられたと思います。

    その一途さに、尊敬し、同郷の人として誇りに思い、大変な

    偉人で、いらっしゃると思いました。

    葡萄栽培の根底にあるのは、幼いころの、冷害などで不作になった

    米作りをみての、皆んなのために何とかしたいとの、強い気持ちが

    働いていたのではなかったのではとも、思いました。

    翁は、多難な葡萄栽培の傍ら,ときには園内の見晴台に立ち、遠く日本海 

    に沈む夕日などをみて、癒されたり、ときには、発奪したり、されていた

    のでは、なかったでしょうか。

 

  私事ですが、令和2年4月23日に取材に行ってきました。

    寺町通りに入ったら、八分咲きの八重桜が風に吹かれて、揺れていて、

    その先には、赤、ピンク、黄色のチューリップが綺麗に咲いていました。

    本町、司令部通り、そして国道405を進むと、岩の原葡萄園の大きな樽の

    案内標識がむかえてくれました。

    翁の銅像、社屋、そして、葡萄畑をみてきました。

    あいにく、資料館は、コロナの影響で臨時休館でした。

    聞くところによりますと、かっては、川上家の田地づたいに直江津の浜

    まで行けたとか?

 

    作品については、取材した時から、大体の構想は考えていましたが、

    それぞれの大きさと配分を考慮しました。

    社屋関連を先に描き、つぎに翁の銅像を、そしてわきに、たわわなブドウを

    右には、葡萄園の案内標識を、そして、空、海、頚城平野を最後にぶどう畑

    の手順で描きました。葡萄は、某スーパーで二種類仕入れ、参考に

    しました。

    海のラインと広さ、そして、翁の銅像が難しかったです。

              なんとか、銅像の、一コテ 々 の趣を表現したくて幾度も筆を

    いれ、念入りに描きました。