小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

妙高高原に遅い春の訪れ

妙高高原に遅い春の訪れ

5月4日自宅をAM10時45分頃に出発して妙高高原へお昼少し前に到着して取材しました。

 

春らしい、すがすがしく、しかも、あたたかな、素晴らしい陽気に恵まれました。

 

5月5日のPM1時45分より7日PM1時55分にてスケッチが済み8日より27日(土曜日)AM9時48分に完成しました。

 

大変長らくお待たせしました。

 

今ブログを綴っていまして5月27日のAM10時半になります。

 

作品については、山の稜線を薄い黒色で描き、左側の大きな樹木を描きました。

そして春の美しい青空を描きました。

そして妙高山の残雪の残る部分より中腹の山肌に向かいスキー場の薄い黄土色を描いたり、そして杉の群生をそしてその下の広葉樹の群生を、そして遊歩道の部分を、そして下の細い雑木を、そして湿原の部分を描き、一番下の水芭蕉を描き、最後に再度雑木を加筆して完成しました。

 

皆様、スケッチ画と色付けした絵画と見比べられていかがだったでしょうか。

小生は最初に鉛筆画も残しておきたいという願望の意味がお分かりでいらっしゃいますでしょうか。

スケッチ画の荒々しさや新鮮さ、色を付けたときの、しっとりとした落ち着きと色合いの美しさ等々、それぞれの特色が出ていますでしょうか。

 

鮮麗された作家でいらっしゃったなら、むしろ鉛筆画は邪魔で不要のものと思われますが、でも考えようによっては、それを踏み台にして、またアレンジできたならより良い作品に仕上がるのではないかとも自己弁護しているところです。

 

この絵画で、あの深い積雪から、やっと解放されて、美しい妙高高原の、待ちに待った春の情景を残雪の残る洒落た妙高山などを、満喫されたり、うきうきした、こちょばしさをも感じて頂けたなら、描いたかいがあり、うれしい限りでございます。

 

画面の裾の方に水芭蕉も、そっと咲いていますので見てやってください。

 

そして描いた作家が感動しなければ、鑑賞してくださる方々との感動の共有がむづかしいものといつも思っているところです。

 

この作品は、作品を制作している最初から最後まで、また、どの部分も、うきうきと楽しい、幸せの、そして至福の時間でした。

 

春の美しい青空や、妙高山の残雪や、中腹の山肌や、左の立木、広葉樹、そして黄色みの葉っぱやら、点在する遊歩道や、湿地帯、そして下の雑木、水芭蕉、すべて描いていて、鑑賞される皆様のお顔が浮かび、大変さもありましたが、楽しい時間でした。

 

この絵画の下の雑木を(名前があるのに雑木と表現してNHKの朝ドラの万太郎さんにお叱りを受けるかもしれませんが)強調しなく、むしろないほうが作品としての映りがよいかと思われますが、自然は、ただ美しいばかりでなく、いろいろな要素が重なりあって成り立つているのではないでしょうか。

 

期待外れの方も、いらっしゃるかもしれませんが、泥臭い作品が小生の個性でございますので、ご容赦くださいませ。

言い換えれば、こくと味のある、見飽きない作品ともいえますでしょうか。

幼いころに見た銭湯の大きな山と海の描かれた、湯船での、すっきりして美しい絵画が浮かんできましたが、それはそれでTPO を考えたときにはふさわしいかったのではなかったでしょうか。

 

それにしても、この作品の半分より下が思いのほか表現しずらく時間がかかり難解でしたが、この作品の大事な部分と認識しているところでもあります。

 

そして何ヵ所かの遊歩道のラインも、この作品に趣を醸し出してくれているのではないでしょうか。

 

在来の絵画をみると大体は、この下半部ぐらいが無く、空から広葉樹のところで、一つの作品になっていると思いますが、小生の持論なのですが、鑑賞してくださる方々に、それでは満足感にかけるのではないかといつも思っていまして、このような範囲で描くようにしているところです。

指導者の皆さんの中では、描く対象を強調してとか、描きすぎだとかと、おっしゃる方々もおられますが、鑑賞してくださる方々のことを思えば、そうすべきではないかと常々思っているところです。

 

気に入った作品の一枚になりました、じっくりと鑑賞して、そして妙高高原の、やっと訪れた、すがすがしい春を感じていただけたなら、こんなうれしいことはありません。

 

作品をクリックしていただいて、大画面にて、お楽しみください。

 

そして、どうぞ私の絵画の遊歩道にて春を思い切り感じながら散策してみてください。

新鮮な空気、春の優しい風や鳥のさえずりなど聞こえてきませんか。