小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

鵜の浜温泉(がんこ浜)の「人魚像」と小川未明先生

新潟県上越市大潟区鵜の浜海岸(がんこ浜)の砂浜の中に『人魚像』の記念碑が存立していましたことの、お話です。。

 

この伝説の由来は

若い男が母と二人暮らしをしており、親同士が決めた許嫁が、おりました。

しかし、毎夜、佐渡から、男の地元の住吉神社の常夜灯を目印に海を渡ってくる美しい女性と恋仲になりました。

女性は毎朝、夜が明けるころに寂しそうに佐渡に帰っていくのです。

ある晩、母から「一日くらいは許嫁と過ごしても良いのではないか?」と言われ、神社の常夜灯をともすことなく家で過ごしました。

翌朝、男は地元の漁師が、騒いでいるのを聞いて見に行ってみると、そこには佐渡の女性の遺体がありました。

女性の顔は、恨みがこもっていたといいます。

村人は同情して、のちに二人の遺体を、この常夜灯のそばに埋葬して、比翼塚と呼びました、いつしか人魚像と呼ばれるようになりました。

 

1月20日(土曜日)の読売新聞の上越よみうりに『大潟区鵜の浜海岸の人魚像が、あわや津波の犠牲に』と掲載されていました。

年々海岸線が侵食にあい、記念碑が波打ち際に近づいていて日本海の荒波にさらわれるのではないかと昨年の12月6日に仮に撤去されたのだそうでした。

この度の能登半島地震津波に当地区もあい、この処置のおかげで難を逃れたのではないかとのことでした。

 

私も令和2年5月3日に、この人魚像を取材して、このブログの、思い出シリーズの中に『がんこ浜と小川未明先生ー66』という題で、絵画を描かせていただいているので、よろしかったら、ご覧になられてください。

 

そして、あの美しくて上品で、均整の取れた身体、そしてまた美しすぎる絶世の「人魚像」をぜひともご覧になられてみてください。

しかしこの人魚像は、あまりにも美しく、どこかの女性をモデルになさったのでしょうかね。

 

私が取材した時には波打ち際から20メーターぐらいの砂浜があり、記念碑までも10メーターぐらいあったと、記憶していまして、さらに海には岸から10メーターぐらいのところに波消しブロックが設置されて万全の態勢だと思われていましたが、わずか数年の間に、恐ろしいものですね。

 

今でも。あの日本海の繰り返すザーザーという波音や、なまめかしい人魚像を、やさしく一筆ごとに描いた記憶が鮮明に浮かんできています。

 

そして人魚像は、確か銅製でしたか、人魚の長い髪から顔、そして全身が、ほどよく、ところどころに緑青が出てきたのでしょう、これがまた、何とも言えない魅力が増していて、これぞ伝説の人魚という感じで、素敵でした。

 

小川未明』先生は、童話作家等々のご活躍をされた上越市(旧高田市幸町)の、ご出身で、旧高田中学(現高田高校)より旧東京専門学校(現早稲田大学)を出られ、「日本児童文学の父」「日本のアンデルセン」とも称されておられ、【赤い蠟燭と人魚】でも有名で、前述のお話の人魚が、この童話のモデルになったのではないかともいわれており、上越市春日山神社の境内に、先生が読まれた、かの有名な【雲の如く】という黒御影風の立派な石碑が築造されています。

【雲の如く】

雲の如く高く 雲のごとくかがやき 雲のごとくとらわれず

 

なんという言葉の奥ゆかしさ、響きなのでしょうね。

 

未明先生の名前の読み方は「みめい」ではなく「びめい」と読まれるのだそうでした。

 

最後に人魚像の記念碑を、どこに移されるか等々は現在検討中とのことでした。

 

またどこかに移されるのでしょうが、美しいそして、なまめかしい人魚像に是非ともお会いしに出向きたいなあと思っているところです。

 

1月20日 夜の7時になるところです。

ただ今夕飯を済ませて、少し手持無沙汰になったもので、ブログにむかっっているところです。

本来なら、このような時には、ネット将棋をするのですが、元旦の悪夢が、よみがえってきて、手が出ないのです、私だけが我慢をすれば、大事には至らないのでは、ないかと、かたくなに思っているのです。

というのは、ちょうどその時間に、まさに、ネット将棋をしているときで、大地震が来て、すぐに投了しましたが、そのことが強く頭によぎるのです。

 

何とか余震も収まって、くれればいいなあと、そして、皆様の、お力で、元の生活ができるようにと、願っているところです。

 

お言葉のかけようもないですが、皆様が、見守っておられることと思いますので、一歩一歩前にお進みいただき、頑張っていただきたく、思っているところです。

 

1月21日(日曜日) 今日は、どうも雨の一日になりそうですね。

 

昨日は、大相撲で前頭4枚目の正代関が横綱照ノ富士関に圧巻の勝利でした、強かったですね、この調子で、また昇進してほしいものですね。

 

そして、両国国技館での石川県出身の「大の里関」、富山県出身の「朝乃山関」への、名入りのタオルが波立って、そして拍手が鳴りやまないほどの大声援、能登地方の方々は、さらに大応援をされておられ、元気や勇気をいただいておられるのでしょうね、新潟県に住む小生なども、声援を送らせていただいて、さらに頑張っていただきたい気持ちでいっぱいです。

石川県出身の「遠藤関」にも頑張っていただきたいものですね。

 

人間には、生きていく上で、やはり張り合いというものが必要ですものね。

 

新聞では、あちこちで「さいの神」が、行われているようですね、私らは、子供のころから「どんど焼き」と、言っていましたが、あの燃え盛る炎で,是非とも厄払いをしてほしいものですね。

 

1月22日 明日から25日にかけて、お天気が荒れるような予報ですね、雪は降られても致し方ないですが、せめて屋根の雪下ろしまで、しなでいいような積もり方で、お願いしたいところですね。

 

1月23日 朝起きて外に出てみたら、雪降りの兆候は、なかったのですが、共有道路に敷設してあった消雪用のサニーホースが、大風で、茶々無茶になっていて、いったん外して、それぞれを下水の中へ、入れてレンガにて重しをし、一段落をしました。

 

朝から雪降りの予報が出ているので、様子を見ながら再度ホースのセットをして井戸水を出そうかなあと思っているところです。

 

大相撲の朝乃山関が、惜しくも休場されたとのこと、大変残念ですね、一番残念なのはご本人でしょうね、でも昨日は遠藤関が勝ちまして、大の里関が早くも勝ち越しをされました。

 

命の綱の、井戸水は、まがりながらも枯れないで出続けているので、ありがたいです。

 

私のブログも、0を打たずに、お陰様で一日に、3から5ぐらいのカウントをいただいています、感謝の気持ちでいっぱいであります、いつもいつもありがとうございます、今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

あとわずかで、このブログも21500のカウントを達成しそうなので、その時には、また雑記ブログの更新を、させていただきたいと思っています。

 

お昼間際になりましたが、嵐の前の静けさですか、お日様が当たっています、でも北の直江津方面の雲が、黒々と見えて、やはり寒波がやってくるのですね。

ほどほどの雪降りで収まってほしいものですね。

 

ただいまPM4時を少し過ぎたところですが、自宅と班の消雪の準備をして水を出してきたところです、これから大相撲の観戦をしたいなあと思っています。

 

1月24日 昨夜は布団の中でTV を見ながら早くに寝てしまい、夜中に二回ほど目が覚めましてAM 4時過ぎに支度をして外に出てみたら消雪の水の効果で共有道路の雪はほとんど消えていて、あとは本道との境の除雪車が置いて行った雪の塊の除去でした。

それでも20センチ以上積もっていましたでしょうか、そしてマイカーニ台の屋根雪を下ろし一段落をして、今、ブログに向かっているところです。

 

今手掛けている絵画がちょうど、のってきているところでして、日中に雪をかまいながら、手がけようと思っています。

ちょうど今の雪のある風景なので、早々に披露したいなあと思っていますので、もうしばらくお待ちください。

 

昨夜からの雪の降りっぷりがあまりにもすごいので心配していたのですが今朝はこのぐらいで助かりましたが、何か今日がピークとのことで、大したことがなく過ぎ去ってほしいものですね。

 

NHK の積雪予報」

昨日より気づいたのですが、○○地方 90cmというように伝えているのですが、大事な予報にもかかわらず、あまりにもおおざっぱで不親切極まりないと思いましたもので、新潟県では、必ず、山沿いで○○cm、平野部で○○cmと表示するのですが、勘違いをされる方もおられると思いますので、このような表示方法に、改めていただいたいと思いました。

 

このことは一例ですが、あらゆる分野での情報などで、ここ一番の時には。NHK のニュース番組を、頼りにされておられる方が多いと思いますので、番組担当者の皆さんは、慎重に、そして心して伝えて頂きますようにお願いしたいところです。