小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

競輪 放浪記

高校を卒業して就職のため上京したのは昭和43年の3月の終わり頃でした。

そして、私の社会人としての出発点は「ああ上野駅」で有名な上野駅でした。

同郷で、同じ学校の隣のクラスの同級生と、たった二人で同じ会社への就職のため

降り立ったのでした。

就職先は北池袋に本社がある建設会社でした。

 

高田では、その年も三月まで雪が深かった記憶があります。

工業高校への最後の通う道すがら、高田公園の道の両側は雪の山でした。

昔のことで忘れましたが、就職時に母親は、掛布団、敷布団などを倅のために

用意してくれたのでしょうね。

3月21日の、お彼岸の時に、お花とおはぎなどを上げて,お墓参りやら、ののさん

お参りして供養をさせていただいたりしています。

 

 

 

暫くして、お休みの時に先輩に後楽園競輪場に連れて行ってもらい初めて

競輪を知りました。

見よう見まねで本命対抗の裏車券をたまたま買い何回か当たったのが

記憶に残っています。

新聞に赤色鉛筆で印を書いたり、まさか学校の時の参考書にアンダーラインを

引く以外に使い道があるとは知りませんでした。

 

 

二十代前半で事情があり郷里に戻り会社勤めをしました。

 

 

何年かして競輪のことが頭によぎり休日に弥彦競輪場に出かけてみました。

AM8時ごろ出かけ平道で2時間半ぐらいですか、大きな駐車場に車を停めて

赤の新聞と赤色鉛筆と紙コップのホットコーヒーを求めて、黄緑色より緑色

に近いプラスチックの観覧席の椅子の上に座布団代わりに持参したスポーツ新聞

をしき座って5レースぐらいまでの予想をしました。

その時、場内放送では昨日のレースの再放送が流れていました。

お昼には場内の食堂で食券を買いラーメンをいただきました。

レースの途中では名物と思われる醬油で煮込んだ三角のコンニャクが

串に差して売っていたものに、黄色いからし色のからしをたくさんつけてもらい、おいしくいただきました。

その日はほとんど成果もなく帰路につきました。

 

 

西山町の頃から片側二車線の広い広い通称「角栄道路」詳しくは国道116号線

柏崎市より新潟市までの道路で、ここは柏崎寄りの道路ですが、この道を快適に行き

そして、柏崎の街中の信号がたくさんあり大変に長く感じる道路を抜けて

鯨波海岸附近に行くと大海原が見え真っ赤な夕日が一面に、大空に大海原に

それはそれはとても拝みたくなるような、ありがたい気持ちになるような

絶景でした。

この風景を見ただけで今日一日、得をしたような気持になったものでした。

 

 

当時弥彦ではA級、B級戦がほとんどでした。

そして、車券は枠番連勝の単式ですか、しかありませんでした。

ある時出かけたら、競輪新聞に大見出しで「神山雄一郎 新星あらわる」

というような見出しで、華々しくデビューされたのを思い出します。

あの大選手のデビューしたての頃でした。

 

今思っても、あとにも先にも、このような華麗な、選手のデビューはなかった

ですね、それだけすごい才能と実力を兼ね備えていて期待されて

いたのでしょうね。

 

この当時のセオリーは先行選手の番手より車券を買うことでしたね。

それと三点に絞った買い方が一般的でしたね。

そして当時は一点、五百円づつ買っていましたか。

それから、4,5,6枠が二人ずついるので、たまに人気のない同枠の選手が

来たりすると「代用教員がきた」なんて言っていましたね、でも同枠に二人

いるので有利な枠ですよね。

 

競輪のライン

これはお互いが協力し合うために結成します。

例えば関東ライン(埼京、栃茨   )南関東ライン  全国でいろいろあります。

同郷であったり近県であったりの選手同士が一緒に練習したり成績を出すために

協力していて強い絆で結びついています。

 

競輪の走行型

大きく分けて自力型(先行,捲り)と他力型(追込み、マーク)があります。

先行選手 ラインの先頭を走りそのラインを引っ張ります。

     先頭を走るために、もろに風圧を浴びるので誰でもできる

     走行ではありません。

捲り選手 レースの主に終盤で前を行く選手たちの外側から追い越していきます。

追い込み選手 先行選手の後ろから、先行選手の力を借りて追い抜きます。

       ときにはゴール前での巧みな走行で、前を走る先行選手を

       二番手に残こす走りをしたりもします。

マーク選手 先行選手や捲り選手などにピッタリ後ろについていきます。

だいたいが以上ですが、それぞれが大事な役割があり、協力し合って競技を

しています。

 

 

そういえばこの頃は、毎レース後、その都度、女性の方が二、三人で

ぐるっと歩いてリンク内を並んで箒を持ち清掃されていましたが、

今はどうなのでしょうね。

そしてレースが確定すると、ポケットがたくさんあるような、まいかけみたいな

のに、お金をたくさん入れた方が「さー早いの早いの」と口銭を差し引いた分の両替

をしてくれるのです。

今は見かけなくなったように思いますが、当たった人が払い戻しに行く手間を

省いてくれる便利屋さんでした。

 

 

今は車券を買うのに券売機がありますが、昔は「2-3 500円、5-1

300円」とゆうように、小窓の中に、女性がいて、買ったものでした。

締め切り間際な時などもあったりして、たまに間違った車券を販売したり

今考えると、この方々はストレスで大変だったろうなと思って同情していますが

血気盛んな頃の私は、そんな時には、ぼろくそに言い取替をしてもらったものでした。

ところが、たまたま、そんなときに限って、間違えて返した車券が

大当たりしていてみたり。

その後は間違えたものでも悳に、もらっていますが、その後はそのようなことが

起こりませんでした。

 

 

当時は華々しく活躍されている選手は、赤色の三番車を要求されたそうですね。

だから3-6という車券が、よく売れていたのではと思います。

朝の弥彦競輪場で、3-6の車券を1レースから10レースまで全部、最初に

買われているのを見たことがありました。

それから、聞いた話ですが本命対抗の選手が、あまりにも不本意なレースをした時には

レース後、呼びつけられて、諭されたのだそうでした。

 

 

 

今はあまり見かけなくなりましたが、自分が有利になるために相手選手の横で競り合

って、時には意地のぶつかり合いで勝負を度返しして、とことんやったり、

後ろからくる選手を抜かせないためにブロックしたり

なかには走りながら後ろから相手の背中にヘルメットで、がんがん、こずいたり

雨の日のレースにめっぽう強い選手がいたり

今は少しおとなしくなったのか理詰めになったのか、変わってきたように

思いますが。

 

 

たまにS級戦があり、選手紹介で、新潟県出身のS級レーサー原田則夫選手が

紹介されました、トランクスのわきにS級の印の星マークが縦長に入っていって

とてもかっこよかったのを鮮明に覚えています。

そして、その日もそうですが、後日も原田選手よりあたり車券を取らせて

もらいました。

最初は、真っ白の1番車でした。

当時、弥彦ではS級戦はめったにありませんでした。

 

 

当時の人気選手は、なんといっても中野浩一選手と井上茂徳選手

でしたかね。

 

 

暫くして、赤色鉛筆から赤色サインペンを使うようになりました。

 

 

そうそう、そういえば弥彦競輪場での一年間ぐらいでしたかスプリットという

競技もありましたね。

何か、なじみのない戦いで不評だったのでしようかねえ。

 

競輪新聞の語録など

「○○選手は侮れない」 侮れない(あなどれない)とは、軽視できないなどの

 意味があるのだそうです。

 よく書かれていました。

 最初は意味が分からなかったのですが、何となく、そういう風に感じていました。

「一日の長」 この言葉は、経験値が多いという意味ですか。

「〇-〇も」「〇-〇も一考か」 本命対抗が外れたときに注目されるということですが

 よく入ってきた印象がありましたね。

 新聞の担当者さんも、五分々ではないかと迷いに迷い、それでもと思い大勢の方を

 押したのでしょうね。

 

 

 

私が生涯を通して年間で勝ち越したのは車券買いを 1 レース、千円以内と

決めて臨んだ時1度きりでした。

大した勝ち方ではないですが、例えば、その日の最終10レースで予想屋さん

で200円で得た予想では、穴党の人は、そろった4枠より4流しと書いてありました

ので100円で流して買いました。

その時の枠の一人は広瀬選手だったと記憶しています。

なんと4-4で入ってきたのです。万舟(マンシュウ)車券でした。

このように一日のうちで、一つでも大きいのが入れば元が取れる可能性があるのです。

 

弥彦競輪場で、こんなことがありました。

3レース目でしたか、本命対抗のオッズが370円で、わずかな軍資金の中から

キジのお札一枚を保険なしにかけました。

結果的に、取れたのですが、決定するまでは、お玉が上がるのではないかと

思うぐらいの大変な思いをしました。

まだ残り7レースもあるのに、向こう見ずでしたかね。

でもこれ以来このような勝負は、していませんが、勝負事ですから、時には

腹をくくっての勝負は避けられないですかね。

 

 

当時弥彦では、最初の頃は予想屋さんが4~5人活動していましたが最終的に

人気のある、お一人になられたように思います。

4レースまで100円で5レース以降は200円の予想料金でした。

そして一日予想はA4ぐらいの紙に10レース分が書いてあり

1000円か1500円でしたか。

この予想屋さんはかなり勉強されておられるようで、だいぶ助けて

いただきました。

 

 

予想屋さんといえば

ある予想屋さんは、コンピューター予想と旗揚げしていたり、当時はパソコンも

ワープロもない時代でしたのに。

またある予想屋さんは、レース後、自分で予想をしてないのにもかかわらず

「おめでとう、おめでとう、最初からこれしかないと思っていたんだよ」と平然と

呼びかけてみたり。

ある予想屋さんは、たまに締め切り、ぎりぎりで券売所に駆け込んでみたり。

人気の予想屋さんが、いつも述べていたことは、学級で成績の一番の人は

このような賭け事はしないとか、この選手は競輪学校卒業当時の成績は

どうだったとか、やはりいろいろな角度から予想を立てるには必要なのだなと

感心してみていました。

そしてある予想屋さんは、たまに前レースが当たると、客が並び、持参した

予想の用意していた紙がなくなると、なんとそこに落ちている外れ車券の

裏に書いて商いをしていました。

今考えるとあり得ないことですが、でも当時はいい時代でしたですかねえ。

 

 

ある二月の雪の中、弥彦競輪場へ、前橋競輪でしたか、どこの競輪の場外車券か

忘れましたが知り合いと二人で出かけました。

高速でも、でこぼこ道で大変でした。

場内には大きな、だるまストーブがいくつかあり、それで暖を取っていました。

2レースめに、私はデイリースポーツの新聞を買って持っていましたが

その本命対抗が例の予想屋さんの本命対抗とマッチしていて、よし

これだと思い5000円を一本買いで、買いましたら、なんと450円ぐらいの

払戻金でした。

なけなしの軍資金で、保険もかけないで買うのに震える思いでした。

デイリースポーツの新聞は高田の駅の売店で求めたものでした。

私は、うれしくて予想屋さんにご祝儀として1000円上げましたら喜んで、早速

掲示板に画鋲で1000円札を止めて「当たりました、おめでとうおめでとう」

と大きな声で大変でした。

次のレースも同じようにマッチしていたので、また5000円の一本買いでした。

またまた450円ぐらいの払戻金でした。

私の相方は、外れて、げなげなしていたので、私に乗れと、教えてあげたら

それ以降は大当たりでした。

二人して9レースまで、同じ買い方をして大儲けでした。

これまで全く新聞と予想屋さんの予想が一致していたのです。

まったくの奇遇でした。

なんと全部400~500円の払戻金で当たったのです。

予想屋さんのボードは千円札の貼り付けで、いっぱいになっていました。

途中のレースで、もう予想屋さんは大変でした、それこそ大きな声で

【今日は 有り金勝負、有り金勝負だよ】と興奮して大変でした。

予想屋さんでも、こんなことは生涯一度あるかないかの出来事

だったのではないかと思いました。

私たちも、「有り金勝負」とは、はじめて聞く言葉だったので、理解するのに

時間が必要でした。

最後の10レース目は、予想と違うのではないかと3-1で1000円

買いましたら2000円ちょつとの払戻金の当たりでした。

後日こんな日は二度とありませんでした。

今までさんざ、痛い目にあっていたので、買い方を5000円以上欲は

出しませんでしたが、これが有り金勝負をしていたら大変でしたですね。

皆さん計算してみてください、何億円になったか、とにかく天文学的な数字になり

気が狂ったでしようね。

しかし、今度、だんだん車券買いの額が大きすぎて、売買が成立するかどうか

笑って下さい、用でもない心配までして、浅はかな人間ですね。

人生が変わっていたかもしれませんが、でも神様はちゃんと、その人間の

度量まで、おみとうしで助けて下さったのだと思っています。

今考えても正解で良かったと思っています。

 

 

そういえば、東京の会社の同期の同僚1(18才の頃)は、当時西武園競輪場へいき

大当たりして帰りに乗用車を買ってきたと言っていましたね。

しかしこんなことはまれで、家を買ったということは聞いたことがなく、

家をなくした話は聞いたことがありましたね。

あくまで趣味の世界で、小金で楽しみなさいという教訓ですね。

 

 

車券の買い方では

その日の、とにかく三番人気のみ狙う。

千円台の配当のみにしぼり買う。

こんな買い方も、いつかしてみたいですね。

 

 

最近のフアンについて

昔の後楽園競輪場で見たのですがフアンが、よほど頭に来たのか外れ車券を

沢山、金網越しにリンクに投げつけていました。

ゴール後に選手に、フアンが罵声を浴びせたところ、悪口だけは聞こえるみたいで

逆にヘルメットを投げつけてきたり。

場内で確定後の外れ車券を、その場に投げ捨てたり。

レース中、大声を発し、熱くなったり。

現在は

レースは静かに見守り。

外れ車券はごみ箱に捨てたり。

良い意味でマナーがよくなりましたが、オールドフアンとしては少し

覇気がないみたいで昔の活気が懐かしく、何か物足りない気持ちですが

そう思うのは私だけでしょうか。

 

 

私の知り合いで、2-6の枠複が好きで、いつも買われるのですが、これまで

マンシュウを何回か取られたのを見ています。

それから私も、同じ車券をなるべく買うようにしています。

お盆休みで弥彦競輪場へその方達と出かけた時のことですが、3レースでしたか

私は人気のない車番でしたが何か入るよな予感がして9-2の車単で

特券(1000円)を求めて私は、4コーナー回っても9-2の並びで走っていたので

ほくそくんでいたら、なんと 々 まずは、ありえないことなのですが

いつもは活躍のほぼない2番車が9番車を、ゴール寸前で差したのでした。

例の2-6の好きな方が枠連複で100円買われていたのでした。

マンシュウ車券の払い戻しでした。

9-2で入っていたなら大変な払戻しでしたのですが。

何があるかわかりませんね。

百円玉でも裏車検を買っておけばと勉強させてもらいました。

 

それから、ヨーロッパという車券がありましたね。

4,5,6枠の、比較的人気のないほうの同枠の4,6,8の車番の選手を

言っているみたいですが。

それでも子供と大人がレースするわけではないので、時には逆転勝ちも

ありましたね。

かなりの高配当でしたね。

たまに893と、ともに468の3連単を求めることがあります。

 

 

それから、車券が枠単、枠複、車単、車複、三連単、三連複、ワイド、ボックス

の様式に変わってきました。

最近はプラスチックに鉛筆の芯が合体したものがサービスで置いてあるように

なりましたね。

段々とばくち性が高くなり、予想がむづかしくなりました。

A,B級戦とちがいS級戦は、なんでもありで、皆が強い人なので迷いが出て

時間ギリギリになっても決められないで、その上ネームバリューもあり

益々の決断力が不可欠になりましたね。

逆に言えばそれだけ面白くなったということですか。

 

 

今では弥彦にいくには、高速道路ができましたので、上越インターから乗り

西山インターで降り、そこから平道で40分位、合わせて1時間30分ぐらいで

着きますものね。

帰りに平道は嫌なので、車券を買っても帰りの高速代だけは残して

買うようにしていましたね。

 

 

新潟県出身の阿部康雄選手の時代になり、今では諸橋愛選手の時代ですか。

 

 

そうこうしているうちに、隣の妙高市妙高サテライトという場外競輪場売り場が

出来ました。

便利になったものですね。

 

 

定年退職して少し利口になり、小金をためるようになり、大した大金ではないのですが

そうすると無理してお金を使わなくなり、たまにサテライトに出かけても、つきのない日は、すぐに帰ってきたり、大負けをしなくなりましたね。

現役の時には、ストレスもあり、このような余裕がありませんでしたが。

 

 

私は、3連単で「893」の車番が好きで、いつも100円だけ、他のと一緒に買う

のですが、今までに二回、当たったことがあります。

払戻金が半端なく大きいのです。

最近では9車だてのレースが少なくなったようで、がっかりしています。

それから、4枠が好きで枠単流しで、良く買います。

たまに三つどもえのレースがあると、しらばくれて一番人気のない三車を

そっと買ったりして、そして一度だけ、当たったことがありましたね、

3連複で500円、番手、先行選手三番手の3連単で100円、大当たりでした。

 

サテライトでは、いつも青新聞を求めます。

私は、デスクの大フアンでして、捲り上げの選手で、よく取らしてもらっています。

捲りとその番手で、きれいに入ることは少ないのですが、どのラインが強いのかとか

大変に参考にしています。

先日も、あるレースで、S級の平原選手が捲り上げて東京の某選手がそれを差して

いるところを大外より山崎選手が大捲りで一着でマンシュウ車券を取らせて

いただきました。

山崎選手から車単で流したのでした。

デスクの予想が大当たりでした。

どの新聞でも予想してない車券でも、これと思ったのを、きっぱりと予想を

たてますからね、堂々と、だから外れても決して、後悔はしませんですものね。

最近はいつも途中から、行くのですが、その日の出目も非常に大事ですね。

以前に京都観光をした時にタクシーの運転手さんが、ちょうど元競輪選手だとのことで

どうして前のレースに続いて同じ車番が、出るのかと聞いたら、レース前の不安の

その時に勇気をもらえるのだそうですとのことでした。

ある弥彦競輪場でのことですが、5レースに私は5-5,5-6,6-5の枠単を五百円

づつ買いましたところ、5-6で八千円台の払い戻しで当たったのです。

3レースにもう予想をしていました。

なんと4レースに5-6の枠単が来たのでした、

迷わずに買いましたが、こんなことがあるのです。

その日はそこですぐにやめて帰りまして、高田についたのは、まだ日の高い

三時過ぎでしたか、大変に気分のいい日曜日でした。

 

 

それから、買えそうで変えない車券ですが、人気ラインの番手から、先行選手、そして三番手選手の3連単が、意外にも1000円ぐらいの払戻金がつき、他のを買わないで

これ一本買いも、一考だなあと思うようになりました。

 

 

ガールズ競輪について

私の数少ないガールズ競輪を見た感想ですが、ほとんど強い選手と、そうでない選手が

はっきりしていて、皆さん一生懸命されておられるのだと思うのですが

そして本命対抗のフアンの方々は、この上ないと思いますが

もう少し男子競輪を見習って死に物狂いのところがないと車券投票が遠のいてしまう

のではと懸念しているところです。

たとえがいいかわかりませんがインデアンの逆襲がなく物足りないのです。

ご奮闘を祈念しています。

 

 

昨年のグランプリ獲得者の古性優作選手の強さは、半端ないですね。

グランプリでは、他のラインの四番手からの強烈な捲りで平原選手までめんどうみて

優勝ですものね。

先日も近々のレースを見ましたが捲りで他を寄せ付けずに楽勝でしたものね。

 

 

私は、いろいろ能書きを並べましたが自称100円の競輪フアンでございます。

 

 

そういえば、新潟日報の朝刊に弥彦競輪の開催日には弥彦競輪の予想が載って

いましたね。

どのくらい前からかは記憶にないのですが、何時しかから掲載されなくなりました。

よく当たるとの評判の時もありましたね。

私が思い出すのは、晩秋の弥彦競輪場でのことで、その日はこの新聞を頼りに

1レース目からずっと買い続けましたが9レース目まで全部外れていて最終10レースの

予想を見てオッズを見たらマンシュウなのでした、もうこりごりと思い、自分なりに

考えて車券を買いましたらなんと、このレースの日報の予想が大当たりだったのです。

何とも複雑な気持ちになり運命の不思議さまで感じました。

昔から勝負ごとは下駄をはくまでわからないといわれていますが

100円でも買っておけば、忍の一字でしたか後の祭りでした。

返す返すも残念の思いでした。

こんな、出来事もありました。

帰り道、なんと悔しいやら、むなしいやら、洗礼を受けました。

 

 

いろいろな名選手、現役の方も おられましたね。(敬称略)

 中野浩一      佐藤慎太郎     神山雄一郎

 井上茂徳      平原康多      小嶋敬ニ

 滝沢正光      俵信之       岡部芳幸

 山田裕仁      伏見俊昭      金子貴志

 山崎芳仁      浅井康太      新田祐大

 武田豊樹      渡辺晴智      古性優作

 まだまだいらっしやいますね。

 

 

今まで経験してきたことの教訓ですが

迷ってたくさんの車券を買う日は、まずだめですね、数を減らすか

それともやめた方が賢明ですね。

締め切り間際の、思い付き車券買いは、まず取れないので、お金の無駄使いですね。

とれる日は、ひらめきがさえているように思います。

そのレースに納得いく答えが出ないときには、そのレースをパスすることですね。

大金を取りたい気持ちの大きい時は、取れないですね。

難しいことですがレースの買い方に強弱をつけたいですね。

上手ぶって、あまり絞りすぎても、取れない時があるので、ほかのラインも

少しづつ買っておいた方が賢明ですね。

自分のいつも決めている車券は買い続けた方が納得いきますか。

できれば軍資金をたくさん使うのでなく、当たり取った、お金で勝負

したいですね。

万が一途中で大きく取った時には、倍々に増やそうとしないで、地味に

使った方が賢明ですね、経験上まず、お金をなくしますね。

時には絞って、来なければ仕方ないと思い切りも大事ですか。

その日の出目がありますので、人気がなくても目をつぶって、出目から

買うことも大事ですか。

裏目裏目で、つきのない日は、やめて帰るが勝ちですね。

一日の長といいますか、競争得点の高い選手は、やはり無視できないですね。

競輪を楽しむには、いろいろなラインから、少しづつでも買っていれば

レース最後のゴールまで楽しみが残りますか。

挑戦したレースは全部取りたいですが、一番大事なことは最後に下駄をはくときに

どのくらい持って帰れるかということだと思いますね。

 

開催日の軍資金

 一番べターなのは、キジのお札が何枚かですかね。

 青いお札何枚かでは心細くてびくびくですものね。

 あまりたくさん持参すると、気が大きくなり、荒い使い方になり

  考えずに買ったり無駄遣いしてしまいますか。

 それから、最初に財布から現金を千円札で10枚位をポケットに入れて

 レースに臨み、いちいち財布に入れたり出したりしないほうが、気が散らないで

 そして途中に余計な計算もしないで、よかったりしますか。

 

 

まだまだ、思いついたらブログを続けたいと思っています。

これで3時間、ぶっとうしでブログに向かっていたので、すこし疲れました。

贅沢ですか、申し訳ありません。

妻からのバレンタインのチョコレートでもいただきますか。

 

 

長いご拝読、誠にありがとうございました。

 

 

庶民のひそかな楽しみ【競輪 万歳】ですね。

 

 

今はコロナでもありますのでパソコンで競輪JPから、中継にして各競輪場の

レースを何レースか見て楽しんでいます。

車券は買っていないのですが一応予想は立ててみています。

情報も少なく予想も立てづらいのですが損得勘定がなく冷静にレース運びが

見れるので非常に勉強になりますね。

しかし便利になったものですねえ。

昔は弥彦までいかなければ、ならなかったものを。

 

2月26日 パソコンで見ていたら、私の好きな「S2班の大塚玲(あきら)選手」

神奈川 が出ていました。

今日は写真判定で、惜しくも二着でした。

番手の渡辺晴智選手が三着でした。

このレースは、ゴール前、位置のない大塚選手が、前二車の間を強引に

ねじ込んで中割で突っ込んできて、ほんの少し届かなかったのでした。

このようなレースは久しぶりに見たように思います、なんとしてもという

こういうレースはこびをするのが大塚選手の、魅力の一つ、なのです。

いつもいつも思い切りがよく、勝っても負けても、いつも大塚選手のラインから

車券を買っています。

私にとっては数少ない信頼のおける好きな選手です。

今はどうかわかりませんが、昔はひいきの選手を追いかけて全国の競輪場を

渡り歩いていた熱心なフアンもいらっしゃったとか。

 

3月2日  さっき、見たのですが、

山崎選手の捲りがきれいに決まり番手の和田圭選手が、ゴールでちょん差しで

一着、二着で追い上げた諸橋愛選手が三着でした。

車券は買ってないのですが、私の予想が当たり気持ちよかったでした。

山崎芳仁選手は、さすがに強いですね。

車単で2500円ぐらいで3連単で6000円ぐらいの払い戻しでしたか。

 

最近は眼鏡が必要な年齢になりましたが

この年になり、もっと早く気づけばよかったものを、全レースに挑戦しても

取れるわけがありませんので、たまには途中で休んだり、最終的に

どの位持ち帰ることができるのかが一番大事なことだと思うようになりましたが

皆様はどのような、お考えをされておられるでしょうか。

 

 

どうですか

競輪フアン歴 54年の、つぶやきに、何か益が、ありましたでしょうか。

皆様のご活躍を祈願しています。

 

 

2月17日    最近感心した事柄

競輪新聞を求めないで楽しむフアンの方をたくさん見かけるようになりました。

ひと昔前では考えられないことでしたが。

場内に置かれている出走表かスポーツ新聞で、やられておられるのです。

私なんかは、青新聞でのデータを見ても、ピンとこないで、やっとのことで

車券を求めている分際なのですが。

よほどデータなど頭の中にインプットされておられるのでしょうね。

出場選手の性格、成績、強さ、走行型、出身地、ラインの区別と並び順 等々

ですが、大した勉強、努力の賜なのでしょう感心して尊敬するばかりです。

 

 

一服の清涼剤

脂っこい、お話の後で、今日は2月18日ですが、なんと年末にホームセンターのムサシ

で仏壇の仏様に、あげるのに求めた、お花が、まだまだしゃんとして元気なのです。

ガラスの口元がラバソルの大きめの花瓶に入れてあるのですが今まで三回ぐらい

水を替えて、そのとき枯れた葉っぱも取り除き、先日は花の丈を半分ぐらいに

切り落としましたが、いぜん生命力の旺盛さには感服しているところです。

仏さまが見守ってくださっておられるのでしょうね。

赤と黄色の菊の花や不勉強で名前はわかりませんが紫色、赤紫色のお花です。

今は朝の9時少し前ですが、先ほどまで雪がちらついていましたが、外を見たら

お陽様が当たってきました。

いい塩梅ですね。

 

2月18日

昨日知り合いの方から、お声がけがあり「みたよ、あんたの若い頃の断片がわかり

興味深かった、いろいろなことをしていたんだね」とブログを見た感想を

述べて頂きました。

そのブログは「競輪 放浪記」のことです。

 

ご本人は、このようなことには関心がなかったと、おっしゃっておられましたが

内容については興味深く、面白かったとのことでした。

大変にありがたいお言葉をいただきました。

しかもこのブログを入れた、その日か次の日に、見て頂いたようなのです。

 

付け加えさせていただきますが、ここに書いてあることはあくまで放浪記ということで

納めさせていただきましたが、本業の仕事の方も、自分で述べるのもなんですが

毎日夜中の一時二時まで歯を食いしばり必死に働いたときもありました。

 

ピーク時の30代半ば過ぎには、主に建築工事の現場監督をしていたのですが

注文住宅の新築工事を3件、それに増改築、小工事などを同時進行でみていたりして

一時は眠れずにノイローゼ状態に、お酒を飲んでも頭がさえて眠れないのです、

走馬灯のように工事現場のやらなければいけない事が次から次へと、

追いかけるように出てくるのです、体は一つしかないのにでした。

そして寝てもすぐに目が覚めるのです、寝なければ体がもたないと思いAM3時前

位でしたら冷蔵庫から缶ビールをたしなめて無理やりに寝たり必死でした。

 

私の仕事は

着工前の間取りとか外観、使用商品から始まって、施主さんとの打ち合わせのほとんど

そして見積もり、契約立ち合い、工程表、実行予算組、協力業者との取り決め、指示

施工図作成、工事管理、途中での色決めなど施主さんとの折衝、墨出しの果てまで、

引き渡し、そして完工後の、あらゆる精算まで

そしてその後の施主さんとのお付き合い、いつも会社には固有名詞でTELが

きますもので

 

当時は、ただただ、言葉が悪いかもしれませんが、負け犬になりたくなくて

必死に、男の意地と根性で、頑張りました。

いつも思っていたことは、自分は、めいっぱい忙しくても、お客様は一生一度の

大変な大きな買い物をされておられるのだとの思いでしたので、なおさらのように

目一杯尽くさなければと思い余計に切なかったのでした。

 

お客様からの私に対しての一番の要望といいますか、お褒めといいますか

お話の内容を逐次、メモを取らせていただいたことでしたか。

能力のある方にしては、メモを取ることが恥ずべきことと思われるかもしれませんが

人間は、つい忘れることもあり、能無しと思われようが物事を確実に進めることが

一番大切なことと今でも思っています。

そして能力のある方に限って、その行為で安心なさったように感じました。

 

水前寺清子さんが歌っておられました、「いっぽんどっこの唄」大好きでした。

♪ ぼろは着てても  こころの錦  どんな花よりきれいだぜ

  若いときゃ二度ない  どんとやれ男なら  人のやれないことをやれ

 

  涙かくして  男が笑う  それがあの娘にゃ  分からない

   恋だなんて  そんなもの  いいじゃないか  男なら

   なげた笑顔を  みておくれ

   

  何はなくても 根性だけは  俺の自慢の一つだぜ  春がくりゃ

   夢の木に  花が咲く  男なら  行くぜこの道  どこまでも  ♪

 

私には、ほれぼれするような感動し感激する絶妙な応援歌でした。

まさに、吹けば飛ぶような将棋の駒にかけた命を笑わば笑え

笑う方もおられるかもしれませんが、当時は真剣で必死でした。

 

 

そんな姿を見て神様も見守ってくれたのでしょう、何とか乗り越えさせてもらい

ありがたく今があります。

私だけでなく皆さんも大なり小なり、人に言えないような苦労話が

おありなのでしょうね。

「よく学びよく遊ぶ」ではないですが「よく働きよく遊ぶ」の精神ですかね。

考えてみれば、人生あっという間でしたね。

今思い返すと、何の屈託もなかった高校時代が思い出深く残っていますかね。

それから妻の支えにはいつも感謝しているところです。

そして、いいろいろな方々からご指導ご鞭撻をいただき支えて頂いたのだと

深く感謝しているところです。

 

流転

 作詞 藤田まさと   作曲 阿部武雄

なかなかこの境地になり切れませんが私の大好きな曲です。

 

1番  男命を みすじの糸に かけて三七

    二十一目(さいの目)くずれ 浮世かるたの 浮世かるたの

    浮沈み

2番  どうせ一度は あの世とやらへ 落ちて流れて 

    行く身じゃないか 鳴くな夜明けの 鳴のくな夜明けの

    渡り鳥

3番  意地は男よ 情けは女子(おなご) ままになるなら

    男を捨てて 俺もい生きたや 俺も生きたや

    恋のため

 

上原敏さんが歌っておられました。

後日、デックミネさんも歌っておられましたかね。

 

男はやっぱり断然 高倉健さん ですよね。

 

少年時代、青春時代、夢中で健さんの映画を見ました、

網走番外地」 今でもあの雪の中のシーンが目に浮かびます。

                            確か、大原麗子さんとか嵐寛寿郎さんも出ておられましたよね。

        そして、山仕事の最中に、おしっこに行くときに「キジを撃ってく 

        る」なんて映画のシーンに、よく出てきましたよね。

「昭和残侠伝」 ラスト近くで、独り、敵陣へと乗り込む圧巻のシーンとか

        鶴田浩二さんも出ておられましたか。

        どの映画だったか、健さんが脂汗をかきながら腕の入れ墨をライター 

        で消している場面など記憶に残っています。

                             それから悪役の金子信雄さんなどは、よく出ておられましたですね。

 

東京の某映画館では、高倉健さんがスクリーンに出てこられると

掛け声とともに拍手が沸き起こるのです。

私より熱烈なフアンがたくさんおられるのだと、すごいなと感じました。

 

また歌では、私が歌っても声が上ずってダメですが、健さんの低音で、どすのきいて

自然な歌い方にしびれていました。

網走番外地」 

   ♪ 春に 春に追われし 花も散る 酒(きす)ひけ 酒(きす)ひけ

       酒(きす)暮れて どうせおいらの 行く先は

        その名も 網走番外地     ♪

「唐獅子牡丹」

   ♪ 義理と人情を 秤にかけりゃ 義理が重たい 男の世界

       幼馴染みの 観音様にゃ 俺の心は お見通し

        背中で吠えてる 唐獅子牡丹 

                 おぼろ月でも 隅田の水に 昔ながらの  濁らぬ光

       やがて夜明けの来るそれまでは 意地で持たせる 

        夢一つ 背中で呼んでる 唐獅子牡丹 ♪

       

私はこのころの健さんが一番好きでした。

澄みきった空気の中、男を磨き男を貫いた男優さんだったのではなかったでしょうか。

そして晩年は、静寂と平穏に過ごされたようで、見習いたいものです。

何か、我が故郷の大武将の上杉謙信公に重なるような生き様を感じているところです。

私とは共通点が、あまりないのですが、あえて言えばホット珈琲が好きだという

ことでしょうか。

無理矢理に探してみました。

 

高倉健さんは、背中で芸をされ、おられるだけで存在感を

醸し出される数少ない俳優であられたのでは、なかったのではないでしょうか。

 

寂しいニュースが入ってきました。

なんと妙高サテライトが三月で閉鎖されたとのことです。

十数年間、通わせていただき楽しまさせていただきました。

年末の12月30日の競輪グランプリだったり、桜の咲くころ、夏の暑い日に

アイスクリームの最中を、おごってくれた人、秋口、しもあれどき、

豪雪の中、雪解けの春先、コロナ禍で躊躇した時期など、浮かんできます。

そして道端や駐車場で案内をしてくれた方々有難うございました。

そしていつも自販機よりカップコーヒーをいただきながら、百円玉を握りしめての

至福の時間いろいろ駆け巡ってきました。

楽しまさせていただきました。

【シー ユー アゲイン】 でお別れですね、寂しくなりました。

 

今日は、6月19日(日曜日)でよく晴れた朝を迎えています。

そう言えば、先日、ある競輪フアンからサテライト妙高がなくなったので

長野県に新設されたサテライト信州ちくま、に行ってみませんかとの話が

ありました。

よく考えたら利便性を考えてもサテライト中越のほうが近いかと思いましたが

長野県の競輪フアンの方々がサテライト妙高へ通ってきてくださったのだと

思い、機会がありましたら行ってみたいと思いました。

ひょつとして顔なじみの面々に、お会いできるかも、知れませんね。

 

今日は、7月6日(水曜日)の午後になりました。

ひょっと思ったのですが、一日でいいので昨日に戻れたら税務に、問題ない

程度に競輪をして一回の払い戻しが最高でも90万円ぐらいにおさえて

今までに競輪界に収めていた(負け分)のに数パーセントの利子でいいですから

つけて頂いて取り戻してみたいですね。

欲は言いません、十分欲ですか。

そんな愉快で爽快な夢、一度でいいですから見てみたいですね。

明日は七夕だそうですね、雨が降らないで、せめて織姫と彦星がロマンの出会いを

そして子供さん方が七夕の短冊に込めた願い事も同時に叶えて頂きたいと

願うばかりです。

 

今日は、令和四年8月1日(月曜日)の朝です。

今朝窓を開けたら、なんと秋風を迎えたみたいな涼しい風が舞い込んできました。

気持ちがいいやら、でも少し秋めいてきたのかと寂しい思いに駆られたり

話は変わりますが、昨日までの弥彦特別競輪(G3 ふるさとカップ2022-07)

良かったですね。

久しぶりにパソコンでの観覧を楽しみ堪能しました。

投票はしてないのですが、平原、荒井、成田選手、そして地元の諸橋愛選手等々

有名選手の大活躍でした。

優勝は平原、二位は成田、三位は荒井の各選手でした。

あらためて有名選手は、だてに名前をしょっていないなと再認識しました。

それだけに、いつも相当のプレッシャーであろうと想像しました。

 

そしていつも競輪を見たいときにはパソコンでの検索で

競輪ー競輪中継ー競輪ライブ・実況中継ウインチケットで観覧するのですが

この実況を企画される方々に申したいことがあります。

女性を大勢登壇されるのは良しとしても、ピントの外れた競輪場の中継があり

閲覧する側は、締め切り時間と出走時間が一番知りたいのではないかと思われますので

常に片隅でも、この2項目だけは絶対に表示していてほしいと思います。

というのは途中から閲覧される方もおられると思いますので。

そして音声ですが、最大にしても声が小さくて聞こえない聞き取れない競輪場があるのです。初歩的なことですので必ず改善してほしいところです。

従来の放映の3連単とかの放映もそのままでいいのですが

選手の点数、能力、特長 枠複、枠単、三連複、3連単

等々をこちらでいつでも検索出来るように? 私の能力不足かもしれませんが

して頂けたなら親切で歓迎されるのではと思いますが。

以上気づいたことですが、お願いできればと思っています。

 

令和四年9月10日  パソコンでの競輪中継について

パソコンー競輪中継ー競輪ライブ・実況中継・ウィンチケットで観戦するのですが

名古屋競輪でしたか、数名の方々が、それぞれボードに予想をされて雑談されているのですが、それがレース寸前まで続くのです。

私が知りたいのは、まず発走時間です、これは常に片隅でもいいですから表示していて

ほしいですし、選手の特性とかオッズとか並び順とか、画面の半分ないし雑談の合間に

でも常に表示してほしいですね。

ただの娯楽番組ではないのですから番組を作られる側の人たちは、視聴者が何を求めているのかを初心に帰っていただいて

誰から見ても納得される番組を作っていただきたいと思います。

それから「しばらくお待ちください」とか「インタビュー」とか「何かの表示」

が、ただ単に静止画面として出ている場合がありますが、これも、

何を考えているのか

視聴者が何を求めているのか、上記同様に考慮していただきたいところです。

それとせっかくの音声の音量を最大にしても小さくて聞こえづらいのですが

初歩的なことだと思いますので配慮していただきたいと思っています。

音が大きければ視聴者が音量調整をすればいいことですので。

せっかくの競輪販路拡大等の競輪中継だと思いますので基本的なことを

的確に運営していただきたいと思っているところです。