私が生まれ育って74年もの間お世話になった(正確には高校卒業して約3年半ぐらいは東京での就職生活で離れていましたので約70年でしょうか)高田のことを単純に描きたくなり、また高田の良さなども皆様に知っていただきたい思いもあり、制作に至りました。
2月28日のお昼に隣町の妙高市のレストランMベアーにステーキを妻と食べに行き、その足で、あらかじめ準備していた手順で取材に行きました。
朝から天気が思わしくなく、あまり湿ったような取材はどうかと思っていたところ、食事中に店内にお天道様の薄明かりが入ってきてこれはラッキーと思ったのでした。
日枝神社ー浄興寺ー金谷山ー榊神社ー師団長官舎ー高田城址公園ー大町5丁目の雁木-春日山 の順番でした。
この度は、あまり片ぐるしくなく、そこの本丸や建物本体などの描写ではなく、さらっと樹々などの自然や周りの景観などを入れたアングルに心がけました。
午後の1時ころより1時間半ぐらいの時間の経過でした。
一か所での写真取材はせいぜい7,8枚ぐらいに収めました。
取材した写真を物件ごとにまとめそれぞれを輪ゴムで分けまして、それを吟味の上で、スケッチブックの紙一枚に、どのような構成にするか,ざっとレイアウトしてみました非常に難解な作業でした。
どの部分も描きたいし、景色の具合で横伸びなものと縦伸びなもんなどがあり、どれも特長を生かしたいし、春日山は一番上に、そして高田城址公園は広がり底辺にと、スペース的にも平均にしたいしと、熟慮いたしました。
それを見ながら本紙にて作業にかかりました。
2月29日PM3時27分より3月4日AM 9時36分に素病が完成いたしました。
金谷山のスキー発祥の地のモニュメントを最初に手掛け、構図の割り振りのラインを大まかに決めまして師団長官舎、日枝神社、春日山、榊神社、高田城址公園,浄興寺、雁木の順番で描きました。
そして途中で、物件ごとの境のラインも少しづつ明確に描きました。
以前は定規を使うのは邪道だと思い一切使わなかったのですが、まして細かい作業ですと形にならないもので、やむなく使っています、ですが絵筆の時には手書きになるので変に納得しているところがあります。
一つ一つ漫勉となく紙面の都合上描けないので、これはと思うところを描いてあります。
スキーのモニュメント(真ん中)は金谷山の入り口にあり、山麓線の際に存立していますバックはコンクリートの塀がきが描かれています。
日枝神社(左下)は、寺町通りよりの神社の裏面が、そして寄贈され記名入りの石柱が石垣の上で連なり、寺町通りが、そして左には神社の一部が、そして寺内の大きな杉の木が、描かれています。
師団長官舎(左上)は大町通りからの入口の門と右の施設名、バックに、樹々をその向こうに官舎が描かれています。
春日山(真ん中上)は、山頂付近を切り取りました。
ここは春日山の独特な特徴のある松の木々で一目でお分かりになられるのではと思っているところです。
榊神社(中右)は入口の鳥居と場内の松の群生が描かれています。
特に歴史があるであろう松の大木を強調してみました。
高田城址公園(中下)は西堀の赤い橋を公園の方に向かい描かれています。
橋のたもとには記念の石碑が、そしてお堀には昨夏の蓮の残り香が、橋の向こうには特徴的な松の木々をそして見える建物は小林古径記念館を、春には薄ピンクの桜の花びらが、そろい咲きするのでしょう、お花見もまじかになりましたね。
そして中央の奥には三角の厚生会館が過去に存立されていました。
浄興寺(右上)は入口の寺院の正門とその奥には本堂が描かれております。
右側には煩悩と書かれた立て看板が、そして正門の上部には浄興寺本堂の記名が左右の奥には葉の落ちた木々が、そして奥には本堂が厳かに描かれています。
雁木(右下)は雁木の中に入り北の方角に向かい描かれています。
通路には水道メーターや下水道の公設マスなどが左側には雁木の木の柱が電信柱が、雨どいが、そして上部には雪下ろし用の雪とよがのっていて、上は雁木の屋根裏が、右には家庭の入り口が、そして電気メーターなども描かれています。
この大町5丁目は、私が生まれて13歳の春まで住んでいたところでして、60年以上たっているのに、まだ住まいのところ番地まで明確に覚えているのです、それだけ楽しかった少年時代のことや、いろいろな愛着などもが残っているのでしょうね。
いずれも城下町高田の令和6年2月の28日の情景です。
精一杯制作したつもりですので、この絵画をクリックしていただいて、大画面にて、ご鑑賞されてみてください。
まだまだ、いろいろなところがたくさんあり、季節感等による変化や、老舗や旧跡や偉人等々も存在し、ここに描いた題材はほんの私見に基づいたものですので、ご配慮くださいませ。
私は越後城下町の高田を背負って立つつもりは毛頭なく、でも、こんな素人画家もおったのだということで、作品が残ってくれたならなあと、淡い念願をしているところであります。
色々述べさせていただきましたが、少しでも共感されるお方がいらっしゃれば幸いでございます。
これからこの絵画の色彩に入りますが、精いっぱいの努力をして制作に励みたいと思っていますので、完成した暁にはまたご覧になられてみてください。
制作に関しては最初から手が震える思いですが、たかが至夫の作品、されど至夫の絵画として向かいますので、ご期待くださいませ。
3月5日 昨日は何回かの雪の又司をしました。
メーン道路の除雪車も来ましたので、我が道との境に置いて行った雪の片付けもありました。
まだ雪に対しての油断はできないですね。
ブログにまたまた「20」という、大きな大変な数字をいただきました。
これを励みに精進して頑張りたいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げます、ありがとうございました。
「本マグロ」とはクロマグロを言うそうですね、勉強になりました。
マグロの王様とかクロダイやとか言われてるそうですね。
「カジキマグロ」という魚はいないのだそうで、カジキとマグロはまったく別の魚なのだそうです。
「カジキ」 幼いころから、お刺身といえばこの魚だったもので、今でもスーパーなどでこのお刺身を探して食べています、あの包丁のキレキレの舌触りが最高ですね。
そのころは近所の魚屋さんに大きめのお皿をもって、お刺身を買いに行き、お店では威勢のいい若い衆が手際よくさばいてくれ、そして新聞紙で覆ってくれて家に持ちかえったものでした。
お昼にイオンで、かき揚げそばを食べた後で、今制作している絵画の確認のために、2,3スケッチに行き、たまに金谷山を見たくなり、自販機で缶コーヒーを求め上の駐車場へいき車を止めて雪山を眺めていたら、子供のころにスキーに来て昼食に食堂でラーメンを頼み、持参したおにぎりと一緒に食べて、おいしかったことなどが浮かんできました、そうこうしているうちにうとうとしてしまい、まどろんだ時間を久しぶりに味わいました、人生の一ページですね。
そういえば、イオンのフードコートで、お一人の、おつな某方を見かけました。
4人掛けのテーブルの上に紙袋に入った、どこかで仕入れたお弁当ですか、それとおつまみもですか、二合瓶を片手に備え付けの紙コップの中にお酒を注ぎ、そこいらを眺めながらゆっくりとゆっくりと、たしなわれておられました、つい微笑んだら、向かいの妻が「どうしたの」とのことで教えてあげました。
なるほどなあと、部屋で一人で飲んでいるよりか、ところも変わり気分がいいのではないかなあと感心したり、自分もやってみたいなあと、でも下戸の私は無理ですか、私には何よりな心の「贅沢三昧」ではないかなあ、それこそ人生を謳歌されて「幸せ三昧」ではないかなあと思ってしまいました。
3月6日 今日は病院での定期検診の日でして、なぜか5時に目が覚めまして、そのまま起きてしまいました。
ただ今5時15分になるところですが、ブログを見たり、そして綴っています、昨日は「6」のカウントをいただきました、ありがとうございました。
用が済んだら、あたたかい珈琲でもいただきながら、高田の絵画の制作をしたいなあと思っています、わくわくする気持ちと、苦難に対峙する気持ちが交差しているところですが、なに、命までどうのこうののことではないので、『ケセラセラ』の精神で、頑張りたいなあと思っているところです。