10月31日お昼前後に春から秋にかけてお世話になった網戸をはずし収納してから
PM2時近くより取材に、車を走らせながら寺町、本町、司令部通りの信号を左に
曲がりなんとなく大町通りに来ていました。
この度は雁木を描きたいという目的がありましたので。
2,300メーターのところで車を止めて左の家並みを眺めたら大屋根の上にまた
小さな屋根があり面白いと思い、すぐに取材しました。
我が上越市の高田には、本町、北本町、東本町、南本町、大町、稲田等々に
雁木があり、雁木の長さが日本一と言われていています。
そして雁木の下に柿を釣るし干し柿にしたり大根を釣るし沢庵漬けにしたりと
11月、12月の高田の風物詩でした。
それから各家庭では、野沢菜漬もされていましたね、そして時間が立つと黄色味が帯びてきて味がしょんで、まことにおいしかったでしたね。
そして全面道路を見ましたら家並みの木漏れ日でしょうか部分的な日当たりを発見して
これは趣のある絵画になるなあと思いました。
カメラのキタムラで焼き増しいて頂いて自宅に戻り構成しているうちに縦描きが
いいかなと決断しました。
絵画制作は絵画の裏面を見たら10月31日から11月29日までと書いてありましたが
実数日は、定かではありません。
鉛筆の下描きの後で絵画全体を薄い黒色の絵の具で、あとなぜをしました。
空を描き電信柱を描き電線を描き手前の家より奥の家まで描き雁木の土間を描き
道路にむかい完成しました。
楽しい作業でした。
鑑賞していただきたいところは秋の青空と、まだら状の白い雲や
空に浮かぶ電線類、西陽の当たった外壁や道路のこもれび、そして家の入口や
窓に映った色々な色あいなどの面白さなどです。
全体の構図のとり方や家並みのスケッチ等々に苦心しました。
電信柱と電柱についている30キロの標識と駐車禁止の標識を描くのに、まる一日
かかりました。
大屋根の上に小屋根がありますが、ガラスもしくはガラス戸がはめ込んであり
これは町屋における屋内への明り取りで設置してあります。
だいたいは大屋根まで吹き抜けになっていて、上から明かりが入ってくる仕組みに
なっています。
家の両側がふさがっているので先人の知恵で作られたものです。
それからサル梯子といいますが雪下ろしの時に大屋根に上がるときに必要で
この絵画には二か所描かれています。
一番手前の家の二階の窓ガラスの薄い黄土色に黄色がかった色合いなどは
小生の子供のころを、思い出して郷愁にかられているところです。
皆様は、いかが感じられておられるでしょうか。
二階には白いバルコニーですか、そして一階にはシャッターが、小生の子供のころと
違い、やはり現代ですね。
前面道路も、あずき色のアスファルトではなく消雪パイプの水が長年にわたり
流れて、赤さび色にしょんだと思われます。
注意深く観察していただくと不可解な事柄もあると思いますが、全体の秋の西陽に
あたったカラッとした明るめな色合いや、一つ一つの家並みの風情などや
そこに暮らしておられる人々の、ぬくもりなどが伝わってきてもらえたなら
こんなうれしいことはありません。
どうぞ構えずに理屈抜きで単純に、この絵画を楽しんでいただければと
思っています。
小生も建築設計の仕事がら、透視図も習ったのですが、それでは絵画としては
味気なく面白味が薄れると思うのでフリーハンド的に描いてあります。
透視図とは一点を定めて、そこから放射線状に点と線を結んでの作図の方法です。
それから本来は西陽を背に受けていますので雁木の側は、しゃ暗いのですが、
あえて明るめに描いてみました。
今から5,60年前までは、日本全国、このような町並みで、何か人間臭さが
あふれていて、家族のだんらんや、隣近所の触れ合いなども、当たり前の時代
でしたね。
お隣さんに「お味噌,切らしちゃって」「お醬油、切らしちゃって貸してくんない」
等々、昨今では考えられないことですが日常の出来事でした。
懐かしく思い出しては、もう一度あの頃に戻れないかなあと、かすかな、思いを
いだいているしだいです。
この道路の向こう側は日本海、直江津方向でして、北向きで描いていまして
左側から西陽が差していますので家並みの背後より陽がさしているため、このように
雁木の正面は明るさが無いのですが、あえて明るさを出して生活感をわかりやすく
表現してあります。
令和5年4月 この絵画の写真を見られた、知り合いの方から「私この絵画好きだわ、いただけない」との嬉しい、お言葉をいただきました。
幼いころの郷愁でも感じられたのでしょうか。
この絵画の写真を額に入れてお上げしましたら、大変に喜ばれておられました。
【雁木】とは
階段あるいは、それに似た形状を持った構造物のこと。
鳥の雁が斜めに並んで飛ぶ様子が階段の形に見えるため、このように呼びます。
【雁木造または雁木】とは
新潟県など本州日本海側地域の町場において積雪下においても通行を確保する為に
町家の庇などを長く出して、その下を通路としたもの。
現代のアーケードに似たようなものです。
将棋の雁木囲い
王様の囲い方の一種で銀の斜め下の左右に金を配した王さんの囲い方です。
それにしても、しゃれた命名をされたものだなあと感心しています。
想像しているところです。
小生も中学一年の一学期まで雁木のある家に住んでいました。
幼少のころは除雪機械もなく消雪パイプの設備もなく、降った雪はそのまま前面道路に
屋根雪を降ろしていたものですから、道路での通行ができず雁木が唯一の歩行通路の
場所でした。
向かい町に行くのにスコップでトンネルを掘っていたことも記憶に残っています。
そして当時は降ろした雪の塊を大きなのこぎりで切り刻んで、そりに乗せて近くの川へ
持っていき処理していました。
今考えると気の遠くなるような出来事でした。
小学校が同じ道路の300メートル先ぐらいにあり、行くまでに横断する辻があると
雁木が切れますが、それ以外は雨合わずに学校まで行かれました。
学校への道すがら雁木を歩きながら家々の中が見えてタンス店さん、八百屋さん
表具屋さん、酒屋さん、仏壇店さん、傘店さん等々、働いておられる
作業を横目で見ながら楽しく通学した思い出がありました。
そんな思い出もありまして雁木の景色を描きたいのですが雁木の題材がむつかしく
これで雁木を描くのは二回目で、試行錯誤の連続ですが、それでも何とか描き
上げたときの達成感が、そして下手ながらも、生意気かもしれませんがこの風情を残さなければという思いに駆られているところです。
12月3日 某酒房さんに、小生の絵画「西陽の佇む雁木通り」を写真にして額に入れたものを、もらっていただいたら「あら写真みたいで綺麗だね」と喜んでおられ
何よりとうれしくなりました。
今朝は、昨夜のお酒で熟睡したのかAM3時に目が覚めまして、ブログをつづったりして
AM5時半まで時間をつぶそうと思っています。
やっとAM4時半になったところです。
12月8日 上越市関連の将棋教室へ行ってきました。
鑑賞していただいた教室の方から小生の絵画「西陽に佇む雁木通り」で、手厳しい
ご指摘をいただきました。
「道路の蓋の向きの方向が違うのでは」 おっしやるとうりなのです。
実は、我が妻にも、すぐに同じ指摘がありましたのです。
今振り返ると道路と直角にと思ったのでしょうね。
いずれも、小生曰く「これは絵画であり写真ではないので」と苦しい弁解をしました
ところです。
この絵画については「間違い探し」ではないですが数多にあると思っています。
でも一度納得して筆をおいた作品には、よほどでない限りは手直しをしていません。
えこじですね、ご容赦ください。
幾度も述べますが、ただ単に、この絵画を鑑賞しての愉しさをじっくり味わって
いただきたいと思っています。、