小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

感謝の館

 

感謝の館

自宅から歩いてすぐの酒房を描きました。

 

題名は【感謝の館】となずけさせていただきました。

妻ともよく行き近隣の皆様も、足しげくかよった、お店です。

今は亡き母とも来店したことが、ありました。

 

お店には歌手で「さすらい」「エイトマン」の克美しげるさんが幾度も来られ、そして「東京流れもの」「それが男というものさ」の竹越ひろ子さんも来られたことがあるそうでした。

 

 

40年近くも商いをされていて、この六月いっぱいで、お店を閉じられました。

ここのママは、いつもいつも大変なお気遣いをされていて、お客のみんなが、お世話になっていまして、いつもいつも、心地良い、憩いの場所でした。

最終的な閉店の少し前に、二十人ぐらいの有志の皆様で「感謝の集い」をさせていただき、最終日には、にぎにぎしく、ほとんどのお客がラストまで残り、どなたかの発案によりまして某ラーメン店さんまでタクシーを飛ばして飲食して散会されたとのことでした。

 

心境は千昌夫さんの「星影のワルツ」のように、『別れることは辛いけど    』

皆さん、今でも懐かしんでおられる方々だらけで、今度はどこのお店へ ?

感謝、感謝です、ありがとうございました。

 

前置きが長くなりましたが、本日7月26日、ご自宅を訪ねさせていただき、この絵画を、いただいていただきました。

喜んでいただいたみたいで、ほっとしているところです。

以前から、私の描いた絵画の写真の小さな額を、心おきなく、お店に飾っていただいていたのを、お住まいを移られたところでも、やはりかなりの枚数を飾っていただいていて、感謝をして感激しているところです。

前述したように、敬意と感謝をこめさせていただきまして題名を【感謝の館】とさせていただきました。

 

作品については一度鉛筆にてスケッチしたのですが、角度とかのバランスが悪く再度7月16日より17日まで別の用紙にスケッチして、そのまま25日のPM12時45分に完成しました。

 

空と接する建物のアウトラインを描き、空を描き、建物の瓦屋根を破風板を、そしてつけ柱やつけ土台、廻り縁などを、そして軒天を、窓周りを、そして外壁の縦目地を、それから外壁を描き、玄関周りの飾り屋根を、そして入り口ドアや、壁、腰タイル、天井、床等を描き、看板を、そしてわきのプランターの植物を、左の車庫を、隣宅を、最後に周りの駐車場等の土間を描き完成に至りました。

 

空は、梅雨どきでして、どんより曇り空でしたが、お店の名前の通りに青空を交えた明るい空にしてみました。

外壁は、最初は黄色みのある色を、そして、もう少し白っぽく、三度目で、また、もう少し白っぽく三度塗としました。

窓は、中に障子戸が、あったりエアコンの陰など描いてあります。

飾り屋根は、当初はおそらくモスグリーンぐらいの色合いだったのでしょうが、今では歴史を感じさせるような風格を描いてみました。

玄関周りと看板は、この作品のハイライトと思い丁寧に加筆しました。

入口ドアは、単に黒々と見えますが、微妙ないろいろな色を使い仕上げてあります。

看板には赤色で「あかり」緑色で「居酒屋・喫茶」群青色で「清酒 君の井」との文字が書かれています。

看板わきの植物は、住まいの玄関先にあった植物が素敵だったもので、描きくわえたものです。

周りの土間は、長年の消雪パイプの赤さび色の水が、しょんでいる様子を描いてあります、そして建物の基礎の裾にはグレー色の消雪パイプが施されています。

 

全体的には力を込めて、精いっぱい描かせていただいたつもりです。

 

お店のことは、再度述べますが、いろいろたくさんの思い出があり、小生も、お店の開店記念パーティーより、幾度このドアを出入りしたことか、考えてみれば自分の半生を共に過ごさせていただいてきましたようなもので感慨深いものがありますね。

 

「光陰矢の如し」と言われていますが、本当に早いものですね、アッという間に過ぎ去ったように思います、開店したばかりのころの光景も昨日のように思い出しています。

 

大切な記念の一枚を描かせていただきました。

 

お店を知っていなさる方は、一目でお分かりになられると思っています。

 

最後に【シー・ユー・アゲイン】という言葉で締めさせていただきたいと思います。

 

そして一番最後に、長年ご商売をされてこられたので、お客さんで小生の先輩方々はじめ、数えきれないくらいに、お亡くなりになられた方々がおられました。

忘れられないのは、その方々が、どなたも最後に親戚縁者をさておきママの顔を見たさに訪ねられるのでした。

よほどのことでないと、そのような行いには至らないと思われるのですが、お店に来られるのが、よっぽど楽しかったのか、それとも生きる希望や、うるおいをいただいたのか、いろいろなことを推測し、思いめぐらせているところです。

 

世の中には、どれほどの商いをされておられる方々がおられるかしれませんが、このようなことは、おそらくまれなことと思っています、それだけママの裁量のすごさとおもてなしの心や人情の深さなど、商いを通り越して誇れることと思い、最大の冥利に尽きるのではないかと、私自身も感謝の心を、いつも持ち続けているところです。

再度、再度ですが、ありがとうございました、感謝、感謝です。

 

北島三郎さんも「形のあるものはいつか無くなる」と、おっしゃっておられましたが、それにしても寂しくなりました。

 

私のようなものが歴史あるお店の記念の絵画を描かせていただきまして恐縮して、そして感謝して喜びでいっぱいなのでございます。

 

7月29日(土曜日) 大好きな『直江津祇園祭のお祭りの匂いをかぎたくなり』カメラのキタムラへの途中で上越大通りの新潟日産の交差点に来ましたら、早速「石橋一丁目二丁目の大きな祭り屋台」に出会いました、太鼓の音、そして大勢の屋台を引く人々、交通誘導をされる人々、どうしてか涙が出てきました、日本人の血が流れているのでしょうかねえ。、そして少年のように嬉しくなってきました。

そして少し走ったら「安国寺」の大きな祭り屋台に遭遇しました。

焼き増しの後で、もう少し雰囲気に浸りたくなり、労災病院を通り街中に来たら「天王町」の、やはり大きな祭り屋台に出会いました。

 

今日は直江津祇園祭の最後の日でして夕刻から夜にかけて、祭りの最大のハイライトである【八坂神社さんへのお餞米奉納】が華々しく行われるのでしょう。

お天気にも恵まれて、これ以上ない真夏の暑さの中、喜びの汗をぬぐいながら、涙あり、うれしさあり、感激あり、感動あり、素晴らしいフィナーレとなるのでしょうね、素敵ですね、参加できないのがうらやましくて仕方ありませんが、少しでも、お祭りの雰囲気を味わさせて頂いただけでも、喜ばなければならないでしょうか。

さて、いよいよですね。

そして港町直江津の長い夜は、また来年に思いを載せて徐々に更けてゆくのでしょう。

 

昼食の後で小生は取材してきた写真を吟味して「蓮たちの絵画」の構想を練って この時が,至福の時間でもあり、苦悩の時間でもあるのですが、このようなことで悩んだりすることは贅沢というものなのでしょうね。

 

大リーグでは大谷さんが39号のホームランを打たれたそうですね。

大リーグの、どなたか大谷さんのことを「エイリアン」ではないかと、そのすごさを誇張されておられました。

いつもいつも感動を、そして明るい話題を、生きる喜びを与えて頂いてありがとうございます。

 

「エイリアン」とは、異邦人、宇宙人とかのことを言うのだそうです。