小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

 林泉寺 脇 田に水入るころ の桜立つ

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林泉寺 脇 田に水入るころ

 八重桜と思いますが、毎年、欠かさずに見に来る、美しい桜です。

 

高田公園の桜ソメイヨシノのあと、ゴールデンウイークのころが

一番の、見所です。

 

林泉寺の脇に、花の色は、あずき色と桃色を併せたような濃いめの花びらで

重なり合って堂々と凛と咲いています。

 

背景には、田植え前の水面に樹々も映り、遠くの緑も、この桜と、マッチ

して、穏やかで、いつまでも、佇んでいたい春の風景でありました。

 

作品については、どこにでもあるような平凡な構図ですが、どこを強調することも

なく、あくまで、それを求めました。

絵画でも、あまり強烈な作品は、最初はインパクトが強くて引き付けられますが

しまいには

逆に、平凡に思える様な作品は、いつまでも見あきないし、結局そばにおいて眺めて

心が和み  そんなこともあるのではないでしょうか。

手前の八重桜、水田に映る木々、そして林、民家、近くの畑

曇った空 など優しい筆使いで描いてあります。

 

私の好きな作品の一つです。

 

 

 

妙高山 桜咲く頃

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妙高山 桜咲く頃

 五月のゴールデンウイークのころの妙高山です。

今年は、雪が深かったのでしょうか、妙高山のすそ野が、やっと雪消え

が、始まったばかりです。

 

この頃は、絵の描き始めの頃で、イーゼルやら絵の具、水入れ、パレット

などを持参して現地で描いていました。

田んぼのあぜ道で描いていたら、とうりすがりの方に声を掛けられて

「 絵描きさんですか ? 」

なんと気恥ずかしかったことか、

そんな出来事も、ありました。

 

作品については、絵画の描き始めの頃の作品で現在の少しばかりかじった

私に比べると、幼さの残るところが目につきますが、その頃はそれで

精いっぱいだったのだと思います。

でも素朴ながら、何を描きたかったかは伝わって来ていると思います。

 

 

 うすぐもりの直江津海岸

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うすぐもりの直江津海岸

 春の直江津海岸を描きました。

薄い、、もや、、が掛かって、いました。

実際の作品は、もう少し色合いが、着いています。

静かで、さわさわと、やさしく、戯れているような 波音でした。

 

晴れていれば 遠く米山の頂きが見えるところです。

 

作品については、今思えば、よく、この淡い 々 強弱の色合いのない

難しそうな風景を描いたなあと 自分で感心しているところです。

空、陸地、海、砂浜、淡い色使いが大変でした。

でも、描き終えた時の達成感は格別でした。

 

 

岩の原葡萄園 秋日

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岩の原葡萄園 秋日

 何ともいえない、この癒される雰囲気の建物が好きで記念に描かせて

いただきました。

こげ茶色の屋根、窓枠の緑色、白い外壁、穏やかな外観が、とても、まわりの

自然と、溶け込んでいて、まるで、おとぎの国へ、舞い込んだようでした。

 

取材したときの事は、よく覚えています。 暑い夏が終わり九月の初旬で

少しばかり、暑さの和らいだ、小雨の降りそうな昼下がりでした。

そして、静けさのなか、かすかに虫の鳴き声が聞こえたような気がしました。

穏やかな雰囲気のなかで、小さな秋の始まりを感じました。

何も語りは、しませんが、玄関先の木も、時代の流れを共に

味わって、きたのでしょうね。

 

 色々なドラマがありましたであろう、歴史ある建物に感慨深く

思いにふけながら、絵筆を進め作品の完成をみました。

 

懐かしい作品を見てコメントを書いているのは令和2年です。

今から20年ぐらい前の、素敵な佇まいを、今でも愛おしく思っています。

その場の、心地の良い空気のにおいや色までも、鮮明に、浮かんできます。

そして、何度でも、そしゃくが、できたらと言う思いで、いっぱいです。

 

作品については、こんなにも、描きたい気持ちの強かった思いのある

作品は珍しかったです。

建物のアウトラインを描き、空、奥の森にうつり、そして社屋関連を描きました。

手前の駐車場の広場は点描的に小石を、一つ一つ楽しむように描きました。

二ヶ月位の制作期間を要しましたが、思いのたけを表すことができたのではと

思っています。

 

 

 

 

初夏の林泉寺

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初夏の林泉寺

 初夏の林泉寺を描きました。

新鮮な空気と鮮やかな緑がとても、すがすがしく感じました。

 

そして、色々な緑の色合いが、それぞれに、はもって、いるようで、とても

素敵でした。

 

じっとしていると、地面に、そっと、そよ風に撫でられながら

蟻が一匹、忙しそうに、這っていました。

蟻は蟻で目的があって、動いているのでしょうね。

 

右側には、林泉寺さんの、寄付を募られた、お名前の札が数多く

掲げられています。

 

静寂のなかに溶け込むように惣門が佇んでいました。

 

作品については、取材した写真をみて、面白そうな構図だなあと

すぐに感じました。

左の木々の陽射しの当たり方、右側の何層かの緑の重なり具合

そして平場の陰影、工夫したところです。

 

単に春の風が、さっと吹き抜けた後の爽やかさを感じて頂けたら

幸いです。

 

 

 

旧保健所前の冬景色

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旧保健所前の冬景色

 大雪の朝に取材しました。

ここは、高田工業高校生のときの通学路で旧保健所前の桜並木です。

この雪景色を見ると、楽しかった学生時代を思い出します。

 

学校への、行き帰りに仲のいい 仲間と、たわいのない話をしながら

三年間、今思えば一番人間関係で気の使わない時代で楽しかったなあと

懐かしんでいます。

そして、そのころは、両親も健在でした。

 

今は、ありませんが、あの古い 々 木造校舎で勉学に励んだのでした。

掃除のときには、無垢の板張りの床の雑巾がけで、床板の、とげが、刺さったり

そんなことも、ありました。

 

令和1年 昨年、湯沢グランドホテルで同級会があり 五年後にまた

再会の約束をして散会しました。

 

会社の経営者、勤続されている人、第二の職場の人、退職して趣味を

楽しんでいる人、それぞれですが、70才になり、脂ぎったところも

取れて、本音で話の出来る、そうです 高校の学生時代に戻ったみたいで

馬鹿を言い合い、お酒を飲んだり、入浴したり、カラオケで歌ったり

本当に有意義な時間を仲間と共に過ごし楽しかったです。

昔ばなしにも花が咲き、皆生き生きとしていて、誰一人として、不満足の

感情を持ったふうは、ないようにみえました。

幹事さんにも感謝です。

 

名刺がいらない、名刺が効かない、我々は、最盛期を過ぎて、そうゆう

世代に、なったのでしょう。

脂ぎった時代がよかったのか、今の空気を満喫したいのか、人間は欲張り

ですね。

でも、それが人間の生命力の源、性 でしょうか。

神様は、考えながら、ちょうどよく、人間を作ってくれました。

 

競り合いとか、向上心などがなくなったら、人類は進歩が無くなり

やる気も無くなり、衰退するのかも、しれませんね。

 

でも、今の日本そして、世界の国々、どこをみても、恐ろしくもあり

滑稽でもあり、もう少し、大人になり、冷静に物事に対処できない

ものかと、いつも思います。

自分のことばかり考えて、住みにくい社会にして、どうするのでしょうかね。

そして、各指導者は皆、歴史に残るのですが、ご自分の子孫が、振り返った時に

どの様に思われるか、お考えになられて、冷静に対処されれば、住みやすい

より良い世の中に、変わっていくのではないかと思われるのですが。

 

寿命のある私たちですので、息のあるうちに人様の、世界のために、一生懸命に

骨身を惜しまずのご活動を願いたいものです。

 

そして、沢山の方々が、いついつまでも歴史に残る偉大なる指導者になられたら

こんな喜ばしいことは、ないですね。

唯一、過去から学べ、考えることの出来るのは人間だけではないのでしょうか。

そして、誰が見ても正当な行い、考え、意見などが、世界の人々の共通で

通用する世の中になる事を念じてやまないところです。

 

 

  仕事で生きたい人、趣味を楽しみたい人、ゆったりとしたい人

人生は、いろいろですが、一度の人生、有意義に過ごしたいものです。

 

作品については、一応、木々の枝の先端まで、描いてあるのですが、昨夜の雪降りと

今朝も雪が舞っていて、そしてバックの白っぽい雪雲と、枝に積もった雪で

区別するのが大変でした。

そして、街灯の鋳物柱も、なぜか寂し気ですが、この作品には、なくてはならない

ロマンの街灯で、ひとすじの灯りをともしてくれています。

 

 この作品で、雪の舞う本降りの雪国の朝を感じて頂ければ、ありがたいです。

 

 

国分寺の塔

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国分寺の塔

 大町小学校の頃に、たびたび遠足にきた五智の国分寺です。

 

塔を描くのは、初めてでした。

 

国分寺さんといえば、なぜか朱い色が強く印象に残っています。

 

遠足では、親から握ってもらった、梅干し入りの大きな、おにぎりを

ほうばったのでしょうね。

そして、おかずは、赤いビニールが被ったソーセージでしたか。

そして、端っこの金属の留め金を歯でちぎって食べたものです。

おやつは、すっぱくて、皮の厚い、大きい夏みかんでした。確か、皮むき用にと

あらかじめ、十文字に包丁めが入っていました。有難いことでした。

このころようやく市内にスーパーマーケットができて、遠足のおやつなどを

買いに行った思い出があります。

 

この行事一つを、みても兄弟が多かったのに、よく、やってもらって大変だった

ろうと、この年になり、しみじみと感謝しています。

 

その他にも、リュック、すいとう、着ていくもの、などなど

頭の下がる思いです。

 

そして、私物には名札付けなんかも、ありましたね。

 

作品については、国分寺の塔は、難しいデッサンでした。

上部に薄日が差していて、その表現が難解でした。

周りの緑と絡み合い堂々と凛とした様子を描かせていただきました。

この作品は、筆の動くままに、邪念なく描きました。