小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

プロ野球開幕 3月29日

本日プロ野球が開幕しました。

 

民放のTV放映があり、私は巨人対阪神の試合を見ました。

 

4ー0で巨人が勝利しました。

 

先発の戸郷選手、そして抑えの大勢選手、そして梶谷選手のホームランが印象的でした。

 

両チームが切磋琢磨した試合運びで、興奮して楽しませていただきました。

 

どの選手も必死な形相で、目の色が違うのでした。

 

ひと昔前は、会社勤めの後の夜はビールを飲みながらの野球観戦が唯一の楽しみでした。

 

ところがあるときから、あくまで私の主観ですが「インデアンの逆襲がなくなり」また「選手の野球を見ていて、あまりにもたんぱくな姿勢に見えて」、興味がそがれてからは、ほとんど見なくなりました。

 

それでも根強い野球ファンがたくさんおられるのですね、東京ドームは満席ですか物凄い観客でいっぱいに見えました。

 

そして手を振ったりして、一緒に野球を楽しんで応援されておられるのでした。

 

その中に、2,3歳と思われる小さな男の子がプラスチックと思われる小さなバットを必死で、力強く降られて応援されているのでした。

試合運びなどわかっておられるのでしょう、けなげに見えて、つい微笑んでしまいました。

 

放映の途中では、巨人軍終身名誉監督長嶋茂雄さんがチームの激励に来られて、阿部監督や各選手にグータッチにて力強く声まで発しられての必死の激励の姿が映し出されていました。

 

試合を見ていると、指導者の裁量・力量・指導力人間性等が顕著に表れてきていますね、選手の指導者に対する信頼感、また指導者が見せる選手に対する信頼感、試合に勝負にの勝ち負けは別にしても人さんは、よく見ていますから、厳しい世界ですが、またそれだけ厳しい目で見てもらえるということは幸せなことであると思いますね。

 

 

私は素人の絵かきですが、小生の作品に対しての、そのような機会がいつ現れるのでしょうね、専門家の見る目がない人々の集団とあきらめざるを得ないのですかね。、悲しい、そして淋しい現実ですね。

 

しめくくりに、このぐらいの必死の試合を見せられれば、またまた興味がわいてきましたので、この熱い人間ドラマを、見させていただこうかなあと思っているところです。

 

4月1日 

昨日は、何カ月ぶりでしょうかブログの数値が「0」をうちました、私の努力不足なのでしょう、継続は力なりの精神でへこたれずに頑張ろうと決心しているところです。

 

妻が昨日、通りすがりに儀明川の側道のコヒガンザクラの並木道を通ったら三分咲きで濃い桃色の花が咲いていたとのことでしたので、これから取材もかねて見に行ってこようと思っています、私はこのくらいの開花状況が一番好きなので楽しみです。

 

本日から上越市役所にて75歳以上の人間ドックの補助金の申請が開始されるとのことで、市役所へ問い合わせたところ、受診機関の予約をしてから来てくださいとのこと、そして大変に込み合っているとのことで、急がなくっても差支えがないので、後日にされた方が、とのご親切な応対でした、それから受診機関にて予約をしました。

近日に市役所の方に行ってきたと思っています。

 

10時過ぎにスーパーへ、お昼の弁当と刻みキャベツと気に入りの缶コーヒーを求めお墓の近くになった時に、そうだ昨日は班の難題が一段落を見ましたので、これもなき父母のおかげではないかと思い、先日お彼岸過ぎに、お墓参りをしたばかりですが、またお参りをし御礼を申し上げさせていただきました、先日の供えたお花が、そのままにきれいに供えられておりまして、千種石のお墓の側面には「昭和45年建之と、母の名前と子供一同」と記されておりました。

もうかれこれ55年近くになるのですね、それにしても経済状況が思わしくない時に父が亡くなるすぐに、母の手により、立派なお墓が建てられたのでした。

父も安心して天国に召されたことでしょう、今でも頭の下がる思いであります。

 

そして儀明川の桜の取材へ行きました。

昨年と同じで料亭宇喜世から本町への途中の歓喜橋の上から、昨年より少しだけ仲町寄りの方からの撮影でした。

ほとんどは三分咲きぐらいでしたが陽当たりが良いところなのでしょう、八分咲きぐのところもあり、昨年を思い出したり満足のいく取材でした。

 

家に戻る途中で寺町通を保育園の幼子たちが二人一組で手をつなぎ先生の先導の後でかわいらしく水色のそろいの帽子をかぶり、お散歩でしょうか、そして裏寺町に差し掛かったら、やはり一斉に手を挙げて横断するのでしょう、ピンクとオレンジと黄色の、それぞれの帽子をかぶり、たくさんの集団に出くわしました、おそらくそれぞれの組の違いが帽子の色で区分されているのでしょう。

お散歩を楽しんで無事に園に戻られることを、ただただ願うばかりでした。

 

 

『柴田長俊』展覧会を拝見して

令和6年3月28日 PM2時少し過ぎより小林古径美術館にての柴田長俊展覧会を拝見してきました。

 

明日から高田城址公園の第99回観桜会が開催されるのに、この23日よりいつも気にかけていましたが、はっと気づいて、そうだ車の駐車のことがよぎり、今日がベストだなあと車を走らせたのでした。

園内の道は、露天の準備される方々の車や道具、それに人々で、ごった返していて、通るのがやっとでした。

それでも今日は雨にも当たらないで皆さん良かったでしたね。

 

中に入って絵画が500号から1000号にまであろうかと思われる大きさの絵画がずっと並んでいて、その大きさに圧倒されました。

大きな絵画は、ほとんど人物が描かれて、私には、絵画の内容等は理解ができませんで

したが、何か人間の、作家の、生き様や一貫した熱き情熱や情念、魂みたいなものをひしひしと感じられました。

 

妙高山や、くびきのの風景等の絵画には、いろいろな工夫や仕掛けが、美しい色合いなど、私には到底手の届かない域に達せられておられ、ただ風景を描いておられるのではなく、自然の息吹みたいなものや、奥ゆかしい心情みたいなものも含まれておられるみたいで、感動をしてまたほんの少しですが学習もさせていただきました。

 

そして何点かの絵画には、でっぱりでなく、へこんだ部分があり、そこに強いこだわりがあられたのでしょうね、そしてどのような技法であられたのでしょうか。

 

そして日本画の画材の石類・筆・とぎ皿等の展示もされていました、私ら素人には勉強になりました。

それと、石を砕くのでしょうか、色を作るのに大変な、ご苦労だなあと思いました。

 

最後にアンケートの記入をさせていただきました。

柴田さんとは上越市立城北中学校の同級生でして、面識はなかったのでしたが、いつも遠くではありますが、自分なりに身近に感じさせていただいておりました。

アンケートには、そういう項目はありませんでしたが、そのことをお伝えしたくて書かさせていただきました。

 

ちなみに、私たちは第二次ベビーブームでして、中学校ではクラスが11組まであり、1クラス約50人として、550人ぐらいの同級生がおりました。

 

柴田さんのこのような一同の作品群を拝見したことがなく、この度、拝見させていただいて柴田さんの一生懸命な生き様や、絵画にかける魂みたいなものも感じさせていただいて、その偉大さに感服を致しました。

 

お陰様で今日は大変に実りある充実とした春の午後のひと時でありました。

 

小生も、恥ずかしながら絵描きの端くれですが、せめて柴田さんの絵画にかけられた魂みたいな姿勢などを学ばさせていただきましたので、ほんのわずかでも活かさせて作品作りに励んでいきたい気持ちで、叱咤されたようで、心新たになりました。

 

ありがとうございました、柴田さんのご冥福をお祈りいたします。

 

最後に柴田さんの心情が、パネルに書かれたおりましたが、子供のころの、生まれ故郷の風景がやはり生涯忘れられないと記されておりましたが、今まで手の届かないところにおられると思いましたが、正直な方でいらしたのだなあと、身近に感じられ、嬉しいやら安堵感やらで、今日拝見させていただき、よかったなあと、感謝しているところであります。

 

3月29日 いよいよ高田城址公園の第99回観桜会が、本日より開催されますね。

まだ開花には数日はあると思いますが、なんにしても、何か華やいだ気分になり嬉しいものですね。

今日のお天気は午前中は雨で午後からは晴れるとのことで、そして明日からはお天気みたいでして、桜の蕾も、一日一日と、ほころび始めるのでしょうね。

 

3月30日 昨日、少し早目の妻との外食の後で、PM6時半ごろから儀明川のコヒガンザクラを、ここは一分咲き牛来でした。

そして高田城址公園へ、北城高校の前を通り、司令部通りに、そして歩行者天国でしたので、自衛隊の方に、そこから上越大通りにて、桜はまだ堅いつぼみみたいで、ぼんぼりもきれいで、人さんも大勢出ておられるようでした。

 

わが家のトイレには、昨年の作品で「儀明川のコヒカンザクラ」の満開の私の描いた作品を写真にした小さな額が、小さな写真立てに掲げられていますが、もう少しでまたその雄姿見られるのでしょうね、楽しみであります。

 

昨日、私の三畳ほどの小さなアトリエの天井の40ワットのニ灯用の蛍光灯二台をLEDに変えて頂きましたが、ものすごく明るくなり、私も負けないで絵画作品に励まなくてはと思っています。

点灯も早いですし、何か長持ちをして、電気料金も安いらしいですね、長い間お世話になった蛍光灯の時代も、なくなるのでしょうか。

 

 

 

 

陸「ろく」

『陸なもの(ろくなもの)』

まとも・まっとうなもの

 

「陸でもない」

無意味でなんの値打ちもない・つまらない

 

「陸なことがない」

たいしたものはない・くだらないことばかりだ・いやなことがある

 

「しょうもない」

ばかばかしい・くだらない

 

「陸でなし」

のらりくらりしていて役に立たない者

 

今日は3月27日ですが、この文面を書いて 少しばかりですが【ああ、せいせいした】

まったくこんなことばかりで、余計な時間を使ったり、考えたり、なんとかならないものでしょうかねえ。

司法に、訴えればそれなりに解決をみると思うのですが、人間社会、後々のことまで考えると、むづかしいものでありますね。

 

そして間違ったことを認識していながら、行動されておられるのなら、ゆるされないのですが、まあ一抹の可愛げがあるのですがねええ。

 

でも最近は、そのような望みは皆無に等しいですかねえ。

 

文科省、それとも親御さんの教えでしょうか ?

 

楽しく有意義に心豊かに、そして、穏やかに、思いやりのある、社会のルールを守り、気持ちのいい人生を送りたい一心なのですがねええ。

 

3月28日 昨日、お天気にも恵まれて、午前中1時間ぐらい高田公園へ絵画の取材とスケッチに行ってきました。

忠霊塔の前の枝垂れ桜,そのほかに露店・売店・ベンチ・ブロンズ像・柴田長俊展ポスター・99回高田観桜会のポスター・赤い橋等の取材とスケッチでした。

現地では開催日を目前にして、多くのお店ができていたり、また丸太を組んだり、お店の準備をされる方々で、ごった返しておりました。

 

今朝のNHKの朝ドラの『ブギウギ』を見て、羽鳥先生と主人公のやり取りを見て感動したところです。

これが本来の人間同士の姿ではないかと思うのですが、なかなか現実はそうではないように、相手がどの程度の倫理観や常識をわきまえておられるのかも判断しなければならないし、本音を話しずらい、話をしてもいいものなのかと躊躇してしまいますね。

本来は人間同士は、簡単に分かり合えるものでしたと思いますが、難しく考えれば難しいものですものね。

 

私の今度の絵画の題材が桜の開花を除いて、題材がそろってきたのでスケッチブックにて構想を考えてみたいと思っているところです。

『ブギウギ』みたいに、「ウキウキ ズキズキ」の高揚感を味わいたいものですが、何か難しい作業になりそうですが試行錯誤の覚悟で、やり切りたい思いであります。

昨日も、一つ考えたのですが、題材をいかに種々選択するかなど、まあ、考えようによっては今が一番楽しいときでもありますでしょうか。

 

 

 

越後城下町 高田 徒然 「8-雁木」 完結

越後高田城下町 徒然 「8-雁木」

最後のナンバー8の雁木の絵画が出来上がり、「越後城下町 高田 徒然」の一枚が完結しました。

 

さあ、絵画をクリックしていただいて大画面でお楽しみになられて下さい。

 

 

題名の徒然とは、ひとつに「つくづくと物思いにふけること」という意味合いがあり、なんとなくそんなイメージが重なりましたものでそのようにつけさせていただきました。

 

 

雁木の絵画は、3月23日AM9時から25日AM10時に出来上がり、一枚の絵画として誕生しました。

 

最初に通りの向かい町(高田では当時このように皆さんが申しておりました)の家並みを、そして雁木の柱から描き、雁木の木部を、入り口まわり、そして空を、電柱を、最後に雁木の土間周りを描き出来上がりまして、最後に至夫のサインをして完成いたしました。

 

かなり込み入った作業でして、特に雁木の柱周りを鑑賞していただきたいところです。

 

木の柱は、背割りではなく、細かくいみわれていながらも力強く支えておりました。

 

雁木の上部には雪下ろしの時に使う雪とよが載っていたり、一番手前の上部にはわかりずらいですが表札が掲げられており、壁には電気メーターや紺色の牛乳箱が、そして床には、グリーン色のごみ収集網が、そして黄色のプラスチックの箱が、そして上越市の下水道の公設桝や水道メーターなどが描かれております。

そして道路には電信柱が立っていたり、雁木には雨どいが描かれております。

 

越後城下町高田の雁木の風情などを感じて頂けたならうれしい限りです。

 

またまた、一枚フイルターがかけられたみたいな、うつりになっていまして、

私のパソコンでのテクノロジー不足でして、残念至極な心境でして、申し訳なく思っているところです。

 

「師団長官舎」から始まり「日枝神社」「春日山」「金谷山スキー発祥の地」「高田城址公園」「榊神社」「浄興寺」そして最後に「雁木」を描いて、この絵画が完成いたしました。

 

2月29日から3月25日まで、毎日描いていたわけではないですが、足掛け一ヶ月をついやし、『越後城下町 高田 徒然』が出来上がり、内容についてはいろいろ語弊はあるかと思いますが、皆様に是非とも高田のことを発信したい思いが私なりに達成できて感無量な心境であります。

 

前述しましたが、この度の絵画の構図は本家本元を極力描かないで、一目見てこの場所とわかるように、外観や、周りの風景などを重要視して作成してありますので、例えば、建物などがわからなくても、何を描いてあるかわかるようにとの配慮から構図を決めてあります。

 

この内容については私の単なる私見により作品作りをさせていただいたわけですが、この絵画を見られて、ああこの部分はあそこだなあなどと、思いめぐらせていただけたなら幸いで、描いたかいがでてくるのではと、自己満足をしているところです。

 

絵描きの端くれですが、誰かがこんな発想のもとで、越後の城下町高田を、表現してもいいのではないかと、思ったもので、また誰かが、このような作品を残さなければならないのではないかとも、そんな思いもあり、まずは僭越ではございますが一安心しているところであります。

 

『雁木』

階段あるいは、それに似た形状を持つ構造物のこと。

 

『雁木通りあるいは雁木』

新潟県など本州日本海側地域の町場において、積雪下において、通行機能を確保するため町家のひさしなどを長く張り出し下を通路にしたもの。

アーケードやボローニャのボルテフや騎楼に類似している。

雁木を備えた通りを雁木通りと呼ばれています。

 

「雁木発祥の地」

津川(新潟県阿賀町)では慶長15年(1610)の津川大火災の復興時に、整備されてといわれ石碑が存在しています。

高田城下や長岡城下では、江戸時代初頭の城下町建設に整備されたとされています。

 

「高田の雁木」

雁木の長さが最盛期には17,9キロあり、現在でも13キロ超あるとされていて日本一の長さとなっております。

昭和61年「人と風土が育てた家並み」として受賞されています。

 

前述した目的のために、個人が自分の道路際の土地で1,8メートルぐらいの奥行きを提供して、そしてその上に屋根も個人が作り、公共の歩行通路としているもので、現在でも豪雪の時などはなくてはならない歩行通路として使われています。

 

 

「将棋の雁木組」

王様の上と両側に金銀を配した王様の守り方を言います。

 

この作品の雁木は私の生まれ故郷で13歳まで暮らしていた上越市大町5丁目の雁木を取材して描いてあります。

雁木の軒下に年末時に漬物用の大根を干したり秋口には皮を剝いた柿を干したりと、懐かしい思い出がよみがえってきているところです。

 

「越後城下町 高田 徒然」

この一枚の絵画はいかがだったでしょうか。

前述しましたが、高田にはまだまだ、名所旧跡や、郷土が生んだ偉人や景色の良いところなど、たくさんあると思いますが、私なりに選択して、まとめさせていただきました。

郷土の絵画は今までいろいろたくさん描かせていただきましたが、この度は、このような形で描かさせていただきました。

 

大それたことを思いつき絵画として発信させていただきましたが、手前味噌で恐縮なのですが、精いっぱい作品に取り組みをしたのではとの達成感と、自己満足して笑みがこぼれているところでございます。

 

是非とも大勢の皆様にご鑑賞していただきたいという思いでいっぱいであります。

 

最後に、この絵画のブロックを末広がりの『8ブロック』にさせていただいたことも、ひと工夫と思っているところです。

 

3月26日 はっきりとしないお天気模様ですが、「春のあけぼの」を呈しているのでしょうか。

 

TVにてイチゴの年間購買量の全国一位は新潟市とのことで、新潟市は越後姫の産地でして、このイチゴは果肉が柔らかくて食感が良いのだそうですが、その分輸送が困難だとのことで、ほとんどが新潟市で消費されているとのこと、そのような理由もあるのではないかとのことでした。

ちなみに宇都宮市は三位で、福岡市は二十三位なのだそうでした。

 

3月27日

TVでは連日、大谷翔平さんのことが、流れておりますが、早々に解決されればよいですね。

 

「ピーマンの苦みを抑える切り方」

ピーマンの繊維は縦方向になっていますので、縦切りにすると、苦み成分が抑えられるとのことでした。

妻に聞いたら、横切りに調理していたとのことで、これで学習したので、今度からは縦切りにと申しておりました。

 

今日は、お天気も良さそうなので高田城址公園へ今度の絵画の取材に行ってきたいと思っています、対象は、露店・売店・忠霊塔の前の枝垂れ桜の幹と枝とつぼみ、等々ですが、何せ、欲張りなもので、題材をたくさん仕入れてこようと思ってていて、そうしますと絵画を描くにあたり、選択の楽しさが、苦しみかもしれませんが、小さな幸せに酔いしれているところです。

 

 

 

 

越後城下町 高田 徒然 「7-浄興寺」

 

越後城下町 高田 徒然 「7-浄興寺」

浄興寺を描きました。

 

3月20日PM1時より21日PM3時50分に出来上がりました。

 

この絵画は、浄興寺の正門から奥の本堂を、見た構図になっており、裏寺町より描いてあり、ここはT字路になっていて、手前の方には浄興寺大門通りが、あり寺町通り、踏切,仲町通り、本町通りまで一直線に続いていて、またその先には、大町通りがあります。

 

空を描き、正門の瓦屋根を、その下の丸柱や寺院名を、本堂を、脇の塀がきを、両脇の木々を、看板を、敷石を、手前の小石柱などを、奥の木々を描き出来上がりました。

 

正門の瓦屋根ですが、かなり試行錯誤をして瓦に当たり光っているところなどを表現してみました。

寺院名板も、わかりずらいですが、金文字で、それなりに描いてみました。

手前の看板には「煩悩」という字が書いてありました。

塀がきには、横に5本選が描かれていますが、これは、やたらに表すことができないとのことで、寺院の格式を表しているのだそうです。

 

早春の浄興寺の風情を味わってみてください。

 

もしかして、これが秋の季節ですと、「夕日の空」や「そしてカラスが飛んでいたり」そんな構図が似合っているのかもしれませんね。

 

真宗浄興寺派 本山浄興寺」が正式な名称です。

 

上越市寺町2丁目6-45に存在されています。

 

浄土真宗の宗祖親鸞聖人によって創設されました。

 

聖人は承元年(1207)念仏禁止令によって越後の国、国府(上越市)に流罪となり、越後滞在7年の瞽、妻子とともに、常陸国(茨城県)へ移られ、笠間郡稲田郷に稲田禅坊を開きました。

そしてこの禅坊を歓喜踊躍山浄土真宗興行寺とし、略して浄興寺としました。

 

親鸞聖人の死後、遺骨と遺品が納められました。

 

様々な地域に移られましたが、元文2年ごろ(1737)高田城下復興の際、現在地へ再建されました。

 

昭和27年(1952)宗教法人法により東本願寺より独立が達成されました。

 

浄興寺本堂は国指定重要文化財に指定されております。

 

 

私事ですが、浄興寺の境内の中の、寺院の一つである玄興寺が、我が家の壇那寺でありまして、いつもお世話になっております。

 

そんななじみの深い、お寺を題材に描かしていただいて光栄に思っているところでして、真冬の本堂を描かしていただいたり、これで三枚目になりますが誠にありがたいことであります。

 

3月22日 昨日は韓国でのドジャース戦をTVにてPM11時近くまで観戦しました、手に汗握るような戦況でして、長い時間でしたが、戦われておられる皆様のことが、よく伝わってきて、良いドラマを見させていただきました。

 

大相撲では尊富士関が一敗を期し、大の里関と豪ノ山関と琴ノ若関と豊昇龍関が三敗で並びましたね、大熱戦で、皆さん頑張っていただきたいものですね。

 

今朝は4時少し前に目覚めまして、ポーチの電気をつけ、雪の状態が気にかかり、恐る恐る玄関戸を開けて外に出てみたら、うっすらと白くなっておりましたが大勢に影響はなくて助かりました。

新聞も来ていましたので、持って中に入り、目覚まし時計を止めて、ただ今ブログを綴っているところで、4時半になるところです。

これから新聞に目を通して、ホットコーヒーをいただき、そのまま今日の一日が始まりますが、まああ、早起きをして得をしたように思いたいと思っているところです。

 

神様が起こしてくださったのだとは思いますが、それにしても我ながら特段に「貧乏性」でございますですね。

 

今朝の雪が、今冬の、なごり雪のような気がしてきましたが、毎日毎日冬中、天気予報の降雪予報が気にかかり、にらめっこ、これで開放していただきたいものですね。

近日冬の間お世話になった、消雪の仕掛けなどを片付けたいと思っているところです。

代わりに、網戸の取り付けですか、でも仕事があることを喜びと感じながら、そしてできる喜びも感じながら、感謝している毎日でございますね。

 

予報通りに、お昼少し前から雪がやみ,お日様が出てきましたので、お昼ごはんも早々に食べて班と自宅の消雪設備の取り外しをしました。

もう降っても大したことがないのではと、腹をくくった次第です。

 

3月23日(土曜日)

昨日の相撲で、尊富士関が勝利して12-1でたいへんな快挙なのだそうですね、100年ぐらいの歴史の中で13日目でのこの成績は、今までは、ほぼ優勝につながっているみたいですとのこと。

そして3敗で豊昇龍関、大の里関が追従されていますね、お三方には、それぞれ悔いのないように、精いっぱい頑張っていただきたい思いでいっぱいであります。

 

ただ今、朝の9時に、なるところですが高田郵便局に速達の手紙を出しに行ってきたところなのですが、3月も終わりに近づいて、車を走らせていたら、何か朝もやの中でのけだるさが残る空気を感じ、小学校高学年の頃の子供のころに感じたことがある、雰囲気を思い出しました。

季節が春に移り変わる一つのステップなのですね。

 

3月24日(日曜日)

昨日の大相撲では、尊富士関と朝乃山関との対戦で朝乃山関が勝ち、その時に尊富士関の右足に異変が、その後救急車にて病院へと、大変に心配ですね、あと一日取り組みができるといいのですが。

そして大の里関が阿炎関に勝ち、三敗を堅持して、尊富士関に、ただ一人続いています。

どのような展開になるのでしょうね、皆さん、ご自分の力が、十分出せるようになれば良いのですがね。

 

私のブログが「14」もの大きな数字をいただきました。

どなたが開いていただいたのでしょう、ありがたくて仕方がありません、誠にありがとうございました。

今描いている絵画ですが、最後のナンバー8の雁木ですが、もう少しで完成しそうになり、充実感と、作品描きが終わってしまうのかとの感情が、交叉して複雑な状態であります。

皆様には「越後高田の徒然」の全体を、私の心意気を、十分に味わっていただきたい気持ちでいっぱいであります、ご鑑賞のほど、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。

 

そしてカウントも、あとほんのわずかで二万二千アクセスが達成できる見通しが立ちまして、はやる気持ちを抑えているところです、よろしくお願い申し上げます。

 

今朝も5時に目が覚めまして、ただ今ブログを綴っているところです、本日は我が家の冬囲いの取り外しの日でして、人さんにお願いもしており、そんなことで、神様が早く起こしてくださったのでしょうか。

 

お天気に恵まれまして、おかげさまで一日で冬囲いの取り外し作業が終了しました。

同時にに草取りや、榊の枝払いや、植木や花に栄養剤を与えて、最後に水やりをして終わりにしました。

出たごみは45リッターの袋に満杯で3つでました。

やれやれで、心地よい気分になり妻とささやかな外食に行きました。

そして長い冬の間、囲いの中にいた植物なども、喜んでいるように感じました。

 

3月25日 昨日は尊富士関が110年ぶりに新入幕にて見事に優勝を飾りました、しかも前日に右足を負傷して出場が危ぶまれましたが兄弟子の横綱照ノ富士関に「お前ならできる」と励まされ、自分でも「やらなければ一生後悔する」との思いで、痛み止めを打ちながら千秋楽で豪ノ山関に勝ち快挙を手にされたのでした。

誠におめでとうございました。

 

大の里関も奮闘されました、海洋高校のある能でのPVの大声援も報道されていまして敢闘賞と技能賞を手に入れられました。

新三役になられるのでしょうか、来場所が非常に楽しみであります、ご奮闘を祈願申し上げます。

能登に被災地の皆様に多大なる勇気を与えられたのではないでしょうか。

朝乃山関も奮闘されましたね。

 

 

 

 

 

 

 

越後城下町 高田 徒然 「6-高田城址公園」

 

越後城下町 高田 徒然 「6-高田城址公園」

この絵画の六番目の高田城址公園の絵画を描きました。

 

3月17日PN1時から19日PM2時5分に出来上がりました。

 

これだけの絵画ですがそれぞれ癖があり、ひと工夫をしました。

 

遠くの松の木を描き、空を、そして朱色の橋の欄干を、厚板の床を、手前の石碑を、外堀の様子を、小林古径記念館と古径邸を、再度松などの木々を描き出来上がりました。

 

特に橋の欄干なのですが、ただ遠近法を用いるのではなく、強調するところと、そうでないところ、などの妙を楽しんでいただけたなら、この絵画を描いたかいがあり、わかっていただいたならなお、嬉しい限りであります。

 

橋の欄干、厚床、石碑、お堀の様子、松の木々、それぞれ吟味しながらの作業でした。

 

いかがでしょうか、難解な構図でしたが高田城址公園を端的に表しているのではないかなあと自負しているところです。

この朱色の橋は公園のひとつのシンボルとして市民に愛されております。

今は殺伐としたお堀の風景ですが、また夏には蓮で埋め尽くされピンクや白色に花が咲き乱れ、この橋から絶景を眺め、そして甘い香りにも酔いしれることでしょう。

 

「高田城址公園」

徳川家康の六男の松平忠輝の居城として築城された高田城の後につくられた公園で、全体が県の史跡に指定されいます。

 

現在の公園の地形は、旧陸軍第十三師団の入城する際の明治40年(1907)のに土塁の大半を崩して濠を埋める工事が行われたことによってできたものとされています。

 

面積は約50ヘクタールあり、市街地の中心部にある公園としては全国的にも有数の規模を誇っています。

 

園内には復元された高田城三重櫓や、高田図書館、小川未明文学館(図書館内)などの文化施設陸上競技場、野球場、相撲場、弓道場、スポーツ館等のスポーツ施設、ブロンズ像を配した遊歩道、岩野勇三ブロンズコーナー、外堀を巡る遊歩道があり市民の憩いの場となっています。

 

また平成29年には市民交流施設高田公園オーレンプラザが開館、同30年には市立総合博物館がリニューアルされました。

 

そして小林古径記念館、古径邸も作られています。

 

三重櫓横では本丸と二の丸を結ぶ極楽橋も復元されています。

 

高田公園は令和2年4月1日に名称変更され高田城址公園となりました。

 

「桜」

明治42年(1909)在郷軍人団の第一三師団の入城を祝い、城跡にソメイヨシノの桜を2200本を植樹したのが観桜会の前身と言われ、その後大正3年(1914)になると花がきれいに咲き揃い、同6年市民に構内に入る許可が出ました、その後、市民の桜の寄贈にて現在は4000本あるとされています。

 

日本三大夜桜として有名で、日本さくら名所100選に、新潟県景勝100選に

そして今年で第99回の高田城跡公園観桜会が3月29日より4月14日まで開催されます。

 

「蓮」

明治4年(1871)戊辰戦争や凶作により悪化した高田藩の財政を、レンコンを売り立て直すために戸野目の大地主保坂貞吉氏が私材を投じて蓮を植えたのが始まりでレンコンの収穫は昭和37年まで続けられました。

 

外濠には約19ヘクタールの蓮がうめ尽くし、新潟県景勝100選に選ばれています。

そのほとんどは和蓮という種類の蓮です。

 

東洋一の蓮と呼ばれ毎年7月から8月にかけて高田城観蓮会として行われており今年で第44回になります。

 

公園の周りには県立北城高校、県立上越総合技術高校(旧高田工業高校)、県立高田高校などがあり、また陸上自衛隊高田駐屯地(第5施設群第2普通科連隊)が存在しています。

 

私事ですが、昭和43年卒業の旧高田工業高校の出身でして、私らが最後でしょうか木造の大きな兵舎が私らの学び舎でした。

掃除の雑巾がけの時には床板のささくれが手に刺さりそんな思い出がよみがえってきています、いまはRCの立派な校舎になっておりますが。

「光陰矢の如し」ですね。

 

3月20日 今日は春分の日(春のお彼岸)ですね、お花と水、線香をもって、お墓参りに行ってきたいと思っているところです。

雪降りの予報ですが大したことがないといいのですが。

 

そして今日は韓国での、大リーグの開幕戦がドジャースパドレス戦ですか、6時から

ありますね、是非とも観戦したいなあと楽しみにしています。

 

大相撲の世界では平幕の尊富士関が大の里関に勝ち全勝中で10勝を、そして敗れた大の里関は8-2で、いずれも現在1,2を争っていますね、そして琴ノ若関も2敗で並んでいますね、大変に興味深い春場所となってきましたね。

 

「パソコンのかたまり」

昨日ブログを綴っていたところ、突然動かなくなり、仕方ないので長押しをしてから再稼働しましたところ、1時間ぐらいかけてつづった、2ページぐらいの文面が、残っていないのでした。

もうがっかりするやら、某詳しいお方にお聞きしたところ、再掲は無理とのことでした、これからは小刻みに更新するを繰り返ししなければと学習しました。

どういう原因なのでしょうかね、そして解消法はないのでしょうかね。

 

随筆や小説などの長文を、されておられる方々はこのことを心得ておられるのでしょうね。

 

お昼の天気予報によりますと明朝までに10cm、そして明日の夜までは、、さらにもう20センチの積雪とのことでしたので、今消雪の水を出してきました。

雪の怖さを知り尽くしていますもので、積もらなくてもそれは問題ではないので、用海だけはと思っているところです。

5時になるところなので大相撲を観戦して6時からは大リーグの野球を観戦したいと思っているところです。

大谷さんに一本打ってもらいたいものですね。

 

3月21日 雪は降りましたが5センチぐらいですか、良かったでした。

でも笹ヶ峰ダムあたりは、今冬雪が少ないらしくて、夏の飲料水等の心配があるそうですね、昨日から山沿いで大雪とのこと、そして各スキー場の方々もさぞ喜んでおられるのでしょう。

「お金は天下の回り物」ですものね。

 

昨夜はドジャース戦観戦しました、ダルビッシュさん、大谷さん、松井さん、皆さんはつらつとして、いい試合を見させていただきました。

今日は山本選手の当番日とのこと頑張っていただきたいものですね。

 

大相撲の尊富士関初入幕での破竹の11連勝、大鵬関に、並んだとのことですね、大の里関も9-2敗で続いていますね、千秋楽まで突っ走って、いただきたいものですね、大相撲会に新しい風が吹いてきましたね。

連日、宇良関への大声援、さすが地元大阪場所ですね、力士冥利に尽きますね。

 

 

 

 

 

 

越後城下町 高田 徒然 「5-榊神社」

 

越後城下町

森に包まれた榊神社を描きました。

 

上越市の高田郵便局の真ん前に存在されていますので、正面近くより取材しました。

 

高田駅から本町通りを右に曲がり、そして司令部通りとのT字路を左に高田城址公園の方へまがり上越大通りとの手前の右角に榊神社があります。

この交差点は高田城址公園の観桜会では一番にぎわう交差点で、ここから会場は見えていて歩いて2、3分で花見会場に着きます。

 

もうすぐお花見ですが、今年も、この交差点を渡って、お花見に、綺麗な四千本のソメイヨシノの桜の花はな、たくさんの露店のお店、ライトアップされた高田城三重櫓、お堀に映る赤いぼんぼりの数々、忠霊塔の前の濃い目の桜色の枝垂れ桜、トンネルをくぐるみたいなライトアップされた桜ロード、等々また会えると思うと、楽しみでワクワクしてきました。

この29日より4月14でしたか15日でしたか開催されておりますので、是非ともおいでくださいませ。

 

桜ついでに、青田川沿いのソメイヨシノの桜並木も川面に映り、ゆらめいて素敵ですし、本町の裏側の儀明川のコヒガン桜もソメイヨシノより桜の花が濃い目で40,50メートルぐらいの長さで川面にせり出して美しく咲き乱れます、ソメイヨシノより一週間か十日くらい早く開花しますのでお花見を二度楽しんでいるところです。

 

3月15日PM1時半より16日PM2時5分に出来上がりました。

 

この構図は簡単に見えますが、なかなか大変でした。

 

空がらみのアウトラインを描き空を、そして松の木々を、小石柱の塀を、鳥居を、看板を、灯篭類を、小木類を、残りの石畳を、描いて出来上がりました。

 

特徴的なのは、込み入った松の木々の枝ぶり、葉っぱぶりと石の鳥居で、しょうか。

そしてわかりずらいですが鳥居のしめ縄も金色で描いてあります。

 

この風情は『高田の四季』の2番の歌詞ですが

♪ 榊神社の 森たそがれて ♪

風情たっぷりと、歌われています。

 

この絵画を鑑賞して、この文句を想像していただけたならうれしいです。

 

小さな絵画ですが、榊神社の緑の森をお楽しみください。

 

「榊神社」

高田藩が明治政府の廃藩置県により廃止となって明治9年(1876年)家臣たちが徳川四天王榊原康政氏を、まつるため広く寄付を募り建立した神社であります。

 

境内には、そう輪館があり、榊原家代々の遺品が収められています。

 

所在地 上越市大手町4-12

 

317日(日曜日) 今朝は早く目が覚めまして、ただいま5時を少し過ぎたところですがブログを綴っているところです。

 

昨日は「7」のカウントをいただきました、誠にありがとうございました。

 

今日は確かドジャースの開幕試合が韓国にて行われると聞いていますが、朝刊で確認して、是非とも観戦したいなあと思っています。

開催日が違いまして20日と21日でした。

本当に暗い、そしてじめじめした出来事ばかりの世の中の中で、唯一、大谷さんの、一つ一つの言動は、太陽のように明るく、そして温かく、滅入る気分を一掃してくださいますね、大変にありがたいことですね。

先日TVのニュースにて、韓国の人々は大谷さんの人柄が好きで応援されておられるとのことでした、他国の人々にこのように思われていることは、本当に素敵なことであると思っています、人さんを尊敬したり、ほめたりするという行為は、俺が俺がと、思っていても、なかなかかなわないことですものね。

TVでのニュース番組でも、どのアナウンサーの方々も、毎日毎日いわゆるくだらないことや、悲惨なことばかりの報道ですが、唯一に大谷さんの話題になると、頬を緩ませて笑顔になられ、ほっとされたようなお顔になられますものね、本来は、明るく、そして心温まる健康的な報道を、お話されたいのでしょうね。

 

「嫌な 渡世だなあ」 

「右を向いても左を見ても馬鹿と阿呆の絡み合い、どこに男の夢がある」

 と映画の中で、鶴田浩二さん、高倉健さんが、つぶやいて、おられそうですね。

 

そして水戸の御老公・中村主水さんに登場していただいて、世直しを、そして国政には田中角栄さんに登場していただいて軌道修正をしていただきたいものですね。

 

『第73回NHK杯将棋トーナメント』

藤井八冠対佐々木勇気八段の決勝戦が行われ169手に手にて、佐々木八段が優勝されました。

最後の最後まで、私にはどちらがどちらでとわかりません熱戦でした。

優勝の儀式の後でのインタビューで佐々木さんは「勝負が終わったばかりで胃が痛い」と本音を申されておられました。

誠におめでとうございました。

 

「我が家の三月の庭」

日が当たり少し温かみを感じる季節になり、庭に出てみたら、薄紫色して小さな可憐なキクザキイチゲの花が沢山咲いていて、その横には黄色と山吹色の中間の色合いの福寿草の花が二輪、西の方角に向かい元気よく咲いていました。

 

3月18日 少しだけ寒い朝を迎えていますが、雪降りの予報でしたが、今日は新聞の休刊日なのですが外に出てみたらそれもなく、助かりました。

 

早く消雪のサニーホースなどの片づけをしたいのですが、今週いっぱいまだ見合わせようと思っているところです。

 

わが家の冬囲いの外しを24日に、お願いしました、そしてスノータイヤのタイヤ交換を今月末ごろにお願いしてあります。

 

今日から、春の選抜高校野球が開幕しますね、昨日TVにて開会式の予行演習が行われていました。

 

3月19日 昨日は、高田城址公園の絵画を描いている最中なのですが、春の高校選抜野球・大相撲・韓国でのドジャーズ戦、もうもう「お盆」と「お正月」と「ゴールデンウィーク」が、一緒に来たみたいでして、こんな楽しみなことが起こりえるのですね。

 

おまけに私のブログも「18」というビックな数字をいただきまして、有頂天な一日になり、嬉しくて重ね重ね感謝をしているところです。

誠にありがとうございました。

 

高田城址公園の絵画もうまくいけば本日仕上がりそうなので、朱色の橋の欄干等を、ご披露できるかなあと思っているところなので、楽しみにお待ちくださいませ。