小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

お堀のほとりの家々(素描)

お堀のほとりの家々

新年の1月9日の取材でした。

 

寒かったのですが、お天気がすこぶる良くAM 10時ころに自宅を出て高田城址公園へ向かいました。

取材のめどをつけていたので一直線に、上越市立歴史博物館の駐車場に車を止めて、くるぶしが少し隠れる程度のブーツで雪の中を進みました40センチつぐらいの積雪でしたが、かじかんでいましたので、10センチぐらいの踏みしめで、全部埋まらずに歩けました。

 

内堀のほとりに立ち、県立高田北城高校方面のちょうど、お堀のほとりに存立する、家々を取材しました。

 

 

お堀と、ほとりの家々の風情を以前より描きたかったもので、願いが叶いました。

 

通常の絵かきさんなら、手前の雪原やら大きな木やら築山やらを入れないで、ただシンプルにお堀と家々での構図にされると思うのですが、そしてむしろ、この方が、絵画としては面白く見所があるのでしょうが、あえて私は、このような構図を選んでみました。

いかがでしょうか、これが私の個性であり、世界で一枚だけの作品なのです、色彩が加わった作品を、このような能書きを思い出されてぜひともご鑑賞されてみてください。

 

とりあえず、鉛筆描きのスケッチを、ご披露させていただきます。

 

取材した写真はL サイズで全景写真を2枚とり、あとは大きめな部分写真を30枚ぐらい取りまして、その部分写真を張り合わせて30×50センチぐらいの大写真一枚を作り、その写真を見ながらの制作でした。

 

1月11日と12日に一度スケッチしたのですが、何かそぐはないものでボツにして13日より17日のPM 2時5分に完成しました。

 

お堀の上と下のラインを決めて右の大きな幹を描き、お堀の手前の小さな木々と冬囲いを、そして手前の雪原の木々等の影を、そしてお堀の少し波立っている模様を、そしてほとりの家々に向かい樹木や電柱などを最後の築山の様子を描いて完成いたしました。

 

17日の昼下がりに、築山周りの様子が、いまひとつわかりにくいところがあり、再取材に行ってきました。

雲一つない青空で大変にお天気が良く大手町小学校の前を通ったら、児童らがカラフルな防寒着を着て大勢校庭で遊んでいました、きっと気の利いた先生の計らいで思い出にと、このような時間を、取って下さったのかなあと勝手に思いを巡らせているところです。

 

やはり例の駐車場に止めて、雪の中に進み、先日と同じ場所に立ち築山をスケッチしました。

そしてその部分を描き足して、完成しました。

 

木々に積もった雪だとか築山の木々だとか、紛らわしい部分は色鉛筆にて色塗りしました。

 

力量のおありの方だったら、このように事細かく鉛筆での描写はされないし、またある面で、作品を仕上げるのに不都合なことにもなりかねないところかもしれませんが、人並み以下の小生には必要不可欠なことでして、よく言えばこれも小生の個性かなあと

慰めてもいるところです。

 

3号の小さな作品でこのような5日間ですか、こんなに日にちをかけたことは、ないと思いましたが、それだけに思いやりが大いにある作品と思っているところです。

これから色彩に入りますが、今から胸が高まっていて、何か少年のような気持になったようで、そういえば先日TVで100歳の方の番組がやられていましたが、【予定のない人生などは考えられない】というようなことをおっしゃっておられ、手帳には毎日予定がびっしりと入っていましたっけ。

 

高田城址公園の絵画は、たくさん描いてきましたが、この風情の作品は初めてでして、

以前からの念願がかないました。

 

これで、内堀、外堀のすべての面を、描かせていただいたような気がします。

 

内堀の北面に当たるのですが、家々の奥には本当は北城高校の校舎が存立しているのですが、この作品にはどうかと思いましたもの割愛させていただきました。

 

それにしても家々がこのように並んで連続して存立しているとは思いませんで、この構図には好都合でした。

 

写真では、お堀の水面の色が青々に写っているのですが、どうしてなんでしょうね、本当は黄土色と緑色を混ぜたような色合いなのですが、まあ青々していた方が絵画としては素敵なのでしょうが、絵描きの性で、やはり濁色で描こうと思っています。

 

鉛筆で描いているときに、特に、お堀のさざ波や、手前の雪原の木の陰等、難解であり、込み入っていたりで、このあたりが、色彩をつけたときの、見所なのかなあと、思っているところです。

 

高峰三枝子さんの「湖畔の宿」に、張り合うわけではありませんが、こうご期待くださいませ。

 

「湖畔の宿」

♪ 水にたそがれ せまる頃 岸の林を静かに行けば

 雲は流れて むらさきの 薄きすみれに ほろほろと

 いつか涙の 陽がおちる  ♪

 

1月18日 今日は将棋の会があり、今年分の年会費を収めてから、将棋をしまして5つ勝ちました。

そうしましたら、昨日ブログに入れた、高田城址公園のスケッチを、お二方とも早速に見て頂いたようで、誠にありがたい限りです。

そして、一方の方は、毎日見て頂いておられるとのこと、感謝に絶えませんです。

 

先日、ホームセンターにてA4のコピー用紙を買いに行ってきました。

妻からは500円もしないと聞いていて、商品棚をみたら380円ぐらいで、早速にセルフレジに行き操作をしましたら金額が760円ぐらいを表示されていて、腑に落ちなくて、バックを置いて、再度確認に行ったら、やはり380円ぐらいでしたので、係の方に言いましたら、小生と同じで?、レジの反応が良すぎたみたいでして、二度打ちしたみたいで申し訳ないですとのことで、取り消しと訂正もして現金で380円ぐらいをいただいてきました。

 

たくさんの買い物の時には特に、このようなことがないか注意を払うことが大事なことでしょうか、ついつい、レジ機械を信用してしまいますからね。

 

それにしても、500枚分ですか、このコピー用紙の安いこと、原材料の費用ぐらいしかないのではと、またまた、余計な心配して、また、おつむの後ろが薄くなりそうです。

 

そして今日も、スーパーのレジで、レジをしてもらっている前のお客が、ちょうど知り合いで、カートの下に何やら段ボールの箱が、そしてよせばいいのに、また、下ののはと、教えてあげたら、カウントしてもらってありますとのこと、余計なお世話でした。

そして、知り合いからは、相変わらずですねと、微笑まれまして、おかしな性分ですね。

 

1月19日 朝方雨あがりの薄明るい中を、ゴミ出しに向かいましたら、あついわけではないのですが、何か柔らかい、あたたかさを感じたのでした。

どうゆうんでしょうか、雪も大したことがなく、過ごしやすく生活をしているわけですが、何か悪いことでもしているような気になり、貧乏性ですね、『人生の苦』が、当たり前になっていて、染みついているのでしょうか。

でも、これくらいの謙虚さがあっても、いいのかもしれませんですね。

 

さっき、先日手の指を切ったところですが、傷ばんそうこうを、貼ったのですが、なんと違う指にしていたのでした、妻に、認知症になったのではとからかわれ、そのまたすぐに、また同じことを繰り返したのでした。

でも事後ですが、そのことが分かっただけでも、まだましだったのかなあと自分を慰めているところです。

 

【セオリーをかたくなに守ること】

この世の中では、最近になく前代未聞な事柄が、いろいろと起きている現状ですが、政治の世界でも、いろいろなことを、今まで通りにセオリー通りに進めてばかりでは解決されない問題が山積しているみたいでして、セオリー通りに行えば、ある程度の、それほど違わない結果になるとは思うのですが、もう一つ踏み込んだ瀬策を行わないと、満足に近い結果が出ないのではと強く思っているところです。

 

絵画の世界の指導者もそうですが、いろいろな上に立つ立場の方々には、セオリーを飲み込んだ上の、プラスアルファ―を加味した力量と指導が後進を育てる上に必要不可欠ではないかなあと深く思っていて、あまりにセオリーにこだわりすぎて、それ以上に大事な目をつぶしているように見受けられ、もうひと踏ん張りを願いたいところですね、それと、物事を大きな感覚で見つめたりの大きな器や、一歩引いてみるような鷹揚さも欲しいものですね。