小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

『鏡開き』の前日 日々つれづれ

 

 

 

『つれづれ』 とは、しんみりしたもの寂しさ、物思いに沈むこと、とありました。

 

「緊急速報」 我が,ガラ携帯電話には能登半島地震以来と思うのですが、小さな

丸にピコピコと連続して青緑白い光が、最初のころには小生にメールが入ったのではと勘違いをしてしょっちゅう点検したのですが、エリアメールでの地震速報でした、昨日も佐渡沖での地震があり上越は、おかげさんで、震度4でしたが、地震に会うたびに何もできなくなるような気抜けが襲ってきてしまうような有様ですが、毎日々、数え切らないほどに、みまわれておられる能登地方の皆様の心労は、言葉に言い表せないほどと、お察し申し上げます。

 

八代亜紀さん死去」 昨年の12月30日に73歳にて、お亡くなりになられたそうで、ご冥福をお祈り申し上げます。

昭和が生んだ大歌手でいなさり、「船唄」「雨の慕情」等々数多くのヒット曲を歌われ、絵画の部門でもフランスの絵画公募展「ル・サロン」にて、5年連続で入選され永久会員として認められておられるそうで、歌手生活を送る中での絵画制作の時間は徹子の部屋にて「声を休めたり唯一の時間でした」と、おっしゃっておられましたと思いました。

私は出始めの曲で「なみだ恋」が、大好きでした、「♪夜の新宿裏通り♪」青春時代の真っただ中のころでした。

安らかにお休みください。、お眠りください。

1月11日今朝の朝刊で五木ひろしさんが亜希さんへの手記を寄せられておられました、妹のようにデビュー当時から親しく思っており、思い出を語られておられ、大変さみしくなりました、どうか安らかにおお眠りくださいとのことでした。

 

「目は口ほどにものを言う」 お昼のTVの番組で松岡修造さんが、専門家よりの教えを披露されていました。

この言葉は「目は口以上に、その人の感情を表す」という意味だそうです。

まさにその通りと、思っています。

極論ですが、眼鏡越しの言葉は気を付けなければならないと、おっしゃっておられた方もおられました。

解説によりますと『目』は、非常に大切なところで、唯一保護がなく、むき出しなところとのことでした。

そして目を見れば、いろいろなことがわかるとのことで、眼底写真を撮ると血管がもろに表れていて、その部分のつまりとか細さなどでも、いろいろな病気の判断ができるとのことでした。

『目をこする』痒い時などそうしがちですが、絶対にしてはならないとのことで、この動作は目に直接にパンチを与えているのと同じだとのことでした。

『目薬を差す』その時の後の目のぱちぱちも、いけなく、目には目薬の量が限られており、たくさんさしてもダメで、顔の中央の鼻の上の目より少し下がったところを指で押さえて、鼻に抜けないようにさして、くださいとのことでした。

『目に良い動作』目の健康のために目の上10センチぐらい斜め右に指をかざし、それを目で追い、そして同じように右下斜めに、そして同じように左も、このように順繰りとの、目の動かし方が、目にはよいのだそうでした。

 

その他いろいろな事柄を述べられておられまして大変に勉強になりました。

 

『鏡開き』

毎年1月11日に、お供えしていた鏡餅を下ろして、無病息災を願って食べる行事のこと。

 

お供え物に刃物を向けるのは縁起が悪いとして、包丁は使わず、小づちでたたいて「割る」という言葉も縁起が悪いので「開く」という言葉が使われています。

 

歴史

鏡餅を供える風習は室町時代から始まったといわれとぃる、もともと「鏡開き」という行事は、年の初めの「蔵開き」「何々開き」「何々初め」などという、新年の仕事や行事初めの儀式の中の一つでした。

 

武家では正月に男性は具足(甲冑)を飾って鏡餅を供え、女性は鏡台に供えていた。

これらの鏡餅を正月11日に割って食べる習慣があり、これを「鏡開き」といいました。

 

餅を鏡というのは、餅の丸い形が昔の銅鏡に似ていたからとのことです。

 

鏡開きの日は地方により異なる。

京都府や近隣の一部では、1月4日に行われる。

松の内が1月15日の地方では20日に行われる。

 

1月11日になりました、あとで、お参りをして、お供えを下ろさせていただこうと思っています、お正月に、食べなかったお汁粉でもしてもらおうと思っているところです。

 

TVで、嵐の皆様が5人の総意で、この地震の皆様へ6750万円の寄付をされるとの報道がありました、誠に頭の下がる思いで、ありがたいことであると思いました。

皆様のお力添えになることと思いました、ありがとうございました。