小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

三月 晦日(みそか)の つぶやき

このつぶやきは、令和3年3月31日AM9時より始めました。

今月 ブログは466アクセスあり全体で11,628アクセスを達成しました。

皆様いつも 々 誠にありがとうございます。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

今朝方、いいことがありました。

5チャンネルのグットモーニングで林修さんの「ことば検定」で正解し

昨日まで115Pだったのがボーナスポイントが入り125P達成しました。

応募方法が、わかりませんので、しませんがこの度初めて120P達成です。

 

水曜日の今日は燃えるごみと生ごみの日でして外に出てみたら近所で

ソメイヨシノの桜が満開で、またご近所では木蓮でしょうかピンクのうすめで

花芯が濃い紫の花が青空に映えて、とても美しく、その横では椿の赤い花も

彩りよく咲いていました。

あの大雪をくぐり抜け、見事な花を咲かせる木々に感嘆しました。

 

 

大河の一滴』   五木寛之 書

3月17日知人のMさんより、この本をお借りしてきました。

抜粋しますと

 

人生は苦しみの連続であると思うことで「心の萎え」より

救われるのでは。

 

昔は、人生とは重い荷物を背負い遠い道のりを歩いてゆくようなものだ

といわれていましたそうです。

 

人間は「泣きながら生まれてきた」

弱肉強食の修羅場の巷へ自分の意志ではなく、いやおうなしにふきだされ

そのことが恐ろしくて不安でならない孤独な人間の叫び声ともいわれています。

そういう人間は「笑いながら死ぬ」ことはむづかしいのでは。

 

人間は大河の一滴にたとえられるかもしれません。

草の葉の上の雨水の一滴の露が森の湿った地面に落ちて吸い込まれ、そして、

地下の水源は地上に出て小さな流れを作る、やがて渓流は川となり平野を抜けて

大河に合流する、そのながれに身を預けて海へと注ぐ。

やがて太陽の光に熱せられた海水は蒸発して空の雲となり再び雨水となって

地上に注ぐ。

 

著者いわく、上記のように、人間の生命は海から始まって、海に還る

その繰り返しでは、ないのではないかと思うこともできるのでは。

 

私自身、究極のことを考えたときに、非常に考えが軽く素直になり重い石が

どこかへ行ったみたいに楽になりました。

 

「近所の小さな女の子」

つい先日、近所の今年、小学校一年生になる女の子から、小さな紙に書かれた

私達二人の描いた絵をもらいました。

それは黒サインペンで描れていて大きな顔と下に小さな体と手まで服には

模様まで描かれていて、お母さんに聞いて私達の名前まで書いてくれました。

妻によりますと、ささっと、見ている間に仕上がったのだそうです。

あまりにも素晴らしい作品なので、天才ではないかと深く感動しました。

頼んだわけではないのに、感激して、早速、額に入れて飾らしてもらいました。

同じような経験をしたであろう親御さんなどの、うれしい気持ちが、

わかったように思いました。

食台テーブルの上の見えるところに飾って、いつも眺め、妻と微笑んでいます。

感謝です。ありがとうね。

大事にさせてもらいます。

 

『第93回春の選抜高校野球大会

令和3年3月19日 甲子園球場にて開幕されました。

開会式はコロナの関係でリモートを使い最小限の人数で入場行進もリモートで

おかげで普段見られない自然の形で母校のグランドでの入場行進であったり

私はかえって、素晴らしいと思いました。

この大会に関らわられた皆さまのご苦労をねぎらいたいと思いました。

 

○ 国旗掲揚

  女子高校生による独唱で君が代が非常に澄んだ声での素晴らしい歌声でした。

  思わず涙がでてきました。

  本日二度目の 涙です。「おちよやん」をみてのが一回目でした。

  そして、整列して聞いている丸刈りで、きらきらした目をみたら、うれしく

  なり、これから高校野球大会が始まるのだと実感しました。

○ 大会会長の挨拶

  二年ぶりの大会の喜び

  コロナ渦での医療関係者へのねぎらい

○ 文部科学大臣の挨拶

  プレーと共に、この大会で得た経験を学生生活に活かして

○ 日本高校野球連盟会長の挨拶

  あらゆる人々への感謝の気持ち忘れずに

  この度の大会関係者へのねぎらい

○ 選手宣誓 (仙台育英高校の島貫丞主将 福島県出身)

  今日ここに高校球児のあこがれである甲子園が戻ってきました。

  この三月で東日本大震災より10年となりました。

  日本、世界に多くの協力や支援を頂き希望の未来に復興が進んでいることに

  感謝致しています。

  感動、喜びを分かち合う仲間と共に甲子園で野球できる喜びに感動しています。

  二年分の甲子園、一投一打に多くの思い出を込めて

  プレーすることを誓います。

 

「こころ旅」 NHKでの番組

最初は知人のMさんより面白いよと、この番組のことを聞きました。

次の日の朝のBSでの連続テレビ小説の後7時45分より早速にみました。

最初は、何の変哲もなく、かったるい番組だなあと、みていましたが

そのうちに、ゆったりとした気持ちになり、心地よくなってきました。

それ以来です。

かかさずに見ています。

火野正平さんの、大俳優でありながら、飾らぬ、自然体の言動がたまらない

のだと思います。

スタッフの皆様との、そして出会いの方々との会話、時には、しゃれていたり

いつもいつも、あたたかさを感じさせて頂いて、ほのぼのとしてきて

思わず微笑んで

先日の番組で、ユーカリの木の場面で伊東ゆかりさんの「あなたが、かんだ小指が」

と口づさまれ、これには笑っちゃいました。

楽しい気分になり心の支えにもなっています。

そして、私は、正平さんと、同い年なのです

 

 3月29日の放送でコロナ渦の影響で二週間、今迄のビデオを放映して4月12日

より本放送が始まるとのことです。

この度、新潟県にも来られるのだそうで、手紙の募集を募っていました。

何年か前も、こられ直江津海岸や脇野田駅の映像が残っています。

 

 正平さん、スタッフの皆様、お体に気を付けられて、ますますの

ご活躍を祈念致しております。

 

いつも有難うございます。

毎回楽しみにしています。

             

 

「大雪のあとで」

我が共有道路の道幅の真ん中に消雪のためサニーホースが置いてあった場所で

金気たっぷりの帯状に茶黄色いサニーホースの置いてあった跡が、薄まってきて、

冬の間、何があったのだかと、むなしいやら、切なかったことを思い出し

複雑な気持ちになりました。

 

3月31日 庭で植木の水やりをしていたら、名前は、わからないですが黄色い

モンシロチョウみたいのが、飛んでいるのをみつけました。

雪消えしたばっかりなのに、いつ、さなぎから喋に、感心し、自然界の

たくましさをも思い知らされました。

 

【皮脂欠乏症】

ここのところ、二、三年前から寒くなると足のすねの両側に湿疹ができ、かゆく

なるので、市販の軟膏をつけてしのいでいました。

今年に入り、両手、肩、背中、足などに湿疹ができ、かゆくてたまらなく皮膚科の

お医者さんに行きましたら皮脂欠乏症とのことで、注射を打ってもらい、飲み薬と

軟膏を、いただいてきました。

一ヶ月ぐらい、処方して、現在は、かゆみも止まり、湿疹も、少しあとが残っている

程度までになりました。

他の某お医者さん、いわく原因は、はっきりとはわかっていないとのことです。

 

避けなくてはならないことが

 アルコールはいけない

 40度以上の熱いお湯やシャワーはいけない

 など血流をよくすることが、いけないのでしょうかね。

 お酒は、二十日以上飲みませんでしたが、お風呂には、まいりました。

 寒い時期なので、ぬるい湯につかり風邪でも引いたら大変なので

 気を使いながらの入浴でした。

 

今現在、ほっとしているところです。

 

「土曜日の朝の楽しみ」

朝食の時に、録画した「サブちゃんと歌仲間」をみるのが楽しみです。

北島三郎さんの、ざかざかとした、肩ひじの張らない雰囲気の中で大勢の

歌い手さんの皆さまの会話や歌声を聴いたり、また北島三郎さんの

人生訓に感心したり、大歌手でおられるのに、話し言葉に共通点をみいだしたり

人間の本来の姿を見失わない姿勢が、本当に好きです。

北島三郎さんの言葉に、どれだけの歌い手さんや視聴者の皆様が励まされているか

どうか、末永く番組を続けて頂きたいと願っています。

 

その後は「サワコの朝」も楽しみにみています。

阿川佐和子さんの、軽快なトークとゲストとのやり取り、非常に頭の良さを

感じます。

 

『大相撲春場所

令和3年3月14日 両国国技館での15日間の楽しみが始まりました。

今場所、横綱白鵬関が出場し鶴竜関は欠場です。我が郷土の新潟県北区出身で

時津風部屋の前頭15枚目の豊山関の活躍を期待しているところです。

 

初日に豊山関は白星でした。

白鵬関も久しぶりでの白星で、なんと229日ぶりなのだそうです。

ですが、惜しくも途中休場となりました。

 

豊山関が惜しくも途中休場になりました。

 

横綱鶴竜関が惜しくも引退されました。

ほっとされたとの、お話でした。大変にご苦労様でした。

今後は日本国籍を取得されて、親方になり、お相撲さんの育成に

努めたいとのことでした。

皆さまの、お話によりますと、非常に温厚で、相撲の教え方も上手とのことで、

今後ますます相撲協会での、ご活躍を願っています。

5月16日  今日は 鶴竜親方のテレビ初解説が行われていました。

非常に悳で聞きやすい、わかりやすい解説でした。

そして、元付け人の人たちをはじめ、すごく優しい親方でしたと絶賛でした。

それについては親方の教えで「土俵に上がったら鬼になれ、降りたら優しくなれ」

との指導のたまものとのことを、言われていました。

本当に良き指導者に、なられると思いました。

そして、今後はお相撲さんの育成などで、協会への恩返しを

させていただきたいとも、お話をされていました。

 

 

 

千秋楽

   高安関と碧山関との取り組みで碧山関が勝ち

   貴景勝関と照ノ富士関で照ノ富士関が勝ち

   

   照ノ富士関が優勝されました。

   

   正代関と朝乃山関で朝乃山関が勝ち

 

   結果  高安関 10勝5敗   (小結)

       碧山関 11勝4敗   (前頭12)

       貴景勝関 10勝5敗  (大関)

       照ノ富士関 12勝3敗(関脇)

       正代関7勝8敗     (大関)

       朝乃山関 10勝5敗   (大関)

   

   照ノ富士関が三大関を倒して12勝3敗で見事に三回目の

   優勝に輝かれました。

   平幕以下で大関に復帰したのは44年ぶりなのだそうです。

   照ノ富士関は序二段からの復帰で奇跡的なのだそうです。

   師匠の伊勢ケ浜親方は立派に勝ってくれたとたたえ、途中で

   膝のケアをして臨んだといわれていました。

   優勝インタビューでは「ほっとしています」

             「皆さまの応援のお陰で元の位置に戻ることが

              できました。これからも応援よろしくおねがいします」

             「これからも一日 々 集中していい相撲を取ることを

              心掛けていきます。」

             「正直、並びかけたときに優勝を意識しました。」

   あの、やんちゃ風だった大関に上がったころと比べ、人間的にも相撲道も

   変わられたと思います。本当に地獄まで見たであろう苦しみも乗り越え

   人の情けとかあたたかさをも味わって来られ, そして、

   血と涙のなかで人間の本質をも鍛錬し学ばれてこられたのでしょう。

   これからも、真に強い人間をこころみて、いただきたいと願っています。

   晴れ晴れとした気持ちでインタビューを聞かせて頂きました。

   

   お酒も断ち、奥さんの手料理などで回復されたのでしょうか。

   奥様曰く「あなたが稼げなくなっても私が支えます」と励まされておられた

   のだそうです。なんという、いじらしい、けなげな、心持ちなのでしょうか。

          現在では、そういう心根は死語に近いと思いますが、奮い立った最も大きな

   要因の一つになったのではないかと、しみじみと思いました。

   大関昇進は、ゆるぎないと思います。

   この度は重ねて大変におめでとうございました。

   今度はぜひとも横綱を目指していただきたいと思います。

   

 

   高安関は精一杯頑張られたと思いますので、この悔しさをばねにして

   更に高みを目指していただきたいと思います。

   

   正代関は来場所、大関のカド番になりましたが、ぜひとも乗り越えて

   いただきたいと思います。

 

   豊山関も怪我を克服されて、高見を目指していただきたいと思います。

 

  そして、三賞

         敢闘賞 碧山関 明生関

         技能賞 若貴景関         でした。

         殊勲賞 照ノ富士

     皆さま大変に、おめでとうございました。

 

新日本プロレス中継  テレビ BS  5チャンネル」

金曜日の夜PM8より9時楽しみでいつも見ています。

 

令和3年3月12日 棚橋 対 鷹木

          3月19日 高橋 対 SHO

 

とにかく、半端ない、どの試合もです。

いくら体を鍛えているとはいえ死に物狂いで、いつも死と、隣りあわせ

みたいで、その迫力に恐怖すら覚え大興奮しています。

昔は、正義組と悪党組と差別してみていましたが、いまの、この団体のは

どちらも、すばらしい選手ばかりで大変に、みごたえがあります。

素人の考えで恐縮なのですが

試合を見ていて勝者と負者の違いは、どちらが勝ちたいかという執念の強弱

ではないかと思うのですが。

その境地に、達しるために、血のにじむような練習をされ、精神も鍛えられ

神仏をも信仰されたりとか、私たちには、みえない膨大な努力の積み重ねを

されておられるのでしようね。

尊敬し敬意をはらわせていただきたいと思います。

 

 

どの世界でも人様より、お金をいただくということは、大変に厳しいことと

思いますが、それにしても死に物狂いですので通常の域を超えていて

大変な世界だと思っています。

 

日本の政治も、少しでも、そのような姿勢が見られれば明るい未来の展望が

開けると思うのですが。

 

また、上層部の方々の考え方が、どの選手にも、しみとおっているのでしょう。

主催者、選手共、素晴らしい組織だと感心しているところです。

そして、これが、本当の金の稼げる金字塔を持つプロ集団だと深く思っています。

今後とも、ご活躍を祈念しています。

 

金曜日の夜を、いつも 々 楽しみにしています。

 

『私のみる朝方の夢』

60歳で定年退職して、それ以来職業に、たづさわっていません。

私は建築工事の現場監督を42年間勤めてきました。

木造住宅、鉄骨の建屋、鉄筋コンクリートの建物などの工事監理、設計、見積もり

接客 等々何でもやってきました。

 

私は、頼んでもなくサラリーもいただいていないのに、いつも夢をみるのです。

それも仕事の夢ばかりなのです。

在職中は、一週間に、一度ぐらいでしたが、退職後は毎日のように見るのです。

在職中は、目が覚めて、正夢でなくて、良かったと、いつも胸を

なで下ろしていました。

 

夢の内容は、宝くじが当たったとか、人様に褒められたとか歯の浮くような

愉しい、そういう夢ではなく、工期が間に合わないとか、仕事が収まらないとか

施主さんよりお𠮟りを受けたとか予算が足りなくなったとか仕事の夢ばかりです。

このようにマイナスの切ない夢なのです。

そして、ある時には汗をかいて目が覚めたり

救われるのは正夢でないことです。

就寝まえは、いつも楽しいことを考えながら寝るのですが。

心身ともに鍛え方が足りないのでしようかね。

それでも考えようですが、これは、まだ究極の夢ではないので耐えられる

ことなのかもしれませんね。

 

それにしても貧乏性で損な性分ですね。

妻からは、まだ仕事をしたりないのではと𠮟咤されています。

 

謙虚に生きなさいという天の声なのかもしれないと今では前向きに

考えるようにしています。

 

 

皆様は、楽しい夢の中で良い睡眠をとられているのでしようね。

 

春分の日

3月20日 今日は春分の日です。

お彼岸とも言いますね。

正確には、春彼岸の中日なのだそうです。

のの様(仏壇)の地袋よりローソク、お線香、マッチをもち、お水も

調達して、お墓参りに向かいました。

スーパーで、お花と、粒あんのおはぎを求めて、寺町の、お墓へ

お墓の肩より、やさしく水をかけ、花たてに水を入れ花を飾り立てました。

今日は風が強くローソク、お線香への点火はあきらめ、そのままローソク

お線香を立てて、お参りして来ました。

手を合わせ、南無阿弥陀 々   きましたよ と。

一時ですが、安らいだ気持ちになるものですね。

戻ってから、ののさん に報告をして、おはぎをお供えして、神さんにも

そして、お昼に、おいしくいただきました。

 

昔から、暑さ寒さも彼岸まで、と言いますが、的を得ていますね。

ひとくぐりということでしょうね。

 

『第96回高田城址公園観桜会』      令和3年4月

今日は4月2日 金曜日 です。

PM5時45分ころに妻と一緒に、お花見に出かけました。

報道などで昨日、満開と聞いて、散らないうちにと思ったのです。

実は3月29日にも様子みで、車で通ったのですが、日差しの強そうなところでは

5分咲きぐらいで、あとは2,3分咲きでした。

ソメイヨシノの桜があんなにも、茉莉状に花びらが重なり合って咲いているのを

みるのは初めてのような気がします。

風も無く、寒くもなくて最高のコンデションのお花見でした。

そして、満開の、すばらしい夜桜でした。

少し薄明るさも残っていて、昼間の桜の雰囲気も同時に味わえました。

今日来て本当に良かったです。

さすが、見ごたえのある日本三大の夜桜でした。

今年は大雪で桜の木々も大きな被害があったと聞いていましたが桜守りの方々

のお陰で、遜色なく、見れることができて、ありがたかったです。

桜も、立派に咲いてくれました。重ねて、ありがとうございましたです。

そして数少ない露店のお店もあり、人様でにぎわっていました。

部分的にコーンのバリケードで一方通行になっていたり、係の方が飲食禁止などの

プラカードで呼びかけていたり、コロナ渦の緊張感もありました。

三重櫓もライトアップされ、あちこちにぼんぼりの灯りが築山の木々にまで付けられ

ていて、それが内堀のみなもに三重櫓と共に映り込み、とても幻想的で、素晴らしい

景観でした。

カメラ片手に、ひとつは(元)厚生会館方面から三重櫓に向かい、もうひとつは

司令部通り方面から三重櫓に向かいと撮影スポットが大きく二箇所に絞られて

いるようで、たくさんの方々が、写真撮影を楽しんでおられました。

私も,(元)厚生会館寄りより、写真に収めてきました。

絵画を描く意欲が、ふつふつと、わいて来ました。

私の思い出シリーズのブログに、載せたいと思っています。

これで桜を描くのは、四季を通して7,8枚になりますでしょうか。

高田城址公園の春のお花見の満開の昼桜 妙高山の見える夜桜 ライトアップ

された夜桜 蓮祭り時の桜の木 紅葉時の桜の木 真冬の桜の木

林泉寺わきの八重桜の花見 等々です。

 

今日は、本当に、記念になるような桜を満喫させていただきました。

 

そして、山麓線のお店により、おいしいラーメン(うまかめん)を食べて

帰りました。

今夜は、美しい夜桜の夢でも、みたいものです。

 

余談ですが、花見団子(みたらし団子)は妻が昨日、知り合いのお店より

もとめてきたのを、その日の夕飯にいただきました。

おいしかったです。

 

妙高山跳馬

妙高山の外輪山の神奈山に例年4月中旬ごろに、前足を跳ね上げた、躍動的な姿が

馬のように見えます。

跳馬とは、この事例のことです。

 

昔は、牛形とか農牛といわれて、農耕の目安とされていたそうです。

 

4月4日の上越よみうり新聞で写真入りで、跳馬がのっていました。

今年は例年より早く表れ、ちょうど桜とのコラボが楽しめますと。

最高の春の風物詩になりましたね。

 

現代では、春の風物詩 橋、施設、お菓子の名称になっていたり

えちごトキめき鉄道の路線名として親しまれています。

 

『 4月の小糠雨(こぬかあめ) 』

こぬかあめとは、雨滴が霧のように細かい雨のことを言うのだそうです。

 

私が高校を卒業し建設会社に就職したのは50年以上前の3月の終わりごろでした。

会社は、北池袋に本社があり、会社の、すぐ隣に社員寮があり、

まずは一週間ぐらいの社員教育が行われ、最初の現場は松戸の近くでした。

松戸より新京成線で五香の次の元山という駅で降りて、すぐ近くの

ところでした。

現場は、確か防衛庁の特別借受宿舎だったと思います。

鉄筋コンクリート造の四階建てで二十所帯ぐらいの宿舎でした。

現場事務所はプレハブの二階建てで、一階は事務所で二階が台所兼食堂と

宿舎のつくりでした。

現場主任と補助作業される方と私とでした。

そして、近所のお住まいのかたに、まかないをお願いしていました。

皆さん、いい方ばかりで、厳しいながらも楽しい毎日でした。

人さんより一日も早く仕事を覚え、早くたくさんの給料をいただいて

親元へと思って、頑張っていました。

仕事のことばかりですが、工事のやり方、道具、作業工程、使用機械、段取り

作業人数等々、またその時に感じたことなどを毎日書き留めていました。

数年後に独り立ちした時に、大変に参考になり、しばらく宝物のように

持ち歩いていたことを懐かしく思い出しています。

 

そして、当時の初任給は確か21,000円でして、その中から親へ現金書留封筒で

3,000円を毎月、仕送りをしていました。

この封筒は、何重にも、なっていて、のりのつけるところが、たくさんあり、そして

印鑑も、たくさん押すところがあったなあと、思い出しています。

そして、食費として会社に、月に6000円でしたか。

現場主任は、感心していたようですが、以前から兄がやってくれていましたので

私は当たり前と思っていました。

現場主任のkさんには、大変に、お世話になりました。

設計図書のみかた、施工図の書き方、人間の采配のやり方 、社会のこと人生のこと

等々、数えきれないぐらいの、教えをいただきまして感謝しきれないほどに

お世話になりました。

それからの長い現場生活の中で、どれだけ役に立ったかはかりしれません。

仕事に関しての考え方とか姿勢とか、人さんとの付き合い方とか社会生活とか

本当にありがとうございました。

 

 

その4月の月は、こぬか雨みたいな柔らかい雨の日が、大変に多くカッパを

着て仕事をしたことを、よく覚えています。

当時、雨が降ると、何か切ないような、センチメンタルな気持ちになり故郷の高田を

思い出したりもしたものでした。

 

そして、当時は、コーラが流行っていて一服の時(休憩時間)に作業されている方々は皆さん飲んでいました。

豪快な方は、自分の歯を栓抜き代わりにして栓を抜いていましたね。

当時のコーラは、ビンしかありませんでしたので。

 

遠い昔の話でした。

 

私は社会へ出て最初に良い方と巡り会えて、大変に幸せでした。

今でもご恩に思い感謝して、忘れていません。

本当に、ありがとうございました。

 

現場作業をしながら、20代で二級建築士を、そして30歳で一級建築士を取得

40代で一級施工管理技士を取得しました。

そのほか、積算士とか、現場作業では足場組立とか玉掛とか、いろいろな

資格がありましたね。

 

光陰矢のごとしですね。

 

そういえば当時、興味ある言葉がありましたね。

「お天気西西」 いい意味ではないと思いますが、おひさまが西へ傾けば

        一日の作業が終わると、言う意味です。

「こまわり」  一日の仕事量を決めて、それをクリヤーすれば早い時間でも

        仕事を終了でき賃金をいただけるという、意味です。

「けつをわる」 本来の意味と違うみたいですが、途中で仕事を投げ出すこと。

今は、使われなくなったと思いますが、懐かしい言葉でしたね。

ユーモアもあり、そして活気もあり、良い時代でした。

 

令和3年4月4日 PM2時15分です。 あの日のような、こぬか雨が今

優し気に、しとしとと降っています。

今日このブログを作っているときに、また偶然というか奇遇ですね。

テレパシーが、通じたのでしょうか。

 

 

その後、違う現場で、お会いした農家の方が、このような雨の日に

「いい、お湿りですね」と、言われたことを。思い出しました。

たいがいの人は、雨ふりを望まないのですが雨ふりを喜んで感謝される

方がおられるとは、まだまだ勉強不足でした。

それにしても日本語の言葉遣いは、美しく情緒があり素晴らしいですね。

同じ日本語で「春雨じゃ濡れていこう」というのもありましたね。

 

欧陽菲菲さんが歌っておられました、雨の御堂筋 好きな歌でした。

「 こぬか雨降る御堂筋   」 こんな歌詞が入っていました。

レインコートで包んであげたくなるような情景が浮かんでは消え

何か素敵ですね。

 

雨といえば、フランク永井さんの、♪ 有楽町で逢いましょう ♪ で

「あなたを待てば雨が降る 濡れてこぬかと気にかかる」

こんな歌詞がありましたね。

待ち焦がれても、ロマンあふれる素敵な雨を眺めていたのでしょうね。

雨音が優しく、繊細で細やかに降り、ところどころでは

ネオンに照らされてと、素敵な、こぬか雨だったのかもしれませんね。