小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

秋空に頚城平を見下ろす謙信公

秋空に頚城平を見下ろす謙信公

10月19日 よく晴れたAM10時半ごろに出かけました。

 

上越病院の近くより謙信公大橋を、そして春日山の麓から春日山を、中腹に昇り最後に石垣の上の謙信公を取材しました。

 

この作品は、「春日山」と「謙信公の銅像」と「謙信公大橋」を組み合わせ

描いてあります。

どのように自然に組み合すかが、課題で難解でした。

それぞれが主張できバランス良く描けたかなあと思っています。

 

春日山」 頂上付近の松の木々の間から透けて見える空が特徴で、

      いつ見てもすぐわかり特徴的な山です。

「謙信公の銅像」 春日山の中腹で春日山神社の脇にあり高い石垣の上に

         凛々しく存立しています。

「謙信公大橋」 謙信公大通り(県道43号線)の関川に架かる橋です。

                            上越市を車で訪れた方なら、あの黄色い橋だとすぐにお分かりに  

        なられると思いますね。

 

制作にはスケッチから完成まで10日かかりました。

 

スケッチの後で鉛筆書きの上から薄い黒色で全部あとなぜしました。

空を描き謙信公の銅像部分の石垣、銅像、松の木を、そして大橋を

その後春日山を、そして大橋を再度色塗りをし、最後の河川敷ですか手前の

木々そして広場を描き完成しました。

 

空は、好天の秋空を気持ちよく描かせてもらいました。

おおらかの謙信公のように青空に白い雲をのびのびと浮かべてみましたので、

味わってみてください。

 

謙信公は、難しくて奥の手として写真を切り抜きそれを本画にあてて、あとなぜして

外形を描き、やっと、それなりの銅像を描くことができました。

ほどよい大きさの謙信公の写真があったものですから。

謙信公の銅像を描くのは二度目ですが、デッサン、色合い顔の目鼻など難しかった

でしたが、顔の表情は、初めてそれなりに描くことができました。

そして謙信公の立像だけでは趣が重厚さが欠けると思い脇に、どっしりと松の木を

添えさせてもらいました。

何気なく描いてある、この松の枝葉の美しさも味わっていただきたいと思います。

謙信公をよく見ると目線が甲斐の武田信玄公の方に向いているようにも見えますが

思いすぎでしょうか。

 

春日山は、特徴的な頂上付近の表現が難解でした。

特徴を強調して、あえて強い色合いを付けずに、描いています。

最初に空の色で松の木の透かし部分を表現していたのですが、はっきりした対比が

分かりにくく、再度少し明るくしました。

皆様はこの景色を見て春日山だとすぐにお分かりになられたでしょうか。

山の木々もだいぶ秋色に染まって見えました。

いつか春日山を訪れた際には、小生のブログを思い出していただいて特徴的な

春日山の山を眺めてみてください。

 

謙信公大橋は、アーチの形状がひな形がなく試行錯誤で何回か手直しをして

この形にしました。

黄色の色合いは、明るい色でデフオルメしました。

アーチを支える斜め状の支柱部分は手前と奥の二重になっています。

再度言及しますがアーチと支柱部分は二度塗としました。

 

河川敷と思われる部分の木々は秋色に彩られていて、木々の影がアクセントに

なっていて絵画に趣を与えてもらいました。

広場には低層の草が一面に黄緑色で素敵な彩りでした。

 

上杉謙信公の凛々しい銅像春日山そして謙信公大橋、おおらかな秋空を

そしてどこか牧歌的な風情なども味わい堪能していただけたなら

嬉しい限りです。

 

なんとこの作品が思い出シリーズの記念の100作品目になりました。

今年は、この作品で15作品を描くことができました。

これからの年月で、どのくらい伸ばされるか楽しみにしているところです。

ご期待していただきたいと思います。

 

画面をクリックしていただいて大画面で楽しんでください。

 

近況

だいぶ寒さが肌で感じられるようになり、暖房がなくてはならない季節になってきましたが、我が家のピンク色のシュウメイギクのあとに、白色の花が咲き誇ってきました。

リンドウの鮮やかな青紫の花も薄目を開けたように咲いてきました。

庭木の水やりも、お天気の合間をぬって花木の顔色を見てあげています。

 

つくづく感じる人間の愚かさ

自分自身をはじめ、近所、町内、日本国、世界 どこを見渡しても冷静な判断が

出来なく、遠くを見通すこともできず、長生きしてもせいぜい100歳位なのに

どうして、いがみ合ったり、自分のことばかりを優先したり。相手を思いやったり

することもできなく、なんと愚かな動物なのでしょうかねえ。

ほんの少し考え方を変え、思いやることができれば

みんなハッピーに、なれると思うのですが。

勝利者ばかりの世の中になれば、もっと競合が激しくなり終わることがなく永遠に

争うことになると思うのですが。

わかっているのかわからないのか、惰性なのか、悲惨ですね。

この文明の発達した世の中で日本の戦国時代と同じようなことを繰り返し、

信じられませんが、どうみても知恵のある人間のやることではないと思うのですが。

何を学んできたのでしょうかねえ。

大きな声を出す権力者が大手を広げる世の中は、もうたくさんです、いい加減にして

もらいたいものですね。

 

開き直っての蛮行の数々、恐ろしいのは、大変なことが常態化して、驚かなくなり

それに輪をかけての蛮行の連鎖ではないでしょうか。

真顔での虚位と思われる弁明等の数々、とても人間の所作とは思われない

言動です。

これらが常態化すると、個人、国、世界の常識が崩れ、無作為に何でもありの日常に

なり破滅するのではないかと非常に心配し危惧しているところです。

 

小生のブログの雑記の中の「峠」で、江戸時代末期の越後長岡藩家老であらせられた

河合継之助ですが、最後まで侍の礼節を守り通し、それを誇りに思い、守り通した

ことが無上の、これ以上ない喜びと感じ、身辺整理し、配下や近親者の身の振り方

まで指南し、長岡藩がのちの世に笑いものにならないように配慮し、そして庭に

薪をくべさせて燃え盛る炎の中に身を投げ出され生涯を閉じられました。

死を前に恐れおののくこともなく、相手方から自身の首を取られる心配までし

爽やかな喜び笑みまで浮かべ、最後の侍と言われた河合継之助の若干42歳の

生き様、生涯でした。

常人では、とてもでないですが到達できない生き様と器の大きさ、そして侠気

けた違いに違うのでしょう。

越後の偉人に敬意を称し、ほんの少しでも見習いたいものです。

 

このブログの我が郷土の上杉謙信公ですが第一義を掲げて、強きをくじき弱きを助け

損得をいとわず困っている人々を助け、藩の財政にも心配りをし、暮らしぶりにも

配慮し、人民からの絶大の信頼を得て、越後の龍とあがめられ恐れられ

敵方の海のない甲斐の武田信玄公が塩がなく困っていると聞いて塩を送った話は

有名です。

そして敵将の信玄公が亡くなられたと聞いて食事中の謙信公が無念と箸を投げ出し

号泣されたとのことでした。

なんという思いやりの広く深い侠気(男気)なのでしょうか。

器も違いますね。

 

ある方は謙信公が権力欲があったなら江戸に代わり直江津が日本の中心になっていたと

思われますと真顔でおっしゃっておられました。

我が郷土には素晴らしい偉人がおられました。

またしても度量の違いを感じ見習いたいものと思っています。

 

よこしまな争いがなくなれば、それらにかかわる莫大な費用を、あらゆる人のために

あらゆることに使え、地球の環境問題にも将来のための蓄財にも、充てることができ、

健康的で平和の世の中になると思うのですが。

健全な将来を構築していく知恵そして力量、器がないのでしようか。

あまりにも哀れで疑問に思うことばかりです。

人間に通信簿を、つける基準があり、公につけれられることができたなら世の中だいぶ変わるのではと、切に思うのですが。

それから疑問に思うことですが日本国で言えば法律を作り国民に、それを指示される

大事な役職の国会議員になぜ国家試験制度がないのでしょうね、いつも不思議に

思っていますが。

というのは、基本的で根本的なことが、わかっておられるのか疑問に思うことが、多々

見受けれれるものですから。

 

昭和45年(1970年) こんな歌がありました。

「傷だらけの人生」 作詞(藤田まさと)作編曲(吉田正)歌(鶴田浩二)

♪ 「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しがるもんでございま 

 す どこに新しいものがございましょうか 生まれた土地は荒れ放題 今の世の中

 右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」

 

 何から何まで 真っ暗闇よ 筋の通らぬことばかり 右を向いても左を見ても

 馬鹿と阿呆の絡み合い どこに男の夢がある  

 

  真っ平ごめんと 大手を振って 歩きたいけど歩けない いやだいやです

 お天道様よ 日陰育ちの泣きどころ 明るすぎます おいらには  ♪

 

当時私は二十歳ぐらいの若者でしたので、わかったようなわからないような歌詞

でしたが、なあに今では、地で行くような世の中、本当に困惑している

ところです。

 

身近では車を運転していても、譲り合いの精神も薄れ、相手よりの親切に笑顔もなく

挨拶もなく、余裕がないのでしょうか、困った社会になってきたものです。

 

11月10日  この作品を見られた方から「アーチ橋と支柱部分の二度塗りは正解だったね、この部分が浮いて(くっきりと)見えて、良かった」とのコメントを

いただきました。

有難く、いろいろな見方があり、作品作りに生かしていければと思っている

ところです。