百年に一人と思われる田中角栄内閣総理総裁(元)のことを、知っていただきたく、再度述べさせていただきたいと思います。
ちなみに内閣総理大臣とは、国会議員の中から、国会議員の議決で指名され、投票の過半数を得たものが指名されますが、そうでない時には二人の決選投票で多数の者が指名された人を言います。
総裁とは、政党において、最終決定裁権を持つ代表者の名称です。
角栄先生は、新潟県の西山町(現柏崎市)に大正7年、田中家の二男として生を受け、若くして建設会社を営み28歳で衆議院議員になられ、各大臣、幹事長を数度され54歳で内閣総理大臣総裁になられました。
主に、成し得られたことは
日本列島改造論による日本の方向性
新幹線の実行化
高速道路の実行化
議員立法117本可決成立
公立学校の教員給与の引き上げと地位や質の向上
わずか二年と半年余りの総理大臣の在任期間で、このような、歴史に残る立派な実績を成し遂げられましたのでした。
日中国交正常化では、中国の毛沢東さんが存命のうちにとの必死の決行掛け合いで、されたとのことでした。
新幹線や高速道路建設では、予算のないことを承知の官僚の皆さんから「総理、かかる費用はどうするのですか」との問いに「それは後日に利用者が払ってくれる」なんと、なんと、頭の回転が早く、そして回転軸が、人並外れて桁違いなのでしょうか。
そしてこの事業は、念願の表日本と裏日本の格差を、なくそうとの思いも込められていたようですね。
教育の件は、後々の日本を作っていく上で教育は物凄く大切なことなので、質の良い教育が大事であるとの観点より、実行されましたそうです。
どのことも,一人で成しえることはできません、十分な根回しや、先を行く、とびぬけた考え方や、角栄先生の人となり、等々と、真剣で一生懸命さが、皆さんの賛同を得て、成し遂げられたのだと思いました。
世間よりの代表的な呼ばれ方
「今太閤」
「コンピューター付きブルドーザー」
角栄先生の考え方等々
法律等々、大変な勉強家でした
記憶力が抜群で一度あった人のことは必ず覚えていました
相手が日本人であれ外国人であれ、できることは「できる」と、できないことは「できない」と、はっきり言われ、曖昧な言い方を嫌いました
初めに結論を言いなさい、理由は三つに限定しなさい
すべて責任は私がとるのでやりなさい
祝い事には遅れてもいいが、葬儀には、真っ先に駆け付けなさい
時間に関しては、大変に厳しかった
大蔵大臣の時には国家予算の隅々まで頭に入っていた
官僚の皆さんとも正論で意見交換をされていた
記憶力については、陳情に来られた方のお話を聞いていた総理は「あの橋を渡ったところか」などと、一度行ったところなど鮮明に覚えておられましたとか。
大臣になられたときでしたか、若手官僚の前の訓示で
「君たちは日本の有数の大学を出られ、大変優秀なエリートの頭脳集団ですが、私の方が、皆さんより少しばかり実務を積んでおり経験が豊かです、何か言いたいことがあったら直接大臣室に来なさい、上司の許可は不要、責任は私がとる」
これを聞いた若手官僚たちは、どきもを抜かれ、これは、並の大臣ではないと、心にとめたそうで、それ以降、年を重ねるごとに信頼関係が生まれて、日本のために切磋琢磨しあい、良い結果が生まれましたとのことでした。
人前での演説
「三国峠をダイナマイトで吹っ飛ばせば、越後に雪は降らない、そして、その土を日本海に運べば、佐渡と陸続きになる」
「このトンネルについて60戸の集落に12億円かけるのはおかしいとの批判があるが、そんなことはない、親、子、孫が故郷を捨てずに住むことができるようにするのが政治の基本なんだ、だから私はこのトンネルを作ったのだ、トンネルがなかったら子供が病気になったらどうするのか、冬場だったら雪の降る中を戸板一枚で運ばなければならない、同じ保険料を払っているのに、こんな不公平があるか」
(これは小千谷市の塩谷トンネルのことです)
そして75歳の生涯を全うされました。
各所にありますが、中でも浦佐東口の駅前の銅像には屋根がかかっていて雨や雪が当たらないようになっています。
これも先生の多大な功績とともに、いつも親身になられご尽力をいただいた角栄先生への、ほんの御恩返しと、お人柄への郷愁などの大勢の皆様のあたたかな心の表れと思いました。
某選挙での当選者の得票数
一位の角栄先生 179,062票
二位 72, 729票
三位 63、53票
四位 62,189票
田中角栄記念館 北陸高速の西山インター降りて、すぐにあり、私事ですが、今まで5回ぐらい、お邪魔して、偉大さに触れてその都度感謝、感激して、思わず涙腺が緩み、そして生きる勇気をいただいています。
そこには、特に目白邸での応接間が復元されていて、当時の大勢の皆様の陳情などに来られた様子などが思い起こされるような、先生の「よっしゃ よっしゃ」との弾んだお声が聞こえるようでした。
生家 やはり西山町で記念館から車で3,4分のところに、ありまして、兄弟が高田へ里帰りした時にも、みんなで、生家の門の前で写真を撮らせていただいたり、個人的にも何度、門の外から、お宅を見させていただいたことか。
角栄先生は、大変な勉強家で、努力家でもあり、常に夢を持たれていて、先見性にも優れ、大事を大胆に行い、その他にも常に、根回しを怠らずに、相手の立場にもなり、ち密に、政治活動を行われました。
そして常に国民の立場になり血の通った政治をされ、肌で感じる感性を持ち、一生懸命で、人の痛みがわかり、人情にも厚く、世界のため、日本のため、日本国民のため、地元のために精魂を込められて政治活動を成し遂げ、そして全うされました。
真実のことかわからないことや、マイナスの事柄もおありだったとは思いますが、仮にそれらを差し引いても、あまりあるものが多大で、再度述べさせていただきますが、総理総裁として、100年に一人のお人であらせられると、日本国民の一人として、尊敬して、日本のためにご尽力をされたと、感謝をしてもしきれないほどに思っているところです。
郷土越後の大先輩に敬意を表させていただき、再度、角栄先生の事柄を述べさせていただきました、僭越ではございますが、ご尽力の数々、誠にありがとうございました。
11月1日 『三山ひろし15周年記念コンサート』を見ました。
ただ今PM 10時10分前ですが、このブログを綴っています。
途中からから見たのですが、幼少のころに、父上が、どこかにいなくなり、母とおじいさん、おばあさんに育てられ、そしておばあさんから、三橋美智也、三波春夫、春日八郎さんなどなどの歌を、蓄音機にて聞かせてもらい、歌手になる夢を、応援してもらいました。
NHK ののど自慢に出ましたが、思うようにいかず、挫折を味わいましたが、おばあさんに誘われて詩吟の稽古に行くうちに、また歌手になる夢がふつふつとわいてきて、夜行バスに乗り東京に朝方降り立ち、作曲家の中村典正さん、妻であらせられる歌手の松前ひろ子さんに弟子入りし、働きながら修行して、師匠から「人恋酒場」という曲をいただき念願の歌手デビューができました。
この曲がヒットしまして、その後も順調に歌手街道を突っ走られました。
コンサートではたくさんの歌を歌われて、その後に浪曲歌謡曲の「元禄男の友情立花左近」赤穂浪士の討ち入りのお話ですが、等々と演じられました。
セリフに歌に、たまに三味線の音が、よく長い演目を、覚えられ、演じられたなあと感心することしきりでした。
その後の歌の次に、和装で背中でのたすき掛けにて、和太鼓の大太鼓、少し小さな太鼓二つで見事なばちさばきでした。
これもまた見事なもので、ほれぼれしました。
またまた今度は、本格的なドラム演奏でした。
物凄く練習されたのでしょうね、見事なバチ(?)さばきでした。
その後に師匠であらせられる松前ひろ子さんがステージに、お祝いのごあいさつの後で、三山さんとのデュットで「人生援歌」を歌われました。
その後で、松前ひろ子さんがソロで「居酒屋夢あかり」を歌われました。
なんと、丁寧な歌いまわしで、いつ聞いても聞きほれるぐらい、素敵でした。
そして今度は白いスーツ姿でギターを弾きながら「女に生きる」を歌われました。
三山さんが昨年の紅白歌合戦で、北島三郎さんから頂いたステージ衣装でうたわれた「夢追い人」を、そのまた衣装で歌われました。
なんと、北島三郎さんが車いすでステージに出てこられて、お祝いのお言葉を「15周年おめでとう、自分の子供みたいにかわいい、まだ15周年だ、おれなんか61周年だ、頑張りなさい、何か親戚みたいな気がしている」等々の、忌憚のない励ましのあたたかい、お言葉で、最後に握手しての、展開でした。
三山さんはこれで何回目の涙なのでしょうか、本当に感激して嬉しかったのでしょう。
そして「どんこ坂」を最後に『あなたにありがとう』を堂々と生バンドに乗せて歌われました。
フィナーレでした。
何気なくリモコンをかまっていたら、この番組に出会いまして、幸運でした。
いい番組を見させていただきました。
「ビタミンボイス」で、歌われてきましたが、今では押しも押されぬ歌い手さんになられましたね。
何事も一生懸命にされて物凄い向学心をも持ち合わせ、そして初心を忘れないようにも見受けられ、そういう姿勢が素晴らしく、益々の歌手人生を謳歌されるのでしょうね。
そして、いくいくは後進の指導もされ、大先輩の北島三郎さんのような立派な歌い手さん、そして尊敬される人間になられるのでしょう。
今夜は久しぶりに、さわやかな元気をいただきました、私も、この姿勢を見習い、遅まきながらも負けないで、我が道を歩んでいきたいと思っています。
ありがとうございました、いいものを見させていただきました。
夢中になりブログを綴っていたらPM 11時18分になるところです、おやすみなさい。
11月3日(金曜日・文化の日)
秋晴れの穏やかな、あたたかい、この上ないお天気になりました。
朝から今描いている絵画を完成させて、ほっとしているところです。
このところアロエのハンドクリームを一日どれくらい塗るのでしょうか、右手の親指の頭に、もう、ひび割れができて、ひどくならないうちにと思い、水仕事や、手を洗ったときには、その都度タオルで丹念にふき、塗っています。
これ以上ひどくなると、オロナインを塗りバンドエイドを張り付けたりしています。
先程、刷毛付きの液体ばんそうこうを見つけたので、塗ってみました。
これは効果がありそうですね、便利なものがあるものですね。