小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

金谷山 初秋の白旗山

金谷山 初秋の白旗山

9月5日午前中に、雨の降りそうな中、金谷山(かなやさん)へ、山麓線より登り口に差し掛かったら、少し前に雨が降ったのか、ぬれているところと、そうでないところがまだら模様になっていました。

上の駐車場よりリフト乗り場の方へ降りるコンクリート舗装の道があり、この坂道は一挙に30メートルぐらいの落差があり途中にて、リフトのある白旗山をメーンに取材しました。

 

右のリフトがある山が白旗山で、この頂上より左の尾根伝いにベルリン坂があります、この坂は急坂で上り下りが確か三回ぐらいあったと思いました。

この作品に表れていませんが、そうすると日本にスキーを伝えられた、レルヒ少佐の銅像のところに出られました。

 

制作は9月6日AM10時より8日AM10時17分にスケッチをして8日PM 1時半より15日PM 2時27分に色塗りをして完成しました。

 

初めに山のアウトラインを薄い黒色で描き、空を描きました、そして手前のコンクリート舗装を描き、それから左のなだらかな山を描き、自転車のサーキット場みたいなところを描き、手前の大駐車場を、そして手前の草わらを、白旗山の左の森を、そしてリフト乗り場の付近を、白旗山の外角の森を、最後に白旗山の山肌などを描き完成いたしました。

 

雨近い空には、わずかに青空が見えていて,白旗山には、リフトの支柱が、そして夏場のボブスレーのトンネルの出口が、そしてスキー場なので山肌が、そしてリフト乗り場が、駐車場には、いたるところに、アスファルト舗装のいみ割れが、手前のコンクリート舗装の表面には滑り止めの深い溝模様が、そして駐車場には車が二台止まっていました。

 

【日本スキー発祥の地】 金谷山は日本スキー発祥の地であります、レルヒ少佐によって伝えられました。

この地に、レルヒ少佐の銅像が、軍服をまとい、スキーに乗り、長い竹の一本杖を持ち、我々の頚城平の方を向かれ、守り神のように、りりしく立たれています。

昔はジャンプ台がありまして国体などで会場になり幼少のころには見に行ったものでした、今はありません。

前述しましたが、この山の名前は「かなやさん」と読み「かねやさん」ではありません。

 

金谷山を描くのはこれで三枚目になりますが、今回は、初秋の白旗山を描いてみました、昔はススキの群生などが、たくさんあったように記憶していましが、整備されているのでしようか、この作品の、森の木々や草わらで、さわやかな初秋の金谷山を堪能してみてください。

 

幼少のころは冬の日曜日には友達とスキーを担いで、背中にはナップサックを背負い、スキーに行くのが無情の楽しみでした。

前日にスキー板の裏に銀パラというロウを塗り、七輪の火であたためたコテで、溶かし準備するのでした。

小遣いが乏しく、リフトに乗るのは、ほんのたまにでした、そしてお昼には持参した、親から握ってもらった、梅干し入りのおにぎりと食堂でのラーメンを食べるのが、ごちそうでした。

白旗山は、当時は上級者の滑る山で、なかには、てっぺんから直滑降で滑る方もおり、おりても止まらずに向かいの山の中腹まで、登ってしまうのでした。

 

私らは、左のなだらかな山の方で、もっぱら、スキーを八の字にして、上っては滑り、その繰り返しでした。

そして急な坂では、横向きになり、一歩一歩上るのでした。

 

そういえば高校の時にもスキー授業がありましたね、雪国育ちの一種の身だしなみみたいな感覚だったのでしょうか。

 

最近では、我が町内で、五月でしたか金谷山への子供遠足が毎年あり、班長をしているときに付き添いみたいに、味噌汁のおわんと、おにぎり持参で、歩いて4、50分ぐらいでしたか、ちょうどこのリフトの手前の広場にて、婦人会の方々などが作っていただいた、おいしい「竹の子の味噌汁」をいただく、町内遠足が、ありました。

 

今朝がた、「風切る速さ―」の文句が浮かび、検索してみたら『スキーの歌』という歌でした。

♪ 山は白銀(しろがね)朝日を浴びて すべるスキーの風切るはやさ

 とぶは粉雪(こゆき)か舞い立つ霧か

おおお この身も かけるよ かける  ♪

作詞 林柳波

作曲 橋本国彦

 

子供のころに良く歌いましたよね、スキーの滑る、軽快さが出ていて、歌っていると楽しくなる歌でしたね。

 

ただ今、9月15日のPM4時10分になるところで、このブログをと綴っているところです。

 

小生の技術が伴わないのか、この度も原画がそのまま伝わらないで、歯がゆいのですが、何とかならないものでしょうかねえ。

だいたいのことは伝わっておりますが、森の緑の彩度とか曇り空のふんわりとした絡み合いとか、苦心の制作跡が命の軌跡を、見て頂きたいところです。

 

そして本来なら、上の駐車場よりの全体の山並みを描きたかったのですが、樹木が生い茂っていて、見通しができなくてかなわなかったでしたが、久しぶりの金谷山を描き、何か責任を果たしたみたいな気持ちになり、「日本スキー発祥の地」を皆様に発信できて、ほっとしているところです。

 

9月16日 車検の用事で、高田城址公園の横を通ったら真夏の蓮たちが、葉っぱはまだまじまじしていましたが花が落ちていて黒々した三角錐の実が、まるで黒い花びらみたいに、こちら向きに、見てくれと言わんばかりに、存在感を醸し出していました。

太陽の下はまだまだ暑いですね、空を見上げると澄みきった青空に、控えめに薄めの白い雲が所々に見ていると引き込まれそうになり、これが秋空なんだなあとしみじみ思い、感慨にふけっているところです。

 

9月17日(日曜日) 近じかに、妙高の赤倉シャンツェに絵画の題材として取材に行ってきたいなあと思っています。

妻も、いもり池の睡蓮の赤や白の花を見てみたいと言っていたので、一緒に行ってきたいと思います。

 

私の絵画生活も、描いているときには、それぞれの制作の苦労があり、早く完成させて楽になりたいなあと思うのですが、また描いていないときには、無性に手持ちぶさたになり、勝手なものですね,そう貧乏性ににできているのでしょうか、天はそのように人間を作ってくださっておられるのでしょうね。

 

それにしても大相撲の今場所も横綱不在ですが、大関以下皆さん切磋琢磨して、すごみがあり、興味深く、夕方になるのが非常に楽しみですね。

 

このところ日曜日になると気ぜわしくて三週間ぶりですか、読売新聞朝刊の日曜日蘭のクロスワードを解きました、答えは「カラーボックス」でした、平常なことができる喜び、久々でした。

 

AM 10時ころに上越市民プラザに「第12回上越水彩画愛好展」及び「第56回日本水彩新潟県上越支部会員展」を、見させていただきました。

初めに記名をしました。

「雪の降る街かど」とか「水面に映る金閣寺」「果物や花」そして「雪の除雪車」の作品を見て、ぞくぞくとして冬を感じたり、たくさんの見ごたえのある作品ばかりで好感を持ちました。

それぞれの作家が、創意工夫をされておられるのが伝わり、小生も勉強させていただきました。

「ありがとうございました」との感謝の言葉をかけさせていただき会場を、あとにしました。

 

9月18日 今日は『敬老の日』ですね、小生は今まで、ほかの世界の話だと思っていましたが、来年から、お仲間入りさせていただくようになりますが、誇らしいような、寂しいような複雑ですが、まずは生かさせていただいていることに感謝し、一日一日精いっぱい生きられればなあと思っているところです。

 

大リーグの大谷翔平さんが、今季、試合に欠場との記事、大変寂しいですが、まずは、お体の状態を気付かれて、いろいろなケアを根本的にされて、今後の野球人生に備えて頂きたい思いです。

毎日毎日、日本男児として正々堂々のご活躍、そして私どもには生きる勇気をいただき、誠にありがとうございました。

 

『日本縦断 こころ旅』が、本日から、また新たに始まるとのこと、待っていました、見ていると本当に、ほっこりとして、心が安らぐといいましょうか、貴重な番組と思い、感謝申し上げていて、いつも生きる張り合いをいただいています。

同い年の正平さんですが、お体に気を付けられて、いつもの自然体を貫かれて、楽しい番組をと、願っているところです。

今日から、また楽しい日々が始まると思うと、うれしいですね。

 

早朝のブログより、また今AM 8時少し過ぎましたが、開けてあった畳の茶の間に、少しひんやりとした、心地よい風が、気持ちの良い朝を迎えています。

先ほどBSでNHK nお朝ドラとこころ旅を見ました、双方とも感動の場面で、さわやかな幸せをいただきました。

 

外を見たら大小の背丈のケイトウの赤い花が四つ五つと鮮やかな色あいで咲いていました。