小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

令和6年能登半島地震

 

 

1月1日元旦のPM4時20分ごろ前後でした物凄い壮絶な、そしてものすごく長い時間の地震でした。

茶の間でパソコンでのネット将棋をしているときでした、ものすごい揺れで、家が倒れるのではないかと思うほどの激しい揺れで、それもいつまでもやまない揺れで、とっさに足と手を踏ん張り、どうか、やんでくれとの、必死の神頼みでした。

今考えると、1,2、せいぜい3分ぐらいだったのではないかなあと、思うのですが、その時にはものすごく長い時間に感じられました。

 

今まで経験したことがないような激しい揺れで、座っていた後ろの大きな茶箪笥の方から「ザーザー、ガシガシ」とすごい物音でして余計に恐怖感を覚えました。

 

将棋は、もちろん、すぐに投了して辞めました。

 

妻が、早い夕飯に備えて、お雑煮づくりの最中でIH の上の鍋が転げ落ちそうになって、すぐさま抑えて、すぐにスイッチを切ったそうでした。

 

TVでは、どのチャンネルも地震のことでいっぱいでした。

 

家の中を見たら、小物が床に落ちている程度で、外に飛び出してみましたがさして異常がないようで、おかげさまでした。

 

茶碗の洗い物を、しょうとしたら、ガスの給湯器よりのお湯が出なくて、業者さんの方に連絡したらガスメーターの耐震装置が働いていたとのではとのことで、復旧しましたら、使えるようになりました。

現役を離れて15年近くになり、すっかり、お恥ずかしいのですが忘れていました、しかし、本当に、お湯が使えないということは難儀なことなのですね、ありがたさが身に染みました。

 

外へ出たときにはご近所の方も、慌てておられ、車で高台の方に云々とのことでしたが、まあ津波が来た時には二階へ上がればどうですか、そのような会話の中で、納得されたようでした。

 

3メートルの津波との予報でして,心中穏やかではいられませんでしたが、直江津方面では、山崩れや、浸水などがあり大変でしたみたいで被害状況は定かではないのですがすが、予報の津波までは至らなかったみたいでして、そこそこ助けて頂きました。

 

何とか夕飯にありつけまして、その後もTVでの報道を見続けていましたが、こちらは震度5強でしたが石川県では震度7のところもあり、壮絶な光景が映し出されていました、

お亡くなりになられてお方とか、家の倒壊とか、大火災とか、津波とか、停電、道路遮断、断水、この寒さ、ただただ、お大事にと、お見舞い申し上げる次第です。

 

夜の10時過ぎまで、大小の地震が、数えきれないくらい起きて、収

まっていただきたい、ただただ、祈るばかりでした。

 

いつでも出れるような体制で、普段着のまま寝床に入りました。

 

ただ今2日朝の10時半近くになるところですが、また体に感じる地震が来ました。

 

ただただ、祈るしかできませんが、お祈りするばかりです。

 

TVでは箱根駅伝が、しかし10分おきぐらいに頻繁に起きる地震の情報が、本当に祈るばかりです。

 

有難いもので、昨日と今日、遠方の姉二人から、そして義兄さんからも、この度の、お見舞いの連絡をいただきました、やはり遠方の妻の姉さんからもいただきました。

 

そして時間がたつにつれて、お亡くなりになられた方が日増しに多くなられているみたいでして、ご冥福を、お祈りさせていただくばかりです。

 

この度のことを経験し、人間は自分一人で生きているようなつもりになっていても、神、仏さんに、生かさせていただいているのではないかと、つくづく痛感し、思い知らされました。

 

これから今日はどうかと思っていたのですが、新年の寺参りに行ってきたいと思っているところです。

 

1月3日 

昨日一日は、体に感じられる地震は、ごく少なくなりまして、おかげさまで少し安どしているところです。

 

今朝の読売新聞の朝刊の一面には、痛ましい飛行機事故の報道と、令和6年能登半島地震の報道が大きく掲載されていました。

どちらも起こってはならない出来事で、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々に深くお見舞いを申し上げます。

 

地震のことに関しまして二面には米国、英国、仏国、台湾の各国よりの支援の表明が掲載されていました。

米国のバイデン大統領からは

「恐ろしい地震の影響を受けた日本の人々のために祈っている、日米には国民を結びつける深い絆がある」

「米国は日本の人々が必要とする、あらゆる支援を提供する用意がある」

その他にも上記の各国からは、大変温かい、ご支援の表明が掲載されていました。

大変にありがたいご支援のお言葉ばかりで、日本人として、感激の極みで、素直にありがとうございますと、申し上げるばかりです。

 

それにしても、この地震を経験したものとして、被災、被害に遭われた方々の、悲しみや、お嘆き等々は、計り知れないものと思い、あらゆる支援をするとともに、励ましの、お言なども同時にお願いしていけたらと強く思っているところです。

 

ただ今、夜の9時20分になるところですが、このブログに向かっているところです。

地震のあった時は、ちょうどネット将棋の序盤で、考慮中でした、それ以来、またネット将棋をすると、ぶり返すような気になり、将棋を指す気になれないでいます、私がまた、将棋を指すと、また悪夢が来るような気がするのです、そのぐらい、地震の恐怖心が、襲ってくるのです、私が節制すれば、私を含め皆さんが、平穏に生活が、できるのではないか、    うまく、言葉で表現はできませんが、なんにしても、この度の地震が、どうか収まってほしいと、神様、仏さまに、お願いするばかりです。

 

1月4日 朝食を食べているときのニュースで地震の報道が流れていました、大変痛ましい映像やら、地元の方々の悲痛な肉声やらで、唖然として、言葉にできないほどに、悲しい、痛ましい出来事でした。

家族を亡くされた方々、住む家をなくされた方々、どのようになぐさめさしていただいたらいいのかわかりません。

頑張っていただきたい思いです。

 

昨日は、大変な時期に、小生のブログを9人、もしくは9つをご覧になられていただきました、誠にありがとうございました。

 

新年の上越市将棋倶楽部があり、新年会の代わりに「ワンカップのお酒、缶ビールとつまみの柿の種」をいただいて、家に戻ったらポストに年賀はがきが送られてきていて、その中に「昨年は、出品しなかったみたいで残念でしたが、今年の上越市展は出されますか、楽しみにしています」との、ありがたいお言葉が、そえられていました。

何気ない一言ですが、作品作りにも励みにもなり、大変に、嬉しいものですね。

 

わが家の「住宅用火災報知器」ですが、ピッピッと音がしていて何の音かと思ったら、どうもこの器具の電池切れみたいでして、妻が保管してあった取説を見つけ、取り外してみたら、やはりそうみたいでした。

早速、家電屋さんへ出かけ、お聞きしたらリチュゥム電池の交換よりも、この器具の対応期間の10年が過ぎている可能性があるので、とのことで、器具ごと交換するように、対応したいと思っています。

あっという間の10年だったように感じました。

考えてみれば一週間も、わけがないものですものね。

 

将棋倶楽部にて、地震のことで、いろいろな方々に、先日の様子をお聞きしてみたらやはり上から物が落ちたとか、直江津の方は、お住まいのところが小高くて標高15メートルもあるとのことで、100人くらいの方々が一時、その場所に集合されて様子を見られたのだそうでした、なんにしても大事には皆さんいたらなくてよかったと思いました。

 

ただ今夕方の5時少し過ぎましたが今日は、今のところ体に感じる地震は、無いようなので、安堵しているところです、このまま収まっていただきたいものですね。

「是非、是非とも」  ですね。

 

「なんでも鑑定団」のTV を見ながら眠ってしまったようで、10時過ぎになりましたが目が覚めまして、茶の間でブログのアカウントを見ようと、見ていたら11入っていました、嬉しくて眺めていたら、なんとまた、けたたましくピコッ,ピコッと、なりだしまして、早速、家にある脚立を出して、住宅用火災報知器を外して電池を抜きました、そして階段の上を見たら、同じくパカッ,パカッとランプがついていて、やはり外しました、合計で4個ありました。

ブログを見て頂いて再度、御礼を申し上げます、誠にありがとうございました。

 

そして、また、今10時25分になりましたが、再度見てみたら16ものカウントが入っていました、本当にありがとうございました。