小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

100年に一人の日本男児 大谷翔平さん

大谷翔平さん】

この度大谷翔平選手が米ア・リーグでMVPなど数々の賞を

受賞されました。

そのうえMVPは30票の満票での快挙でした。

物凄いことを達成されたのでした。

二刀流という名のもと、投げる、走る、守り、そしてホームランと大活躍でした。

大変な快挙をされたにもかかわらず、いつも平然とされておられるのです。

 

その昔の二刀流といえば武芸者の宮本武蔵でした。

 

私が「100年に一人の日本男児」とタイトルをつけたのは野球人として

だけではなく、それを超えた人間としての大きな器を持たれていて誰からも尊敬され

絶大な誇りに思われる日本人だと思ったからです。

 

毎日々 日本人だけではなく世界中から大谷選手の一挙一動に関心を持ち大活躍

に心を躍らせて、ある意味で、日常のうやむやなどを忘れさせていただくぐらいの

興奮や楽しさを味わらせていただき、生きる元気まで、いただいたのでは

なかったのではないでしょうか。

 

野球にかける情熱や鍛錬や努力に加え、あの野球を純粋に大好きで 々 で

心底惚れぬいておられるところや、野球ができる喜びが一番との心情が

ひしひしと伝わってきて、最高の人生を歩まれておられるのだと実感

しているところです。

比にならなくて大変に恐縮なのですが私にも一時、仕事が楽しくて 々 と

いう時期がありましたが、大谷さんは、ほかに何もいらなくて、それだけで

最高の幸せなのだろうと察しられました。

 

大谷翔平さんの、邪念にとらわれず、冷静な謙虚さ、礼儀正しさ、人を思う優しさ

自身に対する厳しさ、奥ゆかしさ、向上心、おごりのなさ、感謝の気持ち

自分は二の次でよそさんを立てる、素直な心、日本人としての礼儀作法 等々

まさに、常人にはできない野球人を乗り越えて人として、だれからも尊敬され敬われる

人格者であられると強く思っています。

 

あらゆるところで、良い指導者に恵まれて、また、その教えを忠実に守って

来られたのでしようね。

ご両親も、立派に育て上げられ、そして立派に成長された、せがれさんを見て

この上なく、お喜びのことと思います。

 

先日のMVP の時のインタビューでしたか、体のことを思い、毎日の朝鍛錬の後での

朝食で、たまに

トーストにチョコクリームをつけて食べるのが唯一の幸せのひと時なのだと

おっしゃって、おられました。

食べるものでも何でも手に入る方でいらっしゃるのに、節制されておられ

涙ぐましいお話だと感じました。

顔表情には出されないですが、あれだけの結果を出されるのには常日頃の

自分に対する戒めや、鍛錬を欠かさずにものすごい毎日を送られて

おられることがわかりました。

 

再掲しますが、まさに、大谷翔平さんは「100年に一人の日本男児」と

日本人として誇らしく思います。

 

右を向いても左を見ても、どこをむいてもメダカ(すくいようがない)みたいな

人間が目立つ世の中で(本物のメダカさんごめんなさい)、かわいげがないですが

大谷翔平さんは、あの若さで一筋の素晴らしい、本当に素晴らしい光を

放っておられます。

私も、ほめられる人生を歩んできたわけではありませんが、残り少ない人生

ですが、せめて、すこしでも人様の役に立つことを、できればと

心がけているところです。

 

日本はじめ世界中の指導者も人々も、ぜひとも見習って、一度しかない人生

親からもらった教えを胸に、人さんのために捧げ、そして、より良い

住みやすい争いのない世界にして皆が幸せに暮らしていけるようになればと

願いたいものです。

 

大谷翔平さん、お体に気を付けて今後益々のご活躍を祈念申し上げます。

 

 

「大相撲九州場 千秋楽」

一年の納の場所の十五日間の熱戦が、11月28日に幕を下ろしました。

 

優勝  横綱 照ノ富士関  15戦全勝(優勝6回)

殊勲賞    該当者なし

敢闘賞    隆の勝関   11勝4敗

       阿炎関    12勝3敗

技能賞    宇良関    10勝5敗

 

高い勝率   貴景勝関   12勝3敗

       御嶽海関   11勝4敗

新潟県    豊山関    7勝8敗   (新潟市出身)

       朝乃若関(十両)  10勝5敗 (佐渡市出身)

 

エピソード  大関貴景勝関が横綱戦に敗れて花道に戻ってこられたときに

       悔しさからでしょうか、目頭が涙ぐんでおられました。

       あの無表情の大関が私は、人間 大関を見させてもらった気持ち

       でした。

       来場所ぜひとも頑張っていただきたいと願っています。

 

「ヤクルト優勝」

日本シリーズにてオリックスとの戦いに勝利して優勝を勝ち取られました。

どの試合も手に汗握る大熱戦で、息をするのも大変なぐらいに興奮させて

いただきました。

まさに最後に下駄をはくまでわからない勝負ばかりだったですね。

野球を見て、こんなに興奮するのは、オリンピックの野球以来でした。

両リーグのフアンの方々は、さぞかし、気をもんで大変だったのでしょうね。

私の知り合いの大のヤクルトフアンであられる方は、ペナントレースの終盤ごろから

観戦応援に熱が入り、寝不足で大変だと、目が笑っておられ、うれしい悲鳴を

あげておられました。

 

私は、どちらの野球ファンでもないのですが、見入って楽しませていただきました。

普段のペナントレースでも、いつもいつも、このような熱戦だと面白いのですが。

とにかく真剣勝負で勝ち負け抜きで拍手喝さいでした。

ただただ一生懸命さが際立っていました。

叶うのなら両球団ともに優勝させてあげたかった気持ちでいっぱいでした。

両球団の皆様、大変にお疲れさまでした、美酒に酔いしれてください、

本当にお疲れ様でした、ありがとうございました。

いい試合を見させてもらいました。

 

このような試合をいつもやられていれば、野球フアンも増えて、ペナントレースでも

総合テレビ、民放テレビで堂々とゴールデンタイムの時間でも放映されるのではないかと思うのですが。

 

それにしても東京ヤクルトスワローズ日本一、大変におめでとうございました。

その昔は、国鉄スワローズという球団でして金田正一という投手が

大活躍をされていましたね。

そして、南海ホークスには杉浦投手、広瀬内野手  西鉄ライオンズには

稲尾投手  東映フライヤーズには尾崎投手  巨人軍、読売巨人軍には

沢村栄治さん、川上さん、王さん、長嶋さん、などが、おられましたね。

幼少のころにブロマイドなど夢中で集めたものでした。

 

 

わが新潟県燕市という市がありまして、洋食器の製造で知られていますが

「つばめ」という名前つながりから、当球団と深いつながりがあります。

球団のマスコット「つば九郎」を市のPR隊鳥(長)として掲げられています。

そして、この度の優勝で市の玄関先に、堂々と

東京ヤクルトスワローズ日本一おめでとう」と、つば九郎のマスコット絵と共に

大横断幕が掲げられています。

ヤクルトスワローズ燕市に万歳ですね、うらやましいですね。

 

「初冬の近況」

○そろそろ、大根おろしみたいな(ざらざらした)手になり、手のひび割れの

 季節になりましてハンドクリームにすがる毎日になりました。

 そして、ひび割れたところに塗る、とろんとした市販の半液体も欠かせませんね。

○近所を車で通ったら、あでやかなピンク色の松葉ボタンが咲いていたり、

   桃色の山茶花が花盛りだったり、薄橙色の菊や鮮やかな黄色の菊が

   咲いていました。

○家の網戸を外し収納しました。

○家の消雪パイプを取り出してセットして井戸水の点検をしました。

○班の消雪も同様にセットして点検しました。

○スノータイヤの入れ替えを12月5日に連絡しました。

 ついでに夏用より冬用のワイパーにも取り替えます。

○あとは家の木々の冬囲いをする準備して12月5日にしていただくように

  連絡しました。 5日がお天気良さそうなので。

  最近荒縄は、細での1.5分~2分の太さのを使っています。

 

「川渡餅」  かわたりもち

日にちが立ち、今日は11月30日になりまして、12月1日と共に

我が新潟県上越市では川渡餅の日になりました。

11月30日と12月1日の二日間、販売されています。

 

その昔我が越後の大武将の上杉謙信公が戦の前に兵士に、振る舞われたという

いわれのある餅です。

 

市内のお菓子店さんとかスーパーマーケットで販売されています。

炊いて蒸した(?)もち米を小さく平べったく握った上に、あずきの、こしあんか、

粒あんでくるんである、お餅です。

地元では、二日間に大多数の方々が、買い求め、食べられています。

私たちも欠かさずに、いただかしてもらっています。

 

12月1日に食すると水難を免れるとの言い伝えがありました。

 

我が家では11月30日の夕飯時と12月1日の朝食時に、いただいています。

このお餅をいただかしてもらいますと、一年の締めくくりみたいな気持ちになり

身の引き締まる思いにもなります。

 

現在では、無病息災を込められて、いただかして、いただいているそうです。

いつまでも続いてほしい有難い風物詩です。

 

【郷土作家の井東汎先生】

この時期になるといつも思い出し、浮かんでくるのは、先生の小説である

「バテンの家」の冒頭にでてくる名文句の綴りです。

 

「雪国の冬は時雨(しぐれ)の前ぶれから始まる シベリアから日本海を渡ってくる

モンスーンがもたらす、この時雨は烈しい風を断続的にはらみながら軒や庇を

吹き付け一夜じゅう降るに降る」

 

「バテンの家」は故郷の高田を題材に描かれた小説ですが、この冒頭の文章は

なんと素晴らしい綴りなのでしょうか。

この文章を読めば雪国の方々でなくても一目瞭然と、しもあれ時(11月中旬、下旬頃)

の情景が思い浮かべて頂けるのではないかと、思います。

私は雪降りの前の一時になると、いつも、このロマンにあふれる綴りを思い出し

酔いしれています。

 

そういえば川端康成の「雪国」という小説の始まりは

「トンネルを抜けると雪国だった」でしたね。

 

先生は(旧)県立高田工業高校の時の恩師で、あらせられ、実際に授業も

教えて頂きました。

優しい語り口の中に厳しさも感じられ尊敬できる先生でいらっしやいました。

今でも先生のお顔がはっきりと浮かんできます。

オールバックの白髪で、とてもダンディーでいらっしやいました。

小説の作者名の井東汎はペンネームでして、実際はT先生であられます。

先生の教え子の(旧)県立高田工業高校の卒業生の方々は大勢いらっしゃる

でしょうね。

 

そして先生は、工業高校になる前の商工学校時代から教鞭をとっておられ

私の十八違いの兄も授業を習い担任の先生として、お世話になったそうです。