小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

『唾液の効果』

小さなころから、両親に、ちょっとした傷などができたときには「唾をつけておけば治る」と、教え込まれていて、今まで、なるほどそうしていたら効用があったように思いました。

 

どうしてかなあと疑問に思っていましたが、考えてみたら犬や猫は、病院が少ないころには傷口などを嘗め回して直していたように記憶していますが、そのようなことも影響して信じ込んでいたのでしょうね。

 

「唾液の効用」パソコンによりますと

 

食べ物の消化を助ける。

味を感じやすくする。

口の中の汚れを洗い流す。

酸を中和して口の中を中性にして細菌の繁殖を抑える。

虫歯を防ぐ。

 

口の中を清潔にして健康に保つ。

 

抗菌作用があり、細菌や真菌などを殺し、抑える。

 

「傷口に唾が有効なのか」

唾をつけるのは非衛生的なので消毒液や傷薬を使うのが望ましい。

 

しかし、唾液にはリゾチーム(殺菌性酵素)が含まれているので、ある程度の効果はありますとのことです。

 

 

以上のことから、小生は臨機応変に考えて行動したいと思っているところです。

 

 

「門出」 資料によりますと

自分の家を出発して旅に出ること。

新しい生活を始めること。

旅に出る前に吉日を選んで仮に家を出て近くに移ること。

 

類語は 出発・スタート・旅立ち

 

今の時期によく使われる言葉ですね、皆様の良き門出を祝い、願いたいものですね。

 

3月15日(金曜日) 今日は朝からお風呂に入ってから浴槽のお湯を洗い流して落とし、洗い場の溝の中の掃除を、そして洗い場の床の掃除もしました、ユニットバスなのですが床が滑らないように細かな凹凸がありましてその隙間や角に汚れが付き、でもないと滑ってはと、うまくいかないものですね。

 

お天気が良いのでいろいろ洗濯をして二階のサンルームに干しましたら洗濯日和ですぐに気持ちよく乾きました、お天道様の力は偉大ですね。

 

毎週金曜日は流し台のステンレスの水盤を洗うのと、家中の掃除機掛けを日課にしていまして、ただいまPM2時40分になるところですが、作業がおえてほっとしてブログに向かっているところです。

作業時間はわずか30分ぐらいなのですが、腰を上げるまでが、何か億劫でして、でもおえると、なにかいいことをしたみたいで、さわやかさが残り、気持ちが楽になるといいますか、人生楽ありゃ苦もあるさですね。

 

大相撲も戦国時代の様相を呈してきているようで、目が離せないぐらいで、お相撲さんは大変でしょうが、我々はどの取り組みにも力が入り、極上の楽しみを味わらせて頂いておりますね、もう少ししたら観戦させていただこうと思っているところです。

 

3月16日(土曜日)

昨日大相撲では横綱照ノ富士関が4敗を期しましたね、心配になりましたが頑張っていただきたいところですね。

 

ここのところ私のブログが「3」「3」「3」と続きました、いつもご覧になられておられる方が開いていただいておられるのでしょうね、ありがたいことですね、感謝申し上げいただい、今後ともよろしくお願い申し上よろしく

 

大谷翔平さんが韓国遠征に際し、奥様を紹介されましたね、多くを語らなくてもお二人の幸せ感が伝わってきていますね、お幸せにと願っています、そして本業の方もご活躍を願っております、世界中の人々が、このような、一つ一つの所作を学習してほしいものですね。

 

越後城下町 高田 徒然 「4-金谷山」

 

越後城下町 高田 徒然「4-金谷山」

何がなくても高田には欠かせない金谷山の関連するスキー発祥の地のモニュメントを描きました。

 

高田での金谷山は有名な日本スキー発祥の地でありますので、この絵画の中央に、真っ先に思いうかび、配置させていただきました。

 

前述しましたが、このモニュメントは金谷山の入り口にあり、山麓線の際に存在しています。

 

3月12日AM8時40分よりPM2時40分に出来上がりました。

 

空がらみのアウトラインを描き、空を、フェンスと塀がきを、冬木を,レルヒさんを、最後にスキーと雪の結晶を描いて完成しました。

 

紙面の都合上、これだけは入れないとのギリギリでの構図としました。

 

空は、この絵画上、冬空がふさわしいのではないかと冬空の厳しさを表現してみました。

 

スキー板には左から、日本スキー発祥記念館そしてその下には金谷山と、そして右側には日本スキー発祥の地と記されています。

 

黄色のモニュメントは、レルヒ少佐のキャラクターです。

 

スキー板と雪の結晶とレルヒさんと、描かれている文字等は込み入っていて大変でした。

 

金谷山

上越市にある山で標高は145メートルです。

 

日本スキー発祥の地

金谷山は、明治44年(1911年)オーストリア・ハンガリー帝国(当時)の軍人テオドール・フォン・レルヒ少佐によって、日本で初めてスキー術が伝えられたスキー場です。

そして一般では日本で最初のスキーに乗られたのは北城高校の女性徒さんでしたとのことでした。

 

金谷山スキー

日本スキー発祥の地の歴史あるスキー場で、ゲレンデはコンパクトですが最大斜度27度という上級のハードなバーンもあります。

山頂からは高田平野が一望できます。

 

日本スキー発祥記念館

この山の上にあり、日本スキーの歴史年表や当時の用具、レルヒ日少佐の遺品類など貴重な資料が展示されています。

 

レルヒ少佐の銅像

やはり山の上にあり、1960年12月に戸張幸男さん作にて、高田平野を見守るがごとくに存在しております。

台座の高さが7メートルで、像の高さは3メートルで、像はレルヒ少佐が軍服姿で竹の一本杖でスキーに乗られている立像です。

 

3月13日 

昨日3月12日は「サイフ」 財布の日だそうでした。

 

「新ニーサ」 仮定の話ですが、以下になるそうでした。

1万円を20年預けると利息が約220万円になる。

2万円を10年預けると利息が約90万円になる。

 

「投機」と「投資」

投機は、短期的な利益を追求する。

投資は、長期的な利益を追求する。

以上の違いがあるそうでした。

 

「高田城址公園観桜会

上越タイムス紙に、お花見のぼんぼりが取り付け始められたとの報道でした。

夜のとばりが下りたころのあの何とも言えない情緒がいいですよね。

今から楽しみにしているところですが、待ちわびているときが最高にハッピーですかね。

 

今日の大相撲は圧巻でしたね。

遠藤関、大の里関、朝乃山関が皆さん勝たれました。

大関霧島関が敗れ4敗となりました。

横綱照ノ富士関も敗れて2勝2敗になりました。

 

3月14日 今朝5時半に起きて新聞を取りに玄関へ行ったら外が薄明るくなったのを初めて感じて、新鮮な気持ちになり、嬉しさがこみ上げてきました。

昔の人は言っておられましたね、昨年の12月25日ぐらいからでしたか、ほんのわずかですが毎日毎日畳の目ひとつづつ朝の明るさが来るのが早くなると、そして夕刻もだんだん夕暮れの来るのが伸びてきていますものね。

 

高田城址公園の桜の開花が4月1日で満開が4日でしたか5日でしたか桜情報が出ましたね。

桜の赤みを帯びたつぼみや薄桜色の満開の花びらを早く見たいものですね。

 

今日はホワイトデーですね、私事ですが早々にお返しをさせていただきましたもので、安堵しているところです。

 

3月15日 今日は17度まで気温が上がり上天気になりそうですね。 

 

横綱照ノ富士関が王鵬関にやぶれ2ー3になりまして、大関霧島関の初日が出て1-4の成績になりました。

 

「TVの特別番組」 いつもの決められた番組を見たいのですが、なぜか特別番組が放映されるのです、この手の番組で小生は見たいと思うのはせいぜい数パーセントぐらいでして、お叱りを頂戴するかもしれませんが小生にとっては無用の長物なのですが、皆様はどう思われておられるのでしょうか。

 

 

 

 

 

越後城下町 高田 徒然 「3-春日山」

越後城下町 高田 徒然 「3-春日山

まさにこの絵画のてっぺんにふさわしいと思われる春日山を描きました。

3月11日AM10時よりPM2時53分に出来上がりました。

 

空にまつわるアウトラインを描き、そして空を、松の群生を、右の大きな木を、左の木々を、そして山肌を描き出来上がりました。

 

写真取材では山肌の様子がはっきりしていなく、描き切るのが難解でした。

 

この絵画で、すぐに春日山を連想していただけたなら嬉しい限りです。

 

越後の龍とあがめられ、第一義をかざして上杉謙信公は、この山城で采配を振るわれておられたのでしょうね。

 

「夏草や兵どもが夢のあと」 このような俳句がありましたね。

 

春日山城跡」

指定    国指定文化財

指定期日  昭和10・8・27  昭和49・3・18  昭和55・3・14 平成12・9・7

種別    史跡

地域    旧高田春日地いき

所在地   上越市中屋敷

所有者   上越市ほか

 

標高180メートルの春日山に築かれた春日山城、別名「鉢ヶ峰城」とも言い、戦国時代の名将上杉謙信公の居城として知られています。

越後府中の要害(砦)として築かれました。

 

春日神社」

春日山城の名称のもととなり、現在の春日山山頂に約500年、現在地に遷座してから600年の歴史があります。

奈良の春日大社の分霊をまつっており、春日大社の記録では全国の春日大社の中で最初に出てくる神社であるそうです。

春日山城全体の総鎮府として謙信公時代より崇敬の念あつく地域の産士神として大切にされてきました。

 

林泉寺

謙信公の祖父である、長尾能景が父重景の菩提を、ともらうために明応6年(1497年)に建立した寺院。

ここで謙信公は名僧天室光育の厳しい教えのもと7から14歳まで過ごしました。

上杉氏に替わった堀氏も菩提として、のちに高田藩主もあつく保護していました。

墓どころには、謙信公の墓や、川中島合戦の戦死者の供養塔などがあります。

 

上杉謙信公」

1530年2月18日 長尾為景の四男として生を受けました。

幼名を景虎と名のり、のちに輝虎(謙信)と名のった戦国武将であります。

越後の国を統一して戦や政だけでなく、産業を振興して国を繫栄されました。

 

毘沙門天を崇拝して戦の時には戦勝祈願を行いました。

そして戦になれば家臣の先頭に立ち戦われたそうでした。

 

生涯不犯(妻帯禁制)を貫き、血液型は血判状よりAB型と判定されています。

 

川中島合戦の宿敵である武田信玄公に塩を送られたとのことです。

信玄公の国は内陸で塩が取れず、同盟国である駿河今川氏真と関係が悪化して塩止めにあいました時に謙信公は「私は戦でそなたと決着をつけるつもりだ、だから越後の塩を送ろう」と、これに対して信玄公からは感謝のしるしとして「弘口」一振り(塩止め太刀)が届きました。この太刀は重要文化財になっているそうです。

 

日本外史」によると、食事中の謙信公は信玄公の死を知り「まれにみる好敵手を失えり世に復た,これほどの英雄男子あらんや」と箸を落として号泣されたとのことでした。

 

数年前のTVの番組で戦国武将人気ランキングで、並み居る武将の中で堂々と第二位を獲得されました。

私は、まだまだ日本人の眼力には確かなところがあるなあと感心したところでした。

 

毎年八月に、当地では『謙信公祭』が盛大に開催されています、以前には謙信公役にガクトさんも何回かなられ、かなりの人気ぶりでありました。

 

謙信公はまれにみる男の中の男を貫いた男が惚れる男ではなかったのではなかったでしょうか、またまた再度ほれ込んでしまいました。

 

最後に某歴史学者の方は【謙信公が少しでも権力欲があったなら越後の直江津「現上越市」が江戸(東京都)に代わり日本の首都になっていたのではないか】とおっしゃっておられました。

世が世であれば高田に住む私は今ごろ、タワーマンションのさなかに住んでいるかもしれませんでしたね。

 

 

3月12日 

日本映画の2作品がアカデミー賞を受賞されました。

第96回米アカデミー賞

長編アニメーション賞に 「君たちはどう生きるか

視覚効果賞に 「ゴジラー1・0」

 

携わられた方々に、敬意を表しまして、大変な受賞おめでとうございました。

日本人として、人間として、誠に尊敬し、誇りに思いました。

 

またまた荒れる春場所ですね、11日の取り組みですが。

大関霧島関が熱海富士関に敗れました。

大関琴ノ若関が朝乃山関に敗れました。

大関貴景勝関が阿炎関に敗れました。

 

大関豊昇龍関は錦木関に勝ちました。

横綱照ノ富士関は宇良関に勝ちました。

大の里関が豪ノ山関に勝ちました。

 

富山県出身の朝乃山関と石川県出身の大の里関が共に勝利されて北陸地方の方々は勇気をいただいておられるのではないでしょうか。

 

私のブログも昨日は「7」のカウントをいただきました、励みになります、ありがとうございました。

 

 

 

越後城下町 高田 徒然 「2-日枝神社」

越後城下町 高田

日枝神社を描きました。

 

3月9日AM 9時半より10日PM4時5分の出来上がりました。

 

最初に神社のアウトラインを描き、二本杉の木も同様に、そして空を描き、神社を、杉の木を、青竹を、寺町通りを、小石柱群と石垣を、道の奥を、描いて出来上がりました。

 

なかなか細かい作業でして難儀をしました。

 

一番難しかったのは石柱群の描き方でした、さすがにこの石柱に、刻んである文字についてはギブアップとしました。

 

石垣も試行錯誤で何とかものになりました。

 

道の奥には、わかりずらいと思いますが「赤と青の信号機が」描いてあります。

 

早春の青空と曇り空が混じり、しっとりして見えるところなども鑑賞していただきたいところです。

 

大きな杉の木の下の方には青竹が描いてあります。

 

杉の木の外形や早春の葉っぱの色合いなども鑑賞していただきたいところです。

 

我ながらグッドな構図を切り取り選んだかなあと自負をしているところです。

 

日枝神社』 ひえいじんじゃ

高田城鎮護の神、城下の総産士神として奉斎された神社であります。

社伝によれば、仁寿3年(853年)衾野(直江津の東)に国府鎮護の神として創建されたという。

同地に福島城が築かれたとき、地主神であることから、城中鎮護の神とされ、高田城築城に伴って城下寺町に遷座した。

 

御祭神

大山咋命・天照皇大神豊受大神建御名方命・宇賀之魂命

 

社格  旧県社

 

鎮座地

上越市寺町三丁目1-19

 

 

 

 

3月11日 昨日の大相撲は、荒れる春場所と言われておりますが、二人の大関と、横綱照ノ富士関が敗れるという大波乱が起きました。

それだけ皆様が切磋琢磨されておられ、猛練習の賜ともいえるのではないのかなあと思っているところです。

大関琴ノ若関は勝利を収めました。

そして、まだ髷のゆえない姿の大の里関は堂々の寄り切りで勝利されました。

 

風は冷たいですが、いいお天気なもので庭に出てみたら、植えた覚えがないのにあちこちに水仙の若芽が集団で出そろい、福寿草もようやくつぼみを持ち始めて、わずかに残った雪の塊と共存していました。

あれよあれよという間に日にちが過ぎ去り、この29日からは高田城址公園での観桜会が始まりますね、今年はお花見とともに、桜の花びらなどの私の絵画の題材として、待ちわびているところです。

 

『人様の上に立つ』

一般論ですが、総理大臣をはじめ、各大臣、そして会社の社長、町内会の役員、家庭を守る長、に至るまで、「人さんの上に立つ」と、おのずとその人間の力量や器の大きさなどが、いいにつけそうでないにつけ、ことごとくあからさまになりますね。

 

昔から、「能ある鷹は爪を隠す」と言われておりますが、多くの人たちは神輿を担がれるとその気になりますね。

 

賢い人たちは、考えに考えを重ねて、己がその任にふさわしいのか、またその任をこなす力があるのか等々を判断されて行動に移されておられ、軽はずみでその任を受けてはおられないように見受けられ、そうしなければならなく、またそうすべきなのでしょうね。

 

「絵画の展覧会の審査員」

かれこれ、そのたぐいの展覧会に40年近くも出品してきましたが、様々な審査をされる方々がおられましてね。

 

新潟県展、四季彩芸術展、勤労者美術展、上越市展、妙高市展、アークベル展等々の出品でした。

 

中でも特に審査をされ、ご指導をされる方々で尊敬しているのは四季彩芸術展での、東京芸術大学の名誉教授をされておられた、お二人ですね。

 

おそらく日本でのプロの画家を目指す方々のご指導をされておられたのだと想像を致しますが、審査については、平穏な気持ちで、会場を何回も何回も回られて、念には念を入れられての審査されておられることを、お聞きして、これほどの、一流の、キャリャ、力量、ノウハウ等々を兼ね備えての方々が、一目見れば作品の良しあしがお分かりになられるであろうと想像するのですが、その謙虚さや、後進を育てようとされておられるであろう気持ち、姿勢には尊敬と感動しかありませんでしたですね。

 

審査内容に関しても、責任感と自信に満ちておられ、作品に対しての、見せかけの部分などに惑わされることもなく、作品の隅々まで、くまなく針の穴まで見抜くように、鑑賞されて、この作者は何を語ろうとしているのかとかの心情まで察知され、最後まで審査される重大な責任まで背負われておられるのでした。

 

現地での、審査の講評では、一つ一つの作品に対しての、作者が気付かないところまでの長い解説の後で、作者本人との意見交換を、ここまでされると、もう作品を手掛けた方々は、賞や入選に関係なく、ここまで真剣に作品と対峙してくださったのかと、尊敬と感激とで、感動して、また次の作品に対しての、参考になりまた作品作りへの意欲にもつながり、これが真の指導者の姿ではないかと思いました。

 

小生なんかも、この時間に、私の作品で、○○の不具合を指摘されましたが、そういう部分を把握していながら、それより全体的に勝る部分が多く、推薦しましたとの、お言葉をいただいたことがありました。

この部分が、違うのだなあと勉強させていただきました。

たとえ話で象さんの、お鼻だけ見て触り、象さんというのは、鼻の長い動物だと、思い込み、胴体の大きさとかいろいろな部分の観察を、怠りそのように思い込んでしまうというお話がありましたね。

 

そして冊子の講評欄には、お二人の講評が、私見の部分を少なく、賞をいただいた一つ一つの作品に対しての講評をくまなく述べられておられ、出品された人々は何を求めておられるかを察知され、限られた紙面を有効に使われておられるのでした。

その内容についても的確に、作品を熟知してないといえないことまで、踏み込んで述べられておられるのでした。

 

これほどの一流の方々であらせられるのに、このお仕事に関して、真剣に、そして責任感を持たれて、なおかつ後進をいかに育てるかまで考慮に入れられての、姿勢には再度尊敬と感動を覚えているところです。

 

これまでの展覧会の審査について思うこと

多くの審査をされてこられた方々は、責任感を持ち、真剣勝負での審査内容であったと思いました。

 

しかし以下の事柄も目に、つきましたもので列記させていただきたいと思います。

 

某審査の後で、私の作品での審査員の講評時に、はっとされたようなお顔で「あ、!よく描いてあるね」、審査が終了してからですので、もう後の祭りでしたが、この展覧会の冊子には、私の作品の題名が描いてありこのような作品もありましたと、申し訳程度に書かれておりました。

 

某審査後の、私の作品の前での審査員の講評では、1分近い長い沈黙の後で「あなたはこのまま進みなさい」と、すぐにの講評ができないということは、作品に十分対峙されてなかったのでは。❔

 

某審査の後での、私の作品での審査員の講評ですが「あなたの作品は、わからない、勉強してきます」なんと投げやりな言葉でしょうかと思いました。

 

審査される方がたの力量

 

絵画での好き嫌いが激しく、最初からある種の先入観を持っておられ平常心で審査に望めない方は、もしくは、そのような作品しか評価判断ができない方は、望ましくないですね。

 

絵画について、いろいろな自分での思い込みが強く、平常心で判断ができない方も望ましくないですね。

 

セオリーをあまりにも重要視されて、作品を全体的に眺めて判断できない、いわゆる鷹揚さが欠けておられる方も望ましくないですね。

 

作品に対して問題点を探しまくるような審査も望ましくないと思います。

 

審査結果についてあまりにも人の目を気にしすぎておられる方も望ましくないですね。

 

作品の大小や、見た目のきらびやかさで判断される方も望ましくないですね。

 

作品を一目見て判断を下す方も望ましくないですね。

 

自信過剰で審査に対する、自分なりの強固な尺度を持ち合わせておられるのはいいですが、それにとらわれすぎて、ほかの部分が見えなくなることもあるので、審査の後で再確認されることが大事なことと思います。

 

熟見しないで、時間をかけないでの、審査は望ましくないですね。

 

抽象作品を特別視されて、吟味ができないのも望ましくないですね。

 

大変に巧妙で写実的な作品を理解できないことも望ましくないですね。

 

少なくとも、全作品を即座に講評できる具合の熟見した作品の鑑賞を望みたいものですね。

 

審査されるときの、ご自分の何らかの尺度をお持ちでいるのはいいのですが、それから外れたものはすべてオミットとして、例えばものすごくいいものを持っていたりしても習ってないので描き方がたどたどしかったりと、そういった作品を見逃してしまったり、またそういう作品をひろうだけの力量がなかったり、そういう方がたくさんおられると思うので吟味された方が望ましいと思います。

 

展覧会の冊子の講評欄に私見を多く述べすぎて、大事な作品の講評をおろそかにされるのも望ましくないですね。

 

いろいろと述べさせていただきましたが審査されるということは、重大な責任があり、そして広くは、良いところを見つけ指導して後進を育て上げる重要な機会でもあると思いますので、慎重に、丹念に責任と確信を持たれて、その任を果たしていただきたいものですね。

 

そして、その任に、及ばないとの自覚を持たれたなら辞退されるのも人の道ではないかなあと、それだけ出品者は真剣で、何か月もかけて、思いを込めて作品作りに励んでおられることと思いますので、そのぐらいの覚悟は少なくても欲しいものですね。

 

3月9日(土曜日)

春のセンバツ高校野球が3月18日より始まるそうですね、そして石川県より、日本航空石川と星陵の両校が出場されるとのこと、そして大相撲春場所大阪府立体育館にて明日10日より始まりますね、そしてやはり石川県出身の大の里関も前頭5枚目で出られますね、是非とも石川県のために頑張っていただきたいものですね、地元の方々の応援は計り知れないものと思いますね、これを励みに復興をも果たされていただきたいものですね。

 

3月10日(日曜日) 昨夜からの降雪予報は平野部で10cmとのことで消雪の水を出していましたが、ほとんど積もらなかったでした。

 

「クッキーとビスケットの違いは」

糖分と脂肪分を合わせた割合が40%以上のものをクッキーと呼びそれ以下のものをビスケットというのだそうです。

1971年に日本独自で定められたのだそうでした。

 

 

 

 

越後城下町 高田 徒然「1-旧師団長官舎」

越後城下町高田徒然「1ー師団長官舎」

1ー旧師団長官舎

 

この絵画を完成させるのに、かなり細かい作業になりまして大変に長丁場になりそうなので一つの物件ができるごとに紹介させていただこうと思います。

 

そしてその方が皆様に楽しみを、幾度も味わって、いただけるのではと思いましたもので。

 

第一回目は「旧師団長官舎」の絵画です。

3月7日AM10時より8日PM1時半に出来上がりました。

 

ただ今、3月8日の2時になるところですがこのブログを綴らせていただいております。

 

初めに赤紫の絵の具にて。各々の物件の境のラインを描きました、そして門柱より描き始め、そして街頭、空がらみの木々や建物のアウトラインを描き、空に向かいました、そして大きな松の木を、いろいろな木々を、手前の石垣を、そして垣根や、記念碑を、土間周りを、最後に建物を描き出来上がりました。

 

建物などをサラッと描き、あとは自然をたくさん描き、趣のある絵画になったのではないかなあと思っているところです。

 

空もほんのわずかに青空が見え隠れして奥ゆかしい情景にマッチしているのではなないでしょうか。

 

そしてまだ2月ですので丸竹で冬囲いがしてあるのも描写してあります。

 

全体の構図の中のほんの小さな空間の中で、旧師団長官舎の趣やら雰囲気やらの描写が難解な作業でありました。

 

むろんこの作品だけで一枚の絵画になりうるのですが、最初の趣旨の通りに構成させていただくことにいたします。

 

なお、この絵画は8分割にしてありますが全体で3号の大きさで描いてあります。

 

この絵画をクリックしていただくと、少し見やすくなると思いますので。

 

「旧師団長官舎」

明治44年(1910年)旧陸軍高田第13師団第3代師団長の長岡外史中将の邸宅とし南城町三丁目の建てられたもので、市内に残る明治期の和洋折衷の木造建築であります。

 

平成3年まで自衛隊高田駐屯地の幹部宿舎として使われてきましたが、明治の貴重な洋風建築保存のため平成6年以月に現在地(上越市大町二丁目3の30 )に移転復元されました。

 

平成6年1月の上越市文化財に指定されました。

 

令和2年改修工事をして、文化財としての趣を活かしつつ民間業者によるレストランとして活用されています。

 

3月8日 昨日新発田市まで用事があり、車で行ってきました。

ナビを入れ上越から新潟まで北陸自動車道で、そして聖籠新発田までそのまま日本海東北自動車道で、そして降りて7,8分のところでした。

片道で2時間半ぐらいでしたか、便利になったものですね、高速道路を利用すると、ありがたく、田中元総理のお顔がつい浮かんでくるのでした。

軽自動車でしたので料金も三千円少しで往復でも七千円少しですものね。

 

昨日はブログのカウントが、夜遅くまでいただきまして併せて「7」頂きました、いつもいつも開いてくださって感謝申し上げています。

 

 

『NHK』 愛するがゆえに

小生は昭和24年に生を受けたものでございますが、「NHK」を愛するがゆえに大変恐縮のこととは思いますが一言申し上げたくて、このブログを綴らせていただいております。

 

世間知らずの小生が、申し上げるのもおこがましいと思いますが、我々世代と前後にはおそらく数千万人と思われる人たちがおられると思うのですが、「NHKのど自慢」と「NHK紅白歌合戦」のことで、私見で恐縮なのですが、述べさせていただきたいと思います。

 

NHKのど自慢

昭和21年1月に第一回の放送が高橋圭三アナウンサーの司会にて行われ今年で77年目に入られるのではないかと思われます。

 

毎回ほとんど、この番組を見させていただいておりますが、だんだんと歌い手さんや、曲名がわからない曲が増えてきて、私自身が聞きたい歌がほとんどなくなり、不勉強の致すところで恐縮なのですが、このままいくと、この番組から、遠のくのではないかとの懸念がわいてきているところです。

 

毎回20曲ぐらいの歌声と思いますが、我々がなじみの深いいわゆる歌謡曲系とニューミュージック系とで、10曲づつを、交互にしていただくか、それとも前半と後半に分けて頂くか、こんなことを考慮してみたのですが、一考していただければありがたいなあと思っているところです。

 

NHK紅白歌合戦

1951年に第一回が開催されてとのことで80年近い歴史がありますね。

 

第一回 加藤道子  藤倉修一

 二回 丹下キヨ子 藤倉修一

 三回 本田寿賀  宮田輝

 四回 水の江滝子 高橋圭三

以上の方々の司会でありましたそうです。

 

小さなころから大みそかの無情の楽しみはこの番組を見ることでした。

当時は、往年の大歌手の皆様の出演で、どの歌もなじみの歌ばかりで、夢ごこちの時間でした。

 

今からかなり前から、だんだんと知らない歌い手さんと知らな曲が増えてきまして、年を重ねるごとに、その比重が大きくなり、この番組からしまいには遠ざかってしまいました。

 

最近は見ていないので大きなことは言えないのですが、やはり馴染みの歌謡曲系とニューミュージック系と、交互の演出か、一部二部三部に分けて、最初はニューミュージックそして歌謡曲、最後は交互にとか、等々の配慮をしていただけたならありがたいなあと感じたもので、これも一考していただけたならと思っているところです。

 

それと恐縮なのですが、歌い手さんの選考ですが、毎年違う方の演出なども興味深く

そして歌い手さんの方々も大変に励みにもなるのではないかなあと思ったもので、これも一考していただければと思っているところです。

 

素人が生意気な提案をと思ったのですが、どちらの番組も歴史のある国民的な番組と思いますもので、末永い番組の継続と発展を願いNHKを愛する一人として述べさせていただきましたが、失礼がございましたら、ご容赦くださいませ。

 

3月7日 今のところ雪も少し落ち着いているようで助かっていますね。

 

昨日は、新しくブログを入れましたら「7」のカウントをいただきました、もう少しで22000アクセスを達成できそうになりました、継続は力なりで頑張りますのでよろしくお願い申し上げます。

 

今日3月7日は「さかな」の日なのだそうですね。

 

「食器洗いのスポンジ」 やわらかいとこと、かたいところがありますが

やわらかいところは洗剤の泡をたくさん出すのに適している

かたいところは繊維が沢山交差しており洗うのに適している

そして収納はよく水を切って風通しの良いところへ縦に置いておくのが良いのだそうでした。

 

今夜7時ころより日本対欧州の世界野球がありますね、侍ジャパンの活躍が楽しみですね。

 

『高田城日本三大夜桜桜会』 今朝がた浄興寺へ墓地冥加料をおさめに行ったらこの華やかなポスターが貼ってありました。

令和6年今年は第99回で、3月29日より4月14日までの開催と記されておりました。

素晴らしい観桜会ですので全国の皆様のご来場をお待ち申し上げております。

それにしてもこの「冥」という字は難しい字ですね、この冠は、わ冠というのだそうで、読み方は「みょう・めい」と読むのだそうですね、パソコンで検索してわかりました。

 

先日、司令部通りと本町のT字路で右に駅方面へ曲がろうと信号待ちをしていたところカラスが何かくわえてきて、道路上に置いているのです、何台かの車はその上に乗らず、カラスが困ったような様子にみえたので信号が変わり私がよく見たら胡桃の

実とわかり、踏んであげようと試みましたが、確認できずに走ってきました。

何か、カラスの頭脳は人間の3・4歳ぐらいの知能があるそうですね、どこかで生き抜くすべを学習してきたのでしょう、割れていればカラスは喜んでいたでしょうかねえ。

 

3月8日 昨日はブログのカウントが就寝するまでなく、久しぶりに「0」を打つなあと思っていたら、今朝開いてみたら、昨夜遅くどなたかが開いていただけたのでしょうか「ぽつんと一つ」入っていました、ありがたい限りでございます、誠にありがとうございました。

 

朝方、TV を見ていて、某国の世情などが映し出されていましたが、再度述べさせていただきますが、永六輔さんも口が酸っぱくなるまで言われていました「叱ってくれる人がいなかったら、お金を出しても探しなさい」と、悲しいかな、助言してくださる方々を自ら排除してこられた結果なのでしょう、今からでも遅くはないと思いますので、気持ちを入れ替えて、いろいろな考え方を模索されて、そして軌道修正して最善の道を、正道を、人々の幸福を第一に考えて、突き進んでいただきたいものですね。