小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

長兄の法要に寄せて

この度は、長兄の法要のため10月8日に名古屋の方に出向かせていただきました。

 

あらかじめ購入していた切符などを持参し車で上越妙高駅まで送ってもらい、すぐさま、外のおトイレに行き、そして自由席だったもので妻の勧めもあり発車の30分前に新幹線のホームに入りましたら、だれも来てなくてベンチに座ったり、手持ち無沙汰だったので東の方角を見たら「米山」や「尾神岳」などがすっきりした空模様の中、くっきりとたたずんでいました。

列車は新幹線のはくたか562号でしてPM 13時02分発で、15分前頃から旅慣れておられるであろう方々がぼちぼち来られました。

小生は汽車の旅も久しぶりで、そして体の衰えや、おトイレの心配などもあり、行く前から心配の連続でして、自動改札の前に駅員さんに「乗車券と新幹線の切符を同時に入れていいの」と聞いて確認したり、そのようなことから今回の旅が始まりました。

 

長野駅にPM 13時21分に到着しました。

新幹線ができるまでは長野から高田まで各駅停車で2時間ぐらいかかったと記憶していますが、文明の利器なのでしょうね。

 

そして長野駅で在来線に移動してPM 14時00分発の特急しなの16号で名古屋まで自由席で向かいました。

お尻が痛くなりましたが、それでも3時間ぐらいの時間でした、昔は外国の方々との出会いなどはなかったでしたが、何人かの方が乗車されておられました。

途中で列車のおトイレを利用しましたが、水の出し方がわからずに大変でしたがようやく見つけ出し助かりました。

 

PM17時07分名古屋駅に到着しました。

皆様のいく方向につられて行きましたら中央口(北口)に行きまして駅員さんに中央口はどのようにとお聞きしましたら、今降りてきたばかりの階段の向こう側ですよとのことで、すぐに、おトイレに行き、そして登ってホームを少し歩いたら、人さんがたくさん並んでいる中央口につきましてほっとしました。そして改札を出て、向かいに来られていた甥のTさんと出会いほっとしました。

地下駐車場より小牧市にある甥の実家に向かいました、車中でよもやま話や故人の最期などの忌憚ない話を聞いたりしながら、このように今までは腹を割った話などしたことがなかったなあと、これも故人が、結び付けて頂いたのかなあと感慨深く思いながら、そのうちに「おじさん、今日泊まるホテルの2階に居酒屋があり、一杯やりませんか」との粋な計らいがあり、すぐさま承諾をしました。

 

実家によらしていただき、ご仏前と粗菓をいただいていただき、昨年の葬儀に事情があり参列できなかったので、お仏壇に、飾られた柔和な、安心しきっているような兄の顔を拝見し、昨年のわびと、今来させていただきましたと、妻の分まで、「なんまむだび 々 」とお参りをさせていただきました。

そして義姉さんに、お茶をいただいたり、、昨年のお邪魔できなかったわびをさせていただいたり、故人のお話やら、いろいろお聞きさせていただきまして、ホテルに向かいました。

部屋に荷物を置き、早速お店に入り「そんなに多くは食べられないと、お任せします」と、甥が注文をしてくれました。

ロビーでは居酒屋での飲み物の一杯無料券が渡されていて、私だけお酒を(ビール)、甥は車の運転があるので、お茶類を、そして車中と同じように、腹を割った、この度の苦労話とか忌憚のない話をお互いにしあい、そして甥より少しだけ人生経験のある小生が、娑婆のいろいろな話をさせていただいたりと、有意義なひと時でした。

出てきた焼き鳥やらお刺身やら、いろいろなものが的確に出てきて、どれもおいしくて、最後の白ご飯と、赤だしの味噌汁と漬物をいただいたのですが、おいしくいただいて、部屋に入り熟睡しました。

 

朝食はバイキング形式でしてAM 6時半過ぎに行きトースト、野菜類、ウインナー、卵焼き、ホットコーヒーなどをとり、おいしくいただきました。

 

AM9時半の向かいでしたので、その前に受付で部屋のカードを、お世話になりましたと、お返しして棚に「国宝犬山城」と「明治村」のパンフレットがあったので、いただいてきました、そしてロビーにはコーヒーのサービスが、ありましたが今回は遠慮しました。

 

ホテルの名前は「CASTLE  INN KOMAKI 」でした、部屋には小額入りの絵画が飾ってあったり、居酒屋が館内にあったり、また何をいただいてもおいしく、満室ではないかと思われる人々でにぎわっておられ、なるほどなあと思いながら、小生も、いろいろな対応に感心したり満足したりと、気持ちの良い宿泊でした。

 

そして車で送っていただき式場に入りましたら、三番目の姉が、先に来ており、お互いのいろいろなやり取りをしてから、再会を、喜び、故人の話やら、亡き母の話や兄弟のとか、忌憚のない話やら、近況やらで話が盛り上がり、そのうちに大勢の兄弟やら親戚の方々が,子供連れの方々も来られまして、またまた再会の喜びや、いろいろなお話で、

 

時間の経過があり、AM11時00分の少し前に法要の席に着き、お寺さんのありがたいお経の中で、ご焼香がありまして、しめやかな中、一周忌の法要が、行われました。

 

その後で、飲食の場が設けられて、いろいろな忌憚のないお話が出たり、故人の、お話が出たり、涙ながらのお話やらで、本当に、人生の中で、貴重な、ひと時を過ごさせていただきました、これも故人が引きあわえて頂いたのかなあと、思いながら、そして、家族構成を作られたり、偉大な功績と思われることを成し遂げられたのだなあと、さらにしのび、思いました。

 

私は、ビールをコップ一杯だけいただいて、帰路で、まよまるといけないので、あとはノンアルコールでいただきました。

 

長兄は、大勢の皆さんに取り囲まれて、さぞ満足をされているだろうと思いました、そしてご家族も、ほっとされておられるだろうなと思い、この法要の課程の経過などをねぎらってあげたいという思いでもあります。

 

そして数々の心のこもったいただきものなどをいただき、再度、ご自宅へお邪魔して、仏壇にお参りをして、その飾られた写真を見て「面影が母に似ている、父に似ている」等々の、お話の和やかな中、皆さんとお別れして帰路の名古屋駅へ、四番目の姉と甥に車で送っていただきました、途中で名古屋高速などに乗ったり、駅前まで、感謝申し上げておろさせていただき、横断歩道を渡り、ホームに向かい、また駅員さんにトイレの場所をお聞きしていき、在来線のところへ、行ったら、「しなの○○号 長野行き」が、PM 3時00分発と出ていて、急いで階段を急ぎ足でホームへ行ったら2,3分前でして列車に乗り込みました。

満席で何人かはデッキのところに、おられ、私も同様にして20分ぐらいですか、確か多治見駅でしたか、運よく降りられる方がおられまして、すぐさま席に着くことができました、松本より手前だったと思いますが、隣の席に中年と思われる外国の女性が席につかれ、何度も通る駅員の方を呼び止められて、何かをしきりに何度も訪ねられておられました、しまいには私の方に、恐縮と思われたのか「エクスキューズミー」と言われたのか、言葉を発しられておられました。

若そうな駅員さんでしたが、何かタブレットなどを出されて外国語で応対されておられました、私には「オー」とか「オーケー」とかしか、わかりませんでしたが、語学力がなければ務まらないなあと、感心しながら見ていました。

 

私にも何か話しかけられたれたら? もう、中学で習った英語で「アイキャン ノット  スピーク イングリッシュ」しかないですよね。

 

そういえば木曽福島の手前あたりでしたか低い山並みの中腹より山頂に向かい、真綿みたいな白い雲の群れが、静かにたたずんでいました、なにか「木曽路はすべて山の中」の文言が浮かんできました。

 

そうこうしているうちに長野駅に到着しまして、PM 18時00分に着き上越妙高駅への、はくたかに乗るまで9分の待ち時間でして、焦って新幹線のホームへ向かいましたら、アナウンスで5分ぐらい遅れているとのことで、拍子抜けやら、安心やらでした、驚いたのはホームの乗り場の線路わきのガードがないことでした、なんか在来線のホームと間違えたのかなあと錯覚を起こすような感じでした。

 

はくたかに乗り込むと三人掛けのところの席が二つ空ていて、窓側の女性に空いていますかと了解を得て座ることができました、先ほどから妻に帰り時間などのメールをしていて、再三メールのやり取りがあり、PM 18時40分ごろでしたか到着して、皆さんが行く方向に行ったら、どうも裏口みたいで、引き返し、表口の方に向かいおりてから、最後のおトイレに行き、駐車場の方に向かったら妻の姿があり、車で帰宅しました。

車中にて、この度のことを、かいつまんで話をしまして、いい法要だったとの報告をして無事に戻ってこれたことに安どしていると、ほっとしたのか使命を終えての快い疲れを感じました。

 

家に帰り、礼服を脱いだり、、荷物の整理やら、妻にどなたからの頂ものやらとかの説明をしたりと、一段落をして、妻の買ってきてある夕食の、お寿司をいただきながら缶ビールを飲み、お土産にいただいた、おせんべいを賞味したりと夕食を済ませ、お茶を飲みながら、やはりいただいてきた、きんつばをおいしくいただきまして、世話になった、甥に、この度の、いろいろなお気遣いやら、たくさんの頂ものやらのお礼と、法要の終わられたねぎらいなど、申し上げて感謝の言葉と共に電話させていただきました。

 

10月10日 朝のAM 9時00頃より、義姉さん、はじめ、この度の関係する方々に、お礼やら、感謝の言葉やらで電話を差し上げさせていただきました。

 

その後で、このブログをお昼を除いて、思い出しながら綴らせていただいていまして、ただいまPM 3時になるところですが、ようやく、綴り終えるところです。

 

そういえば、昼食の後で、お茶をいただきながら、いただいてきた「これきよ」の抹茶入りとリンゴ入りのどら焼き風のお菓子を妻と半分づつ、おいしくいただかせていただきました。

 

この度は、人生の中での、そうそう、経験することがないと思われる生身な貴重な、大切な時間を故人が間に入っていただいたのでしょう、ありがたかったでした。

 

人間は長く生命があるようでも、あっという間の生涯と思われるので、自我をあまりにも主張しないで、思いやりのある、争いごとがない、人様のことに思いを費やしたと思われる生涯を送りたいものですね。

 

 

10月11日 読売新聞朝刊の28面の記事によりますと、【橋本、鉄棒初V  3冠達成】

【世界体操日本メダル5個】と大見出しで掲載されていました。

皆さん大活躍をされたみたいでして、おめでとうございました。

 

そして一面には【イスラエル「ガザ包囲」近く地上作戦か】双方死者1600人超

いろいろ込み入った事情があるのかとは思いますが、何とか穏便に収まってほしいものですね。

地球上の皆さんは、いろいろな災害やらを乗り越えたり、それでなくても大変なことにやっとやっと立ち向かい、日常生活にも追われ、、これ以上の破壊活動や諸悪の問題を起こしてもらっては、迷惑千万であると思いますので、それぞれの上に立たれる人たちには塾考し、心していただきたいものですね。

 

最近、真の男、真の人間が、少なくなってきましたようで、懸念しているところです。

【真の男・真の人間・男の中の男】とは、人さんと争うのではなく、自分と戦って、そして研鑽して自分を磨き、自分を踏み台にして、人様のことを、人類のことを生末を第一に考える人のことではないでしょうか。