小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

越後城下町 高田 徒然 「4-金谷山」

 

越後城下町 高田 徒然「4-金谷山」

何がなくても高田には欠かせない金谷山の関連するスキー発祥の地のモニュメントを描きました。

 

高田での金谷山は有名な日本スキー発祥の地でありますので、この絵画の中央に、真っ先に思いうかび、配置させていただきました。

 

前述しましたが、このモニュメントは金谷山の入り口にあり、山麓線の際に存在しています。

 

3月12日AM8時40分よりPM2時40分に出来上がりました。

 

空がらみのアウトラインを描き、空を、フェンスと塀がきを、冬木を,レルヒさんを、最後にスキーと雪の結晶を描いて完成しました。

 

紙面の都合上、これだけは入れないとのギリギリでの構図としました。

 

空は、この絵画上、冬空がふさわしいのではないかと冬空の厳しさを表現してみました。

 

スキー板には左から、日本スキー発祥記念館そしてその下には金谷山と、そして右側には日本スキー発祥の地と記されています。

 

黄色のモニュメントは、レルヒ少佐のキャラクターです。

 

スキー板と雪の結晶とレルヒさんと、描かれている文字等は込み入っていて大変でした。

 

金谷山

上越市にある山で標高は145メートルです。

 

日本スキー発祥の地

金谷山は、明治44年(1911年)オーストリア・ハンガリー帝国(当時)の軍人テオドール・フォン・レルヒ少佐によって、日本で初めてスキー術が伝えられたスキー場です。

そして一般では日本で最初のスキーに乗られたのは北城高校の女性徒さんでしたとのことでした。

 

金谷山スキー

日本スキー発祥の地の歴史あるスキー場で、ゲレンデはコンパクトですが最大斜度27度という上級のハードなバーンもあります。

山頂からは高田平野が一望できます。

 

日本スキー発祥記念館

この山の上にあり、日本スキーの歴史年表や当時の用具、レルヒ日少佐の遺品類など貴重な資料が展示されています。

 

レルヒ少佐の銅像

やはり山の上にあり、1960年12月に戸張幸男さん作にて、高田平野を見守るがごとくに存在しております。

台座の高さが7メートルで、像の高さは3メートルで、像はレルヒ少佐が軍服姿で竹の一本杖でスキーに乗られている立像です。

 

3月13日 

昨日3月12日は「サイフ」 財布の日だそうでした。

 

「新ニーサ」 仮定の話ですが、以下になるそうでした。

1万円を20年預けると利息が約220万円になる。

2万円を10年預けると利息が約90万円になる。

 

「投機」と「投資」

投機は、短期的な利益を追求する。

投資は、長期的な利益を追求する。

以上の違いがあるそうでした。

 

「高田城址公園観桜会

上越タイムス紙に、お花見のぼんぼりが取り付け始められたとの報道でした。

夜のとばりが下りたころのあの何とも言えない情緒がいいですよね。

今から楽しみにしているところですが、待ちわびているときが最高にハッピーですかね。

 

今日の大相撲は圧巻でしたね。

遠藤関、大の里関、朝乃山関が皆さん勝たれました。

大関霧島関が敗れ4敗となりました。

横綱照ノ富士関も敗れて2勝2敗になりました。

 

3月14日 今朝5時半に起きて新聞を取りに玄関へ行ったら外が薄明るくなったのを初めて感じて、新鮮な気持ちになり、嬉しさがこみ上げてきました。

昔の人は言っておられましたね、昨年の12月25日ぐらいからでしたか、ほんのわずかですが毎日毎日畳の目ひとつづつ朝の明るさが来るのが早くなると、そして夕刻もだんだん夕暮れの来るのが伸びてきていますものね。

 

高田城址公園の桜の開花が4月1日で満開が4日でしたか5日でしたか桜情報が出ましたね。

桜の赤みを帯びたつぼみや薄桜色の満開の花びらを早く見たいものですね。

 

今日はホワイトデーですね、私事ですが早々にお返しをさせていただきましたもので、安堵しているところです。

 

3月15日 今日は17度まで気温が上がり上天気になりそうですね。 

 

横綱照ノ富士関が王鵬関にやぶれ2ー3になりまして、大関霧島関の初日が出て1-4の成績になりました。

 

「TVの特別番組」 いつもの決められた番組を見たいのですが、なぜか特別番組が放映されるのです、この手の番組で小生は見たいと思うのはせいぜい数パーセントぐらいでして、お叱りを頂戴するかもしれませんが小生にとっては無用の長物なのですが、皆様はどう思われておられるのでしょうか。