小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

高田の雪

いよいよ、毎日が、ぐずつく空模様になってきましたね。

 

雪国高田の冬は、今あたりから、「しもあれ」と言って、どんよりとした空模様になり、来る日も来る日も雨風が強く吹き付け、そして南葉山に雪が三度来ると、12月10日ごろでしょうか高田平野にも初雪が降り、そして少しの雪が年末までに消えて、年明けより雪が降り2月の中旬ごろまで雪が降り続き、そして徐々に暖かくなり3月に入りますと、名残雪になり、4月には、お花見が

そのようなサイクルと記憶しています。

 

昔は【雪の下に高田あり】と言われたほど物凄い豪雪地帯でした。

屋根に雪が背丈以上積っている雪を屋根からスコップで、おろすのですが、これが多い時には3度4度とあり、その降ろした雪の又司がまた大変でした。

 

中でも昭和20年の大雪は語り草になっていて二階の窓から出入りしたとのことでした。

 

そのために雪の降る期間に歩行場所を確保するために、各々が土地を差し出して共有の屋根付きの通路を設けてあります、これを【雁木】といいまして、日本でも有数の雁木の長さを誇っています。

 

そして今頃でしょうか、柿の皮をむき、ひもで雁木に、ぶら下げて、冬の間に、干し柿として食しました。

年末には、大根を洗い、それをやはり、ひもで雁木にぶら下げて、干してしんなりさせて漬物として、冬の間の、お茶うけや、ご飯のおかずとして食しました。

このように柿やダイコン干しが一斉に行われていて高田の冬の風物詩でした。

 

子供の頃には、年末に雁木に面した家の木製建具のガラス戸のガラスを、雪の降る中、しもやけの手で水拭きをした思い出がありました。

 

そして大晦日の晩には、いろいろなご馳走の中で、必ず「サメの切れ目」を醤油で甘辛く煮込んだものが出てきました、今でも大好物でして、たまに妻から作ってもらっています。

 

そういえばお正月には、お汁粉やお雑煮がごちそうでして、お餅の焼く係を任されまして、それぞれ何個と聞いて、墨を起こした七輪の上にもち網を載せて小生なんかは一度に長がぼそい餅を5つも食べたのを覚えています。

そしてこたつに入りながらの冬ミカンのおいしかったことなどが浮かんできました。

 

エアコンなどもなく、そして家の外から隙間風が入ってきて、大変寒い部屋でしたので、母親から湯たんぽや品川行火を毛布で包んだものを布団に入れてもらい暖を取っていましたがあまりの寒さで足で抱き込んだのか、やけどをして、今でもその傷跡が残っっています。

 

子供のころの冬の遊びといえばスキーや雪ダルマづくりやかまくらづくりなどがありました、そして寒い朝などでは、積もった雪の上を、埋まらずに、飛んで歩かれたもので、これを「しみわたり」といいまして、雪の表面が凍って堅くなってできることでした。

 

小学校のころには、よく金谷山へスキーを担いで、日曜日に近所の仲間と背中に親から握ってもらったおにぎりが入ったナップサックを背負いスキー乗りに、楽しかったことを思い出しています。

 

あれは、中学一年の12月の上旬ころだったと思いますが、日曜日の午後、木製窓の透明ガラス越しに、初雪が降ってきて、ぼんやり眺めていたことを思い出しました。

 

高校の時には、赤倉温泉スキー場へ冬休みに、級友とレストランにアルバイトをしたことがあり、初めて親元を離れてのお正月を経験し、初めての社会勉強をさせていただいたり、今でも乾燥したパウダースノーの冷たさなどをよく覚えています。

 

そして旧高田工業高等学校の卒業式の帰り道で、高田城址公園の前を通り抜けたときには、道路わきに雪の山があったことも大切な思い出として残っています。

 

3月の中旬過ぎには雪解けとともにスイセンの青い目が真っ先に、スンスンと出てきて、春を感じたものでした。

 

それにしても,兄弟がたくさんいて大家族だったのに、食べ物を不十なく食べさせていただいて、大変だっただろうなあと、両親に今ごろになり感謝しているところです。

 

11月18日 (土曜日)

11時過ぎに『秋の特別カフェ企画 小林古径記念美術館』へ妻と行ってきました。

小雨がぽつぽつの中、記念館で入場券を求めて古径さんのかけ塾等々を見させて、いただきました。

作品のダイナミックさや構成の素晴らしさや、墨のぼかしや水の含み具合、色彩の微妙な色使い、墨や色彩のごく細心な、はみだしのない筆さばき、人物やその他の物体のデッサンの正確さ、バランスの良さ、すべてにおいて、感心することしきりでした。

神業みたいでして、とてもではないですが、並の人間にはとてもまねのできない芸当だと思いました。

制作時に、はみ出したり、曲がった線などのやり直しがきかないと思われるのですが、塾託した精神力と技量がなければできないと思われますが、とにかく人間業とは思われない所作で、感心することばかりでした。

見終えて、そして通路を歩いていたら、古径さんが文化勲章をいただいた賞状から勲章まで飾られていました。

まさに故郷が生んだ、大画伯で居なさると思い、誇りに思いました。

そしてカフェコーナーに行きまして、飲み物とケーキを妻が注文しました。

大きなガラス越しに、初冬の風情の公園の築山や、お堀を見ながら待っていると、私にはホット珈琲とチーズケーキを、妻はホット甘酒とバウンドケーキが来まして、ケーキは半分づつ取り替えて、ケーキも飲み物も大変おいしくいただきました。

妻がSNS で知り「CAFE HAYASHI」さんの特別出店とのことでした。

 

初冬の公園の静寂の中、中身のある充実した一時を、有意義に過ごさせていただきました。

 

11月19日 (日曜日)

『石の上にも三年』 石の上に三年も座っていれば、石もあたたまる。

どんな辛くても辛抱していれば、やがて何らかの変化が起きて好転の芽が出てくる。

 

ふと、この言葉が出てきたものですから、検索してみたら、このようなことなのだそうでした。

 

ブログのカウントが、その日によって1カウント、次の日が7カウント、また次が2カウント、その次が5カウント。その次が1カウント、そのようなことの、くり返しですが

おかげさんで0を打つ日がなく幸いと思っていますが、どうしてでしょうね、それなりに考え考え作っているのですが、今日は、夜中と思いますが12カウント入っていまして、喜んでいるところですが、かって将棋の大山康晴名人は【将棋は忍の一字】と、おっしゃっておられましたですね、小生も忍耐強く、石の上にも三年で、頑張っていこうと決意を新たにしているところです。

 

長らく絵画をお見せするのが遠のいていますが、現在制作中でございますので、もうしばらくお待ちください。

 

AM10時少し過ぎですが、また10カウント入っておりました、合計で22カウントをいただきました、誠にありがとうございました。

 

カーネクストアジアプロ野球チャンピオンシップ2023で10回タイブレークの末にPM10時2分前に日本が韓国に4対3でサヨナラ優勝を飾りました。

おめでとうございました。

甲乙つけがたい、一進一退の、緊迫したいい試合でした。

この度の井端監督の采配の素晴らしさや、それに答えた選手たちの堂々としたプレーが光りましたね。

 

ただ今PM 10時15分になるところですが、本日は結局、また2カウントいただいており合計で24カウントをいただきました、ありがとうございました、感謝申し上げます。

 

11月20日 先日からの寒さは、真冬並みの寒さですね、いつ雪になってもおかしくないと思っていたら、今朝のニュースでは、あちこちに雪が降り30センチも積もったところがあったそうですね。

新潟県もこの24日でしたか25日でしたかに雪のマークが出ていましたものね。

まだ雪は先ではと思っていましたが、それでもスノータイヤ交換を23日に冬囲いを25日にお願いしてあったので、ぎりぎりのところでしたね。

 

自宅の消パイのセットやスノーダンプやスコップなどの準備とともに、班の準備もと思っているところです。

 

今冬も、人様のためだけでなく、自分たちのためにと思い、そして人様に笑われないためにも雪との格闘を肝に銘じているところです。

 

昔から【 世話やきは、ごうやき 】と言われてきましたものね。

しかし、世話やきが、いなくなったらどうするのでしょうね、それこそは、余計なお世話ですかね。

 

いつも思うのですが、文部省の皆様、学校の高等教育や学力もいいと思いますが、世の中で一番大切な、親御さんが教えられないと思われる、倫理社会の教育を時間をかけて徹底的に、教え込んでいただきたいものですね、社会が崩壊する前にと、強く強く思いますが、そう思うのは私だけでしょうか。

 

何も難しいことではなく、社会を生き抜くために、権利を主張するだけでなく、果たさなければいけない義務があり、また人間としてやってはいけないことや、恥ずべきことは何かとか、まああ、この程度のことだけでも、皆さんが共有できれば、世界はもとより、人間らしく素晴らしい社会が開けてくるのだはないでしょうか。

 

ただ今AM 10時10分前ですがブログのカウントが一つ、いただいております、いつもいつも誠にありがとうございます。

 

午前中に自宅分の雪の準備をして午後から共有道路の下水の草取りをしました、老婆心で消雪の水が、とどこうりなく流れるようにとの配慮からでした。

 

今日は朝から、ものすごいうなり声をあげた恐ろしいような風が吹いていて低気圧の影響ですか、早くも冬本番みたいで、いやですね。

 

11月21日 今日は何の心配もないお天気に恵まれまして班の消雪のセットをやり終えまして、水も出してみましたら、思いがけなくたくさんでているみたいで、楽々しました。

そしてまた、セットした消雪を出しっぱなしではいけないので,消雪のホースを一か所に集めて仮縛りして一段落しました。

これで一応いつ雪が来てもと思っています、毎年のことですが、年のせいですか気が、せいていたもので、やり終えてほっと一息ですね。

 

ただ今AM11時40分になりますが、おかげさまで二つのカウントをいただいています、いつもいつも、ありがとうございます。

 

午後からは何の用事もないようなので今描いている秋の妙高山の絵画の制作に精を出そうと思っているところです。

 

昼食の後で「徹子の部屋」を見ていたらゲストが伝説のジャズシンガーの斎藤悌子さんでした。

 

冒頭の方で徹子さんよりのリクエストで、腰かけたままでの、伴奏なしの「テネシーワルツ」を聞いていたら何か涙ぐんできたのでした。

この方の初めて聞いた歌声だったのにもかかわらず、意味も分からずでしたが、通じるところがあったのでしょうか。

 

沖縄の米軍キャンプで「ダニーボーイ」を歌っていたら、踊っていたアメリカ兵が目に涙いっぱい貯めておられたとのことで、人からあの方は明日、ベトナムの戦地へ行かれるとのことを聞いて、泣けてきたとのことでした。

 

そして最後の方でピアノの演奏とともに「ダニーボーイ」と「テネシーワルツ」の素敵な歌声をお聞きし番組を見て、言葉の意味もわからないのですが、歌声がしみてきたのでしょう、得をしたような気分になり感激をしました。

 

私生活の一面もでまして、それによると毎朝ボイストレーニングを、欠かさずにされておられる様子が映し出されていました。

伝説の方といえども,地味つな努力をされておられるのだなあと、そして、お年が88歳とのこと、声量があり、つやのある声で、感心するやら、小生などは、まだまだ努力が足りなくて見習わなくてはいけないなあと思っているところです。

 

11月22日 朝から、玄関引き戸のカギの部分に植物オイルを注入して、スノータイヤと冬用ワイパーを車に乗せて、古新聞を市の資源ごみ回収場へ、そして買い物に行ってきました。

日本晴れというのでしょうか、空は雲一つない薄い色の青空で、風もなく、この上ない日本海側と思われないようなお天気で、お日様も当たり、気分爽快ですね。

 

スーパーへ行ったら、パイナップルが485円で、そして煮卵が六つ入ったのが365円でしたか、目につきましたもので、書いてみました。

 

今、徹子の部屋を見てブログを覗いてみたら「ぽつんと一軒家」でないですが「ぽつんと一つ」カウントが入っていました、いつもありがとうございます。

 

お昼に妻がどなたからいただいてきた「あられ」ですか、細ながい、お餅を油で揚げて塩を振ったものですが、何年ぶりでしょうか、おいしく懐かしくいただきました。

 

朝方洗ったものが、今2時半になるところですが、パンパンに乾いていまして、お天道様のありがたさが身に染みました、自然の渇きは気持ちのいいものですものね。

先日ある方にお聞きしたのですが、布団などからのダニなどの対策は、天日干しが、最高に効果があるらしいですものね、薬品などに比べてもアレルギーとかいろいろな弊害も、ないそうで、一番お勧めしたいとのことでした。

 

最近、上着の重さが気になってきまして、年のせいですかねえ、今度買うときには,柄やデザインとともに、この服の重さも加味しなければ、いけませんね。