小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

がんこ浜と小川未明先生ー66

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がんこ浜と小川未明先生ー66

上越市の日本の父の三人目は、日本児童文学の父で、あらせられる 

小川未明先生を描かせて、いただきました。

左下には、先生の書斎を、その上には、生誕の地の石碑を、そして中央には人魚の

銅像を、右側には、春日山神社の  「雲の如く」の石碑を、その上には

在りし日の先生を、背景には、雁子浜の砂浜と春の海と空を描いてあります。

 

1882年4月7日 高田(上越市)に生をうけました。

旧制高田中学(現 高田高校)へ

東京専門学校(早稲田大学の前身)を出られました。

処女作の「漂浪児」を、はじめ、代表作に「赤い蠟燭と人魚」を発表され

その他、数多くの作品を残されています。

そして中学以来の学友には相馬御風先生がいらっしゃいます。

 

先生は、「日本児童文学の父」 「日本のアンデルセン」として有名です。

そして、児童文学界の三種の神器として浜田広介 坪田譲治さんと共に知られて

います。

 

先生の、お名前は「みめい」ではなく「びめい」と読まれる、そうです。

 

取材について   令和2年

5月3日 午後、最初に上越市幸町の先生の生誕の地を訪れ、そして、近くの

先生の案内標識に写っている、在りし日の、お姿を取材して、山麓線、ルート8

を進み犀潟駅の信号を左折して浜線を、うのはま温泉方面に向かい、途中で

何人かに、お聞きして左折したら海が見え、砂浜の中に美しい人魚の銅像

ありました。

ここは雁子浜で、穏やかな春の海でした。

ザーザー サーさー サーさー と静かな波音でした。

雁子浜は上越市大潟区にあります。

雁子浜の砂浜は海まで20メートル位もあり,波打ち際に向かうと、ふわんとして

まるで山羊の背中を歩いているようで革靴が埋まりそうでした。

 

 この人魚像が先生の作品のモデルになったのではと、言われています。

そして、哀愁おびた海辺より戻り春日山へ向かいました。そして到着しましたが、

コロナウイルスの影響で、上まで上がれず、134段の石段を息を切らせながら

登り、春日山神社に。お参りして、先生の 『 雲の如く 』の取材をしました。

 

「 雲の如く高く くものごとくかがやき 雲のごとくとらわれず 」と言う

  有名な詩碑です。

 

資料館は、休館でした。

そして閉館していた高田図書館が5月11日に開館したので、中にある記念館の

先生の再現されている書斎を取材しました。

これで取材が完了しました。

小川未明先生は、まさに上越市が誇る偉人で、いらっしゃられると

思いました。

 

私事ですが

 「悲しき願い」 尾藤イサオさんが歌って、おられました。

♪ 誰の せいでも ありゃしない  みんな 俺らが 

          悪いのか           ♪

絵画の小作品は、絵より写真にするまではよいのですが、プリンターより

パソコンに移した時に、絵が、ぼやけたり、微妙な色合いがなくなったり

絵のサイズが側で、だいぶ、そがれたり、皆さんに、いいにつけ、わるい

につけ、ありのままに伝わらないのが、作者として非常に心苦しく残念で

なりません。

本当は、実物を、お見せして、ご批評を、賜りたいのですが。

 

5月22日  本日 初めて 発見したのですが 普通に 見ていると

画面が 薄く見えるのですが パソコンを 下のほうから 覗き込む

様にすると だいぶ はっきりと 絵が 見えて きました。

ご面倒でも やられて みて下さい。

 

この作品は、3号の大きさで、描いています。

取材したものを、だいたい入れて組み合わせて、制作しています。

メーンの人魚像は、デッサンが、難しく、下がきを何度も

修正して仕上げました。

未明先生の、お顔も、大変でした。

鉛筆の下がきに三日位、絵の具での仕上げに一週間位の時間が

かかっています。