小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

ミュージシャン 「Y O S H I K I」

12月20日 テレビを見ていてPM7時30分ごろ、たまたまNHKに切り替えたら

「プロフェッショナル素顔のYOSHIKIカリスマとの1200日」という番組に出会い

見入ってしまいました。

 

番組担当者との最初の頃などは、YOSHIKIさんの、ご機嫌を、損ねたみたいで何日も

何か月も取材のオファーがなかったりしたことがありましたが、後半では、お互いの

気心が打ち解けたのか、YOSHIKIさんが吹っ切れたのか、ご配慮なのか気持ちの整理がつきなったのか、わかりませんがスムーズに密着取材が進みまして

最後には【自分はプロフェッショナルではなくアマチュアである】との、大変に

謙遜された、お話で完結しました。

言い方を変えると、人としての思いやり、あたたかさ、人間らしさ、ぬくもりが残っておられるという面も、おありだとのことなのでしょうか。

拝見していてさらに私には、プロフェッショナル中のプロとお見受けしましたが。

ストイックで音楽に対してや生き様に対し、かたくなにまでも、ご自分に厳しい方は

おられないのではと思いましたが。

単独で海を渡り、生活して公演活動をされて考えられないほどに並外れた精神力の

持ち主でいなさると思いました。

PM8時45分までの番組でした。

 

小学校の五年生の時に、盲目にかわいがってくれた父親との死別がありました。

答えの出ない困惑した日々を過ごし、それまでクラシックばかりの音楽になじんで

いましたが、外国のロックバンドを見てからは、ロックの世界にのめりこむようになり

そして音楽で「叫んでもいいのだ」と知り、母親に頼み込み、そのバンドの日本公演に

連れて行ってもらいました。

そんな息子を見ていて母上はドラムセットを与えて下さったそうでした。

学校時代の作文では「ロック歌手になりたい」と書いて先生に、たしなめられたことも

ありましたとのことも。

そして、ご自分でも曲を作るようになり高校生の時にバンドを作り

活動するようになりました。

しかし音楽に妥協をすることができなくて、仲間が次々に離れていったとのこと

でした。

その後「Xジャパン」を結成してギターリストのHIDEさんという大親友に

出会いましたが、またしてもHIDEさんの不幸の死に遭遇しました。

ぽっかり大きな穴が開いたみたいで大変な時代をまたしても迎えてしまいました。

その後も深いことはわかりませんが、おそらく音楽での妥協ができなくてと思いますが

このグループの解散ということになりました。

 

これ以降ソロ活動に邁進されました。

 

天皇陛下(現在上皇陛下)即位10年の節目の式典に曲をと、オファーがありましたが、

ご自分が引き受けてもいいものか迷われて母上に相談したところ

【佳樹ならできる】と太鼓判を押され、励まされて引き受けて立派に曲を作られ

当日ピアノ演奏もされて、大変な重役を全うされました。

テレビに映られた両陛下は、微笑みながら聞かれておられるようで、最後には

満面の笑顔で感謝されたご様子で手をたたいておられるように見えました。

このことは紛れもしない日本政府よりの音楽活動でのお墨付きをいただいたようなもので大変に誇らしいことであると思いました。

そして見事に成し遂げられたということは、素晴らしいことであると思いました。

 

その後の皇居での園遊会に親子でお招きされ、お母様は、インタビューで、この上なく

お喜びになられて、晴ればれとされておられるようにみえ、大変な親孝行をされたと

感じました。

お母様は、言葉で言い表されないほど息子さんのことを誇らしく思われたのではないかと思いました。

 

その後に、またもや母上との別れが訪れてしまいました。

YOSHIKIさんは、母上との過ごす時間が少なかったことなどをものすごく後悔されて

おられるような口ぶりでしたが、お母様は、息子さんがストイックに音楽生活を送り

立派に成功されて、立派な社会人になられたことだけで大きく満足されておられたと

想像しているところです。

 

YOSHIKIさんは千葉県館山市のご出身なのだそうで、近年の台風災害に見舞われた

地元の農家に名乗りもしないで「もみ殻の袋詰めをして移動」の力仕事をボランテア

で、黙々と作業されて、体を酷使して、次の日の公演に併せて身体のリハビリ治療を

してもらい備えておられました。

人さんから売名行為だと思われるかもしれませんがとの注釈の上で、ご自分は地元のために、何かお手伝いをしたいとの一心だけで強い意志の表れでした。

 

最後に担当者の方がYOSHIKIさんにお願いして【一番の素のYOSHIKIさんの取材】

をとのことで念願のレコーデイングの取材が許されました。

ご本人もこの場面が一番自分が輝いておられると、自然でいられると

そして楽しそうに、ストイックに 音楽にかける情熱、そして妥協しない、そして音符にプラスアルファーを求めての緊迫した様子が、ものすごく半端なく感じられました。

 

大変に充実した時間を過ごさせていただきました。

いままでは格好のいいYOSHIKIさんを想像していましたが、その音楽人生の

取り組み方、生き様をストイックさをおおいに感じさせていただき自分の

素人絵描き生活や人生に、たくさんの事柄を学ばせていただきました。

大変にありがとうございました。

思いやりのある、お人柄も十分理解させていただきました。

取材された方々も、根気よく、粘り強く、よくぞ長い年月お仕事され誠に

ご苦労さんでございました。

 

取材の最後の快いお別れ、双方が、この作品作りに納得されて、満足げに見えました。

そして拝観者の私たちも、大いにYOSHIKIさんのことを知りえて、快い高ぶりを

覚えました。

 

YOSHIKIさんは、わが故郷新潟県越後の戦国武将の上杉謙信公の損得を厭わずに困っておられる人を助け、権力欲もおくびにも出さず、器の大きいところ、男気のところなど似ておられるのではないかと思っているところです。

ミュージシャンYOSHIKIさんと佳樹さんご本人を同じ日本人として大変誇りに

思っています。

 

YOSHIKIさんは、ピアノの前にいる時が一番落ち着く】とおっしゃっていましたね。

 

小生は、音楽のことは、まるきしわかりませんが、ピアノといいドラムといい演奏

そして曲作り、海外での公演活動、どれを見ても並の人間ではできないであろう

事柄と思い、超一流でいらっしやると思いました。

 

大変僭越ではありますが今後のますますのご活躍御祈念申し上げます。