小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

レルヒ少佐に思いをよせて

親しくさせていただいている方より「日本スキー発祥110年記念・レルヒ少佐と高田の友人たち」の鑑賞会の招待券を頂いていました。

そして、令和3年8月7日 AM11時より学芸員の方による解説会に妻と上越歴史博物館に

行ってきました。

 

高田は現在の新潟県上越市のことです。

この上越市は今から何十年か前に高田市と直江津市が合併してできた市です。

昔は雪の下に高田ありと言われていましたそうです。

それだけ雪が深かったのでしょうね。

上越市北方にある岩野原葡萄園では深雪花という名の、おいしい

ワインもあります。

 

明治44年(1911) 1月12日に日本で初めての本格的なスキー指導が高田の

陸軍第13師団歩兵第58連隊でおこなわれました。

スキーの指導はオーストリア・ハンガリー帝国のテオドール・エドラー・フオン

レルヒ少佐でした。

そして、軍隊の視察を目的に明治44年1月5日より45年1月24日の一年余り

高田に滞在されました。

 

レルヒ少佐は自国の軍人では大変なエリートでいらっしやったそうで日本でも

国賓級のもてなしを受けられておられたそうです。

 

学芸員の方の丁寧で熱のこもったレルヒさんと高田の皆さんとの心温まる

交流の、お話を聞かせてもらいました。

解説は1時間15分ぐらいでしたが、聞きほれましてあっという間の時間でした。

そして、最後に学芸員さんの締めのあいさつの後で20~30人位の同席した皆様

の盛大な拍手で終了しました。

いろいろな説明をわかりやすく熱っこく丁寧に、心温まるお話を有難く感謝の気持ちで

聞かせていただきました。

 

レルヒさんの絵画・ポシェット、シガレットケースなどの私物・高田の人たちとの写真・高田の人たちへのメッセージが描かれた額・高田の祇園祭などの風物写真・

日本での行動年表などが掲載されていました。

 

日本で最初にスキー授業が行われたのは県立高田北城高校の女性徒さん

なのだそうです。

当時は大変な、日本国中からの憧れの的だったそうです。

 

 

その後、高田ではスキー工場がたくさん出来て日本のスキーの制作の

大半を賄って隆盛を極めていたそうです。

 

 

上杉謙信公のお城があった春日山へ片桐文邦画伯と5月のよく晴れた日に

二人で出かけ同じ場面を描いた写生会をされて、お互いの作品の交換をされ、

その文邦の絵画を生涯、自室に飾られておられたそうです。

 

岡倉天心画伯の子息との妙高山への登山も楽しまれましたそうです。

 

帰国後にレルヒさんより自筆の絵画などが高田へ送られてきまして、お返しに

高田の人達よりの感謝を募った寄付のお返しがされました。

レルヒ少佐はスキーの指導をはじめオーストリアと日本の交流の橋渡しの

役割をも果たされて、なおかつ一年余りの高田での滞在にもかかわらず、

大変な功績を残されました。

大変な勉強家でもあり品格のある常識人でもあられました。

心平らに高田の人たちに接して頂きまして、また高田を愛していただきまして

感謝に堪えません。

ありがとうございました。

 

役職を全うされて、そのうえ人々との温たかい交流など積極的な活動までされ

人々に尊敬され、すばらしい人生を歩まれたのではないかと思いました。

親御さん、あらゆる人生の師にも恵まれ勉学にも励まれたのでしょうね。

見習いたいものです。

 

上越市高田では金谷山という小高い山のてっぺんにレルヒ少佐の軍服をまとい

スキーを履き一本杖のお姿の大きな銅像が我が頚城平(高田平野)を見渡されて

守り神のように建立されています。

山の入り口に「日本スキー発祥の地」金谷山スキー場 そしてレルヒさんのマスコット

と一緒に大看板として表示されています。

そして、山の上には日本スキー発祥記念舘として赤い屋根で白い外壁の

資料館があります。

そして毎年二月に市民を挙げて「レルヒ祭」が行われています。