小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

ポーチに咲く寄せ植えの花(鉛筆書きの素描)

ポーチに咲く鉢植えの花(鉛筆書きの素描)

年末にホームセンターで妻が素敵な、たくさんの花たちを見つけ、それを寄せ植え
にして幾鉢も作り、玄関ポーチのスチールだなに並べて鑑賞して楽しんでいましたがそのうちに寒さがかんじてきまして不織布でおおい大事に育ててきました。

先日暖かい日に、おおいを外した時に、ふと描いてみたいなあと思いつき制作しました。

 

段々と春に近づいてきて、妙高の冬景色も描きましたが、素敵な花も見ていたら、なんとなく、華やいだ気分になり気分転換で描いてみました。

 

鉛筆書きで2月19日より21日の三日間かかりました。

 

描かれている中央の大きめの花が「ビオラでイエローブルージャンプアップ」で下の方の小さな花たちが「スイートアリッサム」で長い葉っぱが「スノードラゴン」という名前の花だそうです。

 

バックは我が家の玄関戸で格子状になっていまして、四角い中は型板ガラスが、はめ込んでありまして、その模様が描かれています。

確かこの型板硝子は「石目」と言いましたか。

今はどうですか、前にはこのように、いろいろ魅力的な型板ガラスが使われていました。

そしてこのように玄関戸の格子状のラインには定規を使っていますが、定規を使うのは初めの頃は邪道と思っていましたが、賛否両論があると思いますが、小生は色塗りも上手でないので,なるべく実物に近くなるようにと、このように努めて描かしていただいています。

 

描いているうちに、鉛筆書きによる描写も魅力的だなあと思い、この後色付けはするのですが、その後で消えてなくなるかもしれない細やかな表現も残しておきたいという願望に駆られたのでした。

聞くところによりますと防犯カメラなどはカラーより白黒のほうが暗闇などでは鮮明に映るのだそうですね。

そして昔夏休みの宿題で、何かの花を花と茎と枝と葉っぱの立ち姿をHBの鉛筆で夢中になり描いた記憶が鮮明によみがえってきました。

 

この作品は花の背丈が低いため目線を少し上の方より見て描いてあります。

 

この寒さの中で、力強く咲いている、けなげで小さな命の花たちですが共感していただけましたでしょうか。

 

バックの玄関戸ですが、どうかと悩んでみましたが、ありのままがと思い直しまして

でも型板ガラスの模様に救われました。

 

これから色付けに入りますが、白黒とカラーの対象とか、それぞれの長所、見所などを鑑賞していただきたいところです。

宣言した手前、びくついて臆病気味に絵筆を執りますが、一生懸命に向かいますので出来不出来はご容赦ください。

 

この度は、ほんのたまにの鉛筆書きの素描、いかがだったでしょうか。

型板ガラスの、試行錯誤の末の石目の細かな楕円や筋模様など特に鑑賞していただきたいところです。

天才肌の方々は、ぶっつけ本番で、いきなり絵筆を使い描かれておられるようですが、無能な私は、いつもこのように詳細に下書きをして描いています。

これも言い方を変えれば個性でしょうか。

 

2月23日でしたかテレビを見ていたら、水泳の池江璃花子さんが試合の後でプールに向かい、深々とお辞儀をされたのでした。

若干22歳の女性が、人目もはばからずにのこの行為には感心させられました。

大病をされたり、大変なご苦労をも克服されたようですね。

いろいろな訳を話されておられましたが、プールへの感謝とともに日常や選手生活を送らせていただくだけでそれだけでうれしくて感謝の気持ちでいっぱいだったのだと思いました。

小生も胸が熱くなり応援したくなる気持ちでいっぱいになりました。

 

大相撲の世界でも土俵に向かわれるときも去る時にも、土俵に向かい相撲さんはお辞儀をされますですね。

 

小生は競輪のフアンですがリンクに入る時にも去る時にも、選手はリンクに向かい、お辞儀をされますね。

 

最近気になるのですが、テレビの歌番組を見ていると、一部で歌い終わりでのお辞儀が省略されていることがあります。

我が故郷の大先輩で大歌手であられた三波春夫さんが、【お客様は神様です】と常々申されておられました。

 

いろいろな世界で、高尚なことはさておき、ご自分の置かれている立場や位置にいられるのは、お世話のなった人様のおかげなのだとの感謝の気持ちや礼節を忘れてはならないのだと痛感させられました。

そして一番大切なことは【人の痛みがわかる】あるいは常に理解することではないでしょうか。

そしてそして神さん仏さんの存在も忘れてはならないものだと思います。

 

そして死の間際に【自分は人様にどれだけの施しをすることができたのか】そのかすかな喜びに浸りながら、微笑んでいくのでしょうか。

小生は偉そうなことを言う分際ではありませんが、このような心掛けの方が大勢の世の中にぜひともなってほしいなあと願っているところです。

 

そして希望のある、未来がある、あたりまえのことがあたりまえにでき常識が通じる素晴らしい世界が開けてくるのでしょうね。

 

「一円玉天気」 これ以上崩れないような天気、晴れという意味らしいです。

5チャンネルの天気予報士の依田さんが、R・5・2・27の朝に、このことを発信されていました。

なるほどなあと思いました、小生も何事にも動じない「一円玉男」になりたいなあ、なれたらいいなあと思いました。

そして一番究極に望むのは「一円玉の世界」でしょうか。

同じような晴れの天気で「へそ天気」という、いいかたもあるそうですね。

これは高気圧の中心が「へそ」のように見えるからということでした。