小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

『人様の上に立つ』

一般論ですが、総理大臣をはじめ、各大臣、そして会社の社長、町内会の役員、家庭を守る長、に至るまで、「人さんの上に立つ」と、おのずとその人間の力量や器の大きさなどが、いいにつけそうでないにつけ、ことごとくあからさまになりますね。

 

昔から、「能ある鷹は爪を隠す」と言われておりますが、多くの人たちは神輿を担がれるとその気になりますね。

 

賢い人たちは、考えに考えを重ねて、己がその任にふさわしいのか、またその任をこなす力があるのか等々を判断されて行動に移されておられ、軽はずみでその任を受けてはおられないように見受けられ、そうしなければならなく、またそうすべきなのでしょうね。

 

「絵画の展覧会の審査員」

かれこれ、そのたぐいの展覧会に40年近くも出品してきましたが、様々な審査をされる方々がおられましてね。

 

新潟県展、四季彩芸術展、勤労者美術展、上越市展、妙高市展、アークベル展等々の出品でした。

 

中でも特に審査をされ、ご指導をされる方々で尊敬しているのは四季彩芸術展での、東京芸術大学の名誉教授をされておられた、お二人ですね。

 

おそらく日本でのプロの画家を目指す方々のご指導をされておられたのだと想像を致しますが、審査については、平穏な気持ちで、会場を何回も何回も回られて、念には念を入れられての審査されておられることを、お聞きして、これほどの、一流の、キャリャ、力量、ノウハウ等々を兼ね備えての方々が、一目見れば作品の良しあしがお分かりになられるであろうと想像するのですが、その謙虚さや、後進を育てようとされておられるであろう気持ち、姿勢には尊敬と感動しかありませんでしたですね。

 

審査内容に関しても、責任感と自信に満ちておられ、作品に対しての、見せかけの部分などに惑わされることもなく、作品の隅々まで、くまなく針の穴まで見抜くように、鑑賞されて、この作者は何を語ろうとしているのかとかの心情まで察知され、最後まで審査される重大な責任まで背負われておられるのでした。

 

現地での、審査の講評では、一つ一つの作品に対しての、作者が気付かないところまでの長い解説の後で、作者本人との意見交換を、ここまでされると、もう作品を手掛けた方々は、賞や入選に関係なく、ここまで真剣に作品と対峙してくださったのかと、尊敬と感激とで、感動して、また次の作品に対しての、参考になりまた作品作りへの意欲にもつながり、これが真の指導者の姿ではないかと思いました。

 

小生なんかも、この時間に、私の作品で、○○の不具合を指摘されましたが、そういう部分を把握していながら、それより全体的に勝る部分が多く、推薦しましたとの、お言葉をいただいたことがありました。

この部分が、違うのだなあと勉強させていただきました。

たとえ話で象さんの、お鼻だけ見て触り、象さんというのは、鼻の長い動物だと、思い込み、胴体の大きさとかいろいろな部分の観察を、怠りそのように思い込んでしまうというお話がありましたね。

 

そして冊子の講評欄には、お二人の講評が、私見の部分を少なく、賞をいただいた一つ一つの作品に対しての講評をくまなく述べられておられ、出品された人々は何を求めておられるかを察知され、限られた紙面を有効に使われておられるのでした。

その内容についても的確に、作品を熟知してないといえないことまで、踏み込んで述べられておられるのでした。

 

これほどの一流の方々であらせられるのに、このお仕事に関して、真剣に、そして責任感を持たれて、なおかつ後進をいかに育てるかまで考慮に入れられての、姿勢には再度尊敬と感動を覚えているところです。

 

これまでの展覧会の審査について思うこと

多くの審査をされてこられた方々は、責任感を持ち、真剣勝負での審査内容であったと思いました。

 

しかし以下の事柄も目に、つきましたもので列記させていただきたいと思います。

 

某審査の後で、私の作品での審査員の講評時に、はっとされたようなお顔で「あ、!よく描いてあるね」、審査が終了してからですので、もう後の祭りでしたが、この展覧会の冊子には、私の作品の題名が描いてありこのような作品もありましたと、申し訳程度に書かれておりました。

 

某審査後の、私の作品の前での審査員の講評では、1分近い長い沈黙の後で「あなたはこのまま進みなさい」と、すぐにの講評ができないということは、作品に十分対峙されてなかったのでは。❔

 

某審査の後での、私の作品での審査員の講評ですが「あなたの作品は、わからない、勉強してきます」なんと投げやりな言葉でしょうかと思いました。

 

審査される方がたの力量

 

絵画での好き嫌いが激しく、最初からある種の先入観を持っておられ平常心で審査に望めない方は、もしくは、そのような作品しか評価判断ができない方は、望ましくないですね。

 

絵画について、いろいろな自分での思い込みが強く、平常心で判断ができない方も望ましくないですね。

 

セオリーをあまりにも重要視されて、作品を全体的に眺めて判断できない、いわゆる鷹揚さが欠けておられる方も望ましくないですね。

 

作品に対して問題点を探しまくるような審査も望ましくないと思います。

 

審査結果についてあまりにも人の目を気にしすぎておられる方も望ましくないですね。

 

作品の大小や、見た目のきらびやかさで判断される方も望ましくないですね。

 

作品を一目見て判断を下す方も望ましくないですね。

 

自信過剰で審査に対する、自分なりの強固な尺度を持ち合わせておられるのはいいですが、それにとらわれすぎて、ほかの部分が見えなくなることもあるので、審査の後で再確認されることが大事なことと思います。

 

熟見しないで、時間をかけないでの、審査は望ましくないですね。

 

抽象作品を特別視されて、吟味ができないのも望ましくないですね。

 

大変に巧妙で写実的な作品を理解できないことも望ましくないですね。

 

少なくとも、全作品を即座に講評できる具合の熟見した作品の鑑賞を望みたいものですね。

 

審査されるときの、ご自分の何らかの尺度をお持ちでいるのはいいのですが、それから外れたものはすべてオミットとして、例えばものすごくいいものを持っていたりしても習ってないので描き方がたどたどしかったりと、そういった作品を見逃してしまったり、またそういう作品をひろうだけの力量がなかったり、そういう方がたくさんおられると思うので吟味された方が望ましいと思います。

 

展覧会の冊子の講評欄に私見を多く述べすぎて、大事な作品の講評をおろそかにされるのも望ましくないですね。

 

いろいろと述べさせていただきましたが審査されるということは、重大な責任があり、そして広くは、良いところを見つけ指導して後進を育て上げる重要な機会でもあると思いますので、慎重に、丹念に責任と確信を持たれて、その任を果たしていただきたいものですね。

 

そして、その任に、及ばないとの自覚を持たれたなら辞退されるのも人の道ではないかなあと、それだけ出品者は真剣で、何か月もかけて、思いを込めて作品作りに励んでおられることと思いますので、そのぐらいの覚悟は少なくても欲しいものですね。

 

3月9日(土曜日)

春のセンバツ高校野球が3月18日より始まるそうですね、そして石川県より、日本航空石川と星陵の両校が出場されるとのこと、そして大相撲春場所大阪府立体育館にて明日10日より始まりますね、そしてやはり石川県出身の大の里関も前頭5枚目で出られますね、是非とも石川県のために頑張っていただきたいものですね、地元の方々の応援は計り知れないものと思いますね、これを励みに復興をも果たされていただきたいものですね。

 

3月10日(日曜日) 昨夜からの降雪予報は平野部で10cmとのことで消雪の水を出していましたが、ほとんど積もらなかったでした。

 

「クッキーとビスケットの違いは」

糖分と脂肪分を合わせた割合が40%以上のものをクッキーと呼びそれ以下のものをビスケットというのだそうです。

1971年に日本独自で定められたのだそうでした。