小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

プロ野球開幕 3月29日

本日プロ野球が開幕しました。

 

民放のTV放映があり、私は巨人対阪神の試合を見ました。

 

4ー0で巨人が勝利しました。

 

先発の戸郷選手、そして抑えの大勢選手、そして梶谷選手のホームランが印象的でした。

 

両チームが切磋琢磨した試合運びで、興奮して楽しませていただきました。

 

どの選手も必死な形相で、目の色が違うのでした。

 

ひと昔前は、会社勤めの後の夜はビールを飲みながらの野球観戦が唯一の楽しみでした。

 

ところがあるときから、あくまで私の主観ですが「インデアンの逆襲がなくなり」また「選手の野球を見ていて、あまりにもたんぱくな姿勢に見えて」、興味がそがれてからは、ほとんど見なくなりました。

 

それでも根強い野球ファンがたくさんおられるのですね、東京ドームは満席ですか物凄い観客でいっぱいに見えました。

 

そして手を振ったりして、一緒に野球を楽しんで応援されておられるのでした。

 

その中に、2,3歳と思われる小さな男の子がプラスチックと思われる小さなバットを必死で、力強く降られて応援されているのでした。

試合運びなどわかっておられるのでしょう、けなげに見えて、つい微笑んでしまいました。

 

放映の途中では、巨人軍終身名誉監督長嶋茂雄さんがチームの激励に来られて、阿部監督や各選手にグータッチにて力強く声まで発しられての必死の激励の姿が映し出されていました。

 

試合を見ていると、指導者の裁量・力量・指導力人間性等が顕著に表れてきていますね、選手の指導者に対する信頼感、また指導者が見せる選手に対する信頼感、試合に勝負にの勝ち負けは別にしても人さんは、よく見ていますから、厳しい世界ですが、またそれだけ厳しい目で見てもらえるということは幸せなことであると思いますね。

 

 

私は素人の絵かきですが、小生の作品に対しての、そのような機会がいつ現れるのでしょうね、専門家の見る目がない人々の集団とあきらめざるを得ないのですかね。、悲しい、そして淋しい現実ですね。

 

しめくくりに、このぐらいの必死の試合を見せられれば、またまた興味がわいてきましたので、この熱い人間ドラマを、見させていただこうかなあと思っているところです。

 

4月1日 

昨日は、何カ月ぶりでしょうかブログの数値が「0」をうちました、私の努力不足なのでしょう、継続は力なりの精神でへこたれずに頑張ろうと決心しているところです。

 

妻が昨日、通りすがりに儀明川の側道のコヒガンザクラの並木道を通ったら三分咲きで濃い桃色の花が咲いていたとのことでしたので、これから取材もかねて見に行ってこようと思っています、私はこのくらいの開花状況が一番好きなので楽しみです。

 

本日から上越市役所にて75歳以上の人間ドックの補助金の申請が開始されるとのことで、市役所へ問い合わせたところ、受診機関の予約をしてから来てくださいとのこと、そして大変に込み合っているとのことで、急がなくっても差支えがないので、後日にされた方が、とのご親切な応対でした、それから受診機関にて予約をしました。

近日に市役所の方に行ってきたと思っています。

 

10時過ぎにスーパーへ、お昼の弁当と刻みキャベツと気に入りの缶コーヒーを求めお墓の近くになった時に、そうだ昨日は班の難題が一段落を見ましたので、これもなき父母のおかげではないかと思い、先日お彼岸過ぎに、お墓参りをしたばかりですが、またお参りをし御礼を申し上げさせていただきました、先日の供えたお花が、そのままにきれいに供えられておりまして、千種石のお墓の側面には「昭和45年建之と、母の名前と子供一同」と記されておりました。

もうかれこれ55年近くになるのですね、それにしても経済状況が思わしくない時に父が亡くなるすぐに、母の手により、立派なお墓が建てられたのでした。

父も安心して天国に召されたことでしょう、今でも頭の下がる思いであります。

 

そして儀明川の桜の取材へ行きました。

昨年と同じで料亭宇喜世から本町への途中の歓喜橋の上から、昨年より少しだけ仲町寄りの方からの撮影でした。

ほとんどは三分咲きぐらいでしたが陽当たりが良いところなのでしょう、八分咲きぐのところもあり、昨年を思い出したり満足のいく取材でした。

 

家に戻る途中で寺町通を保育園の幼子たちが二人一組で手をつなぎ先生の先導の後でかわいらしく水色のそろいの帽子をかぶり、お散歩でしょうか、そして裏寺町に差し掛かったら、やはり一斉に手を挙げて横断するのでしょう、ピンクとオレンジと黄色の、それぞれの帽子をかぶり、たくさんの集団に出くわしました、おそらくそれぞれの組の違いが帽子の色で区分されているのでしょう。

お散歩を楽しんで無事に園に戻られることを、ただただ願うばかりでした。