小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

祝い 一万九千アクセス 達成

令和5年4月26日 AM6時20分 今朝方3アクセス頂きまして19000アクセス達成しました。

2月13日に18000アクセス達成以来約2か月半ぐらいで、皆様のお陰で達成することができました。

嬉しい限りです。

皆様大変にありがとうございました。

今後とも精進してブログづくりに励みたいと思いますので何卒よろしくお願い申し上げます。

 

ただ今高田城址公園の西堀の桜の絵画を制作中ですのでご期待ください。

 

小生のブログの投稿数も351になりまして、考えてみますと一日一つ見たとして約一年

かかる計算になりますでしようか。

継続は力なりの精神で今後とも取り組んでまいりたいと思いますので、よろしくお願い申し上げます。

 

4月20日 TVの「プレバト」の番組で夏井いつき先生が、「皆さんの成長が一番の楽しみで番組に取り組んでいます」とのことで、一生懸命な姿勢で、望んでおられる様子に、いつも好感を持っています。

俳句の世界に、ものすごく貢献されておられるのではと、いつも感心をしているところです。

 

4月21日 「冷やし中華

今日、お昼にコンビニで冷やし中華を求めて妻とおいしくいただきました。

雪消えのあとで桜も咲き終え、何か気分が初夏を迎えたようになり冷やし中華が似合いの季節になってきたのではと実感しているところです。

あとわずかでゴールデンウィークを迎えますね、皆様いろいろと予定を立てておられるのでしょうね。

 

御用邸

天皇や皇族の別荘。

年に数回静養を兼ねて避暑や避寒で訪れられます。

宮内庁定義 一定規模の建造物と敷地を有する離宮とし、小規模なものを御用邸と称しています。

 

現存している御用邸は、那須、葉山、須崎の御用邸があります。

幕末から明治にかけては、たくさんの御用邸が過去にはありましたそうでした。

 

【羅漢さん】

お釈迦様のお弟子さんで実在していた人々です。

お釈迦様の説法を実際に聴き教えのとおりに修行に励んで煩悩を払い聖者になられた。

 

真実の智慧を完成した聖者をインドでは「アラハン」と讃えました。

仏教が中国に伝わり「アラハン」の発音を、そのまま生かして「阿羅漢」と表現、使い慣れているうちに「阿」が取れて「羅漢」と呼ばれるようになりました。

 

「五百羅漢」 お釈迦様がなくなられたときに集まった500人のお弟子さんたちがモデルで、こう呼ばれるようになりました。

 

「らかんさん」は、後世の人々に、お釈迦様の教えを伝えてきました。

この方々がいなかったなら、私たちは、お釈迦様の教えを知ることができなかったでしょうとのことでした。

 

4月29日(土曜日) 朝7時半過ぎに5チャンネルのTVを付けたら「週刊ニュースリーダー」の番組で【岩井仁(まこと)さん86才 大田区名工】がやられていて城島茂さんがインタビューに訪れていました。

10畳ぐらいの小さな工場(こうば)で大田区の工匠の岩井さんが旋盤を操作しておられました。

お話によりますと一ミリの百分の一の精度で旋盤を操作されておられる旋盤の匠でいらっしゃるとのことでした。

今までで主な仕事は「新幹線の振れ止め」「瀬戸大橋のワイヤーロープの支え」などとのことでした。

新幹線の仕事は当初の300系から、ずうっと、携われていて、高速での運転にはこの振れ止めがないと、かなわないのだそうでした。

ご自分の仕事の確認のために、新幹線に乗り名古屋まで乗り心地を確かめて、きしめんを食べて戻られたとのことでした。

瀬戸大橋では直径が一メートルもあるワイヤーロープを支える品物に携われたのだそうでした。

開通式にも招待されたのだそうでした。

 

これだけのお仕事をされるのには機械のメモリのほかに、研ぎ澄まされた耳で聞く音も大事なことなのだそうでした。

 

最初からこのお仕事に携われたわけでなく、家業の苦労も大変さあったのでしょうか、勤め人にとの母親の勧めもあり16年サラリーマンをされておられ勤め先の不都合で家業に入られたとのことでした。

幼いころからの飾り職人であられた父上のお仕事をみてきたせいか、違和感もなく仕事になじんできましたそうでした。

 

共に歩んでこられた奥方さんが体の不自由もあり、夕方の6時に仕事を終え、それから自ら夕飯の支度をして奥さんと食べる夕食は格別なのだそうでした。

 

奥さん曰く【口では言わないですが感謝の気持ちでいっぱいで幸せです】とのことでした。

 

ご本人曰く【やめたくても変わりがいないのでやめられないのです】

それほどまでも、ものすごい極められた匠の技術なのでしょうね。

素晴らしいですね、一度でも言ってみたい言葉ですね。

 

そして【名工でも削られないのは夫婦の絆です】との名文句にて締めくくられておられました。

 

最後にいかに文明が進化されても、そして機械化が進歩しても、このような匠の手作業の技術が、なくてはならない事柄があるのだと感嘆し嬉しくなりました。

 

それにしても岩井さんのお話によると、町工場が半分ぐらいになったとかで、日本国も少子化対策とともに、昔からの日本の伝統の技術力の衰退を阻止し、逆に伸ばす方向にかじを切り力を入れて頂きたいものと思っています。

 

私は長く建築の仕事に携わっていましたが、やはり技術に富んだ職人さんの減少が30年以上前から将来のことを考えたときに懸念していましたが、今からでも支援していただいて数少なくなった匠がおられるうちに育て上げて頂きたいと切に思い願っているところです。

 

小生の絵画制作もパソコンなどに、すべての資料を入力すれば可能だと思いますが、微妙な空気感や、かすかな筆の動きなど、上記の匠の極めた技などといっしょで

それが人間の味といいますか、人生の厳しい中での趣、等々、生身の人間の力、面白さですかねえ。

何か救われたような気がしました。