小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

越後城下町 高田 徒然 「7-浄興寺」

 

越後城下町 高田 徒然 「7-浄興寺」

浄興寺を描きました。

 

3月20日PM1時より21日PM3時50分に出来上がりました。

 

この絵画は、浄興寺の正門から奥の本堂を、見た構図になっており、裏寺町より描いてあり、ここはT字路になっていて、手前の方には浄興寺大門通りが、あり寺町通り、踏切,仲町通り、本町通りまで一直線に続いていて、またその先には、大町通りがあります。

 

空を描き、正門の瓦屋根を、その下の丸柱や寺院名を、本堂を、脇の塀がきを、両脇の木々を、看板を、敷石を、手前の小石柱などを、奥の木々を描き出来上がりました。

 

正門の瓦屋根ですが、かなり試行錯誤をして瓦に当たり光っているところなどを表現してみました。

寺院名板も、わかりずらいですが、金文字で、それなりに描いてみました。

手前の看板には「煩悩」という字が書いてありました。

塀がきには、横に5本選が描かれていますが、これは、やたらに表すことができないとのことで、寺院の格式を表しているのだそうです。

 

早春の浄興寺の風情を味わってみてください。

 

もしかして、これが秋の季節ですと、「夕日の空」や「そしてカラスが飛んでいたり」そんな構図が似合っているのかもしれませんね。

 

真宗浄興寺派 本山浄興寺」が正式な名称です。

 

上越市寺町2丁目6-45に存在されています。

 

浄土真宗の宗祖親鸞聖人によって創設されました。

 

聖人は承元年(1207)念仏禁止令によって越後の国、国府(上越市)に流罪となり、越後滞在7年の瞽、妻子とともに、常陸国(茨城県)へ移られ、笠間郡稲田郷に稲田禅坊を開きました。

そしてこの禅坊を歓喜踊躍山浄土真宗興行寺とし、略して浄興寺としました。

 

親鸞聖人の死後、遺骨と遺品が納められました。

 

様々な地域に移られましたが、元文2年ごろ(1737)高田城下復興の際、現在地へ再建されました。

 

昭和27年(1952)宗教法人法により東本願寺より独立が達成されました。

 

浄興寺本堂は国指定重要文化財に指定されております。

 

 

私事ですが、浄興寺の境内の中の、寺院の一つである玄興寺が、我が家の壇那寺でありまして、いつもお世話になっております。

 

そんななじみの深い、お寺を題材に描かしていただいて光栄に思っているところでして、真冬の本堂を描かしていただいたり、これで三枚目になりますが誠にありがたいことであります。

 

3月22日 昨日は韓国でのドジャース戦をTVにてPM11時近くまで観戦しました、手に汗握るような戦況でして、長い時間でしたが、戦われておられる皆様のことが、よく伝わってきて、良いドラマを見させていただきました。

 

大相撲では尊富士関が一敗を期し、大の里関と豪ノ山関と琴ノ若関と豊昇龍関が三敗で並びましたね、大熱戦で、皆さん頑張っていただきたいものですね。

 

今朝は4時少し前に目覚めまして、ポーチの電気をつけ、雪の状態が気にかかり、恐る恐る玄関戸を開けて外に出てみたら、うっすらと白くなっておりましたが大勢に影響はなくて助かりました。

新聞も来ていましたので、持って中に入り、目覚まし時計を止めて、ただ今ブログを綴っているところで、4時半になるところです。

これから新聞に目を通して、ホットコーヒーをいただき、そのまま今日の一日が始まりますが、まああ、早起きをして得をしたように思いたいと思っているところです。

 

神様が起こしてくださったのだとは思いますが、それにしても我ながら特段に「貧乏性」でございますですね。

 

今朝の雪が、今冬の、なごり雪のような気がしてきましたが、毎日毎日冬中、天気予報の降雪予報が気にかかり、にらめっこ、これで開放していただきたいものですね。

近日冬の間お世話になった、消雪の仕掛けなどを片付けたいと思っているところです。

代わりに、網戸の取り付けですか、でも仕事があることを喜びと感じながら、そしてできる喜びも感じながら、感謝している毎日でございますね。

 

予報通りに、お昼少し前から雪がやみ,お日様が出てきましたので、お昼ごはんも早々に食べて班と自宅の消雪設備の取り外しをしました。

もう降っても大したことがないのではと、腹をくくった次第です。

 

3月23日(土曜日)

昨日の相撲で、尊富士関が勝利して12-1でたいへんな快挙なのだそうですね、100年ぐらいの歴史の中で13日目でのこの成績は、今までは、ほぼ優勝につながっているみたいですとのこと。

そして3敗で豊昇龍関、大の里関が追従されていますね、お三方には、それぞれ悔いのないように、精いっぱい頑張っていただきたい思いでいっぱいであります。

 

ただ今、朝の9時に、なるところですが高田郵便局に速達の手紙を出しに行ってきたところなのですが、3月も終わりに近づいて、車を走らせていたら、何か朝もやの中でのけだるさが残る空気を感じ、小学校高学年の頃の子供のころに感じたことがある、雰囲気を思い出しました。

季節が春に移り変わる一つのステップなのですね。

 

3月24日(日曜日)

昨日の大相撲では、尊富士関と朝乃山関との対戦で朝乃山関が勝ち、その時に尊富士関の右足に異変が、その後救急車にて病院へと、大変に心配ですね、あと一日取り組みができるといいのですが。

そして大の里関が阿炎関に勝ち、三敗を堅持して、尊富士関に、ただ一人続いています。

どのような展開になるのでしょうね、皆さん、ご自分の力が、十分出せるようになれば良いのですがね。

 

私のブログが「14」もの大きな数字をいただきました。

どなたが開いていただいたのでしょう、ありがたくて仕方がありません、誠にありがとうございました。

今描いている絵画ですが、最後のナンバー8の雁木ですが、もう少しで完成しそうになり、充実感と、作品描きが終わってしまうのかとの感情が、交叉して複雑な状態であります。

皆様には「越後高田の徒然」の全体を、私の心意気を、十分に味わっていただきたい気持ちでいっぱいであります、ご鑑賞のほど、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。

 

そしてカウントも、あとほんのわずかで二万二千アクセスが達成できる見通しが立ちまして、はやる気持ちを抑えているところです、よろしくお願い申し上げます。

 

今朝も5時に目が覚めまして、ただ今ブログを綴っているところです、本日は我が家の冬囲いの取り外しの日でして、人さんにお願いもしており、そんなことで、神様が早く起こしてくださったのでしょうか。

 

お天気に恵まれまして、おかげさまで一日で冬囲いの取り外し作業が終了しました。

同時にに草取りや、榊の枝払いや、植木や花に栄養剤を与えて、最後に水やりをして終わりにしました。

出たごみは45リッターの袋に満杯で3つでました。

やれやれで、心地よい気分になり妻とささやかな外食に行きました。

そして長い冬の間、囲いの中にいた植物なども、喜んでいるように感じました。

 

3月25日 昨日は尊富士関が110年ぶりに新入幕にて見事に優勝を飾りました、しかも前日に右足を負傷して出場が危ぶまれましたが兄弟子の横綱照ノ富士関に「お前ならできる」と励まされ、自分でも「やらなければ一生後悔する」との思いで、痛み止めを打ちながら千秋楽で豪ノ山関に勝ち快挙を手にされたのでした。

誠におめでとうございました。

 

大の里関も奮闘されました、海洋高校のある能でのPVの大声援も報道されていまして敢闘賞と技能賞を手に入れられました。

新三役になられるのでしょうか、来場所が非常に楽しみであります、ご奮闘を祈願申し上げます。

能登に被災地の皆様に多大なる勇気を与えられたのではないでしょうか。

朝乃山関も奮闘されましたね。