小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

直江津名物 継続だんご

2月19日 直江津商店連合会 2021年 年末謝恩なおえつプレミアム商品券

のダブルチャンスにおいて、三野屋さんの継続だんごが、当たりまして

取りに伺ってきました。

 

三野屋さんの、継続だんご の箱のうわおいのラップに、このような文面が

載っていました。

直江津の駅についた。 港の駅なり。 駅のそばで団子を買った。

「この団子の名前は何と言うんですか?」「へエ 継続だんごです」

「継続だんご  団子が続いているからですか?」 駅の待合所に腰かけて

 白い継続だんごを食べる あんこをなめてみると あんなにも死ぬることに

 明るさを感じていたことが 馬鹿らしくなって来た】

 

    林芙美子著   「放浪記」  抜華 

林芙美子さんの放浪記の中で 、このように直江津のこと三野屋さんの継続だんごの

ことが、言葉で描かれているのです。

 

放浪記といえば、あの大女優 森光子さんが恒例で演じられておられた演劇でも

有名ですものね。

でんぐりかえられたり、大熱演で妻も一度拝見させていただいたと申していました。

ラップのくだりは不勉強のためにニ、三 あやしいところが、あるかもしれませんが

ご容赦ください。

 

そして、さっそく、家で、おいしくいただきました。

継続だんごは、うまく表現できるかわかりませんが。竹串に平べったい、むし菓子

状の直径2センチぐらいで生地は白色で、表は茶色で、つやがありコーテイングされた

様になっていて、このだんごが四つ並んでさしてある、だんごです。

おいしい団子で、久しぶりですが私の舌が、しっかりと覚えていました。

直径二センチくらいの団子は串を挟んで左右から二口でちょうど食べ終わり

不思議に、残りかすが残らずにきれいに食べられました。

 

林芙美子さんも旅の疲れもあり、余計においしくて、そして継続団子の名称なども

特に印象に残られたので放浪記に記されたのではないかと思いました。

 

奇しくも先日の私のブログに、偶然にも「競輪 放浪記」という題名を

使わせていただきました。

本当に、奇遇でした。

 

三野屋さんからの帰り道、直江津の荒川橋近くの踏切で労災病院方面に向かっていた

ところ偶然にも警報機が鳴り車を止めたら、遮断機が下りてきました。

黄色と黒と少し赤色の横棒でしたが、なぜか車の進行方向だけ棒の先が少しだけ

下がっていたのでした。対面方向も同じでした。

これは小さな発見でしたか?

しばらく待っているとJRの貨物列車が直江津駅より柏崎方面へと走ってきました。

それがまた、ゆっくり 々 と時速5~10キロぐらいですか、イライラするぐらいの

スローモーションみたいでしかも、ものすごい長い連結車輌なのです。

時間はお昼少し前でした。

昔の人でしたら「ふんどし」みたいに長いと、言われたかもしれませんね。

私は、ふんどしというのは、どのくらい長いのかわからないのですが、

本当にそんなに長いのでしょうかね。

久しぶりに、それにしても長い長い貨物列車の連結車輌と遭遇しました。

 

新潟県上越市

約50年前に高田市と直江津市が合併してできた市が上越市です。

元の高田市(城下町)の人たちは、一般的に、おとなしい、穏やかな性格

元の直江津市(港町)の人たちは、一般的に、活発、さばさばな性格 

   (例外があると思いますが、ご容赦ください)

 

直江津の方々(昔は直江津のしょ 高田の人たちは、高田のしょ と言いましたか)は、

7月の終わりごろの祇園際には、各町内より飾り屋台をくり出し三日間、老若男女が

町ぐるみで賑わい、最終日の夜には八坂神社さんに各町内が、それぞれ順番を決めて、

お米を奉納して、お祭りのフィナーレとなります。

直江津の方々は、このお祭りを特に大事にされていて旅の方(遠い親戚、兄弟 等々)

は、普通、お盆に帰省されるのが、このお祭りに合わせ、来られるのだそうです。

そして、お勤めの若い方々は、ほとんど、この三日間は会社を休んで、お祭りに参加

されるようです。

私の知り合いでも、おられましたが、この時期になると、言葉が乱暴かもしれませんが

血が騒ぐのではないかと思われるようでした。

大げさに言えば、この7月の一瞬を一年の最大の楽しみにされておられる方々が

ほとんどでそれだけ盛大なお祭りなのです。

 

命をかけて、お祭りに参加されておられるといっても過言ではないかと思いました。

小生としては、うらやましい限りです。

 

そしてご自分の町内にも、すごく愛着と誇りを持っておられるのだと強く感じました。

隣近所のお付き合い、先輩後輩のつながり、親子のつながり等々、お祭りに参加して、

大人たちを見た子供たち、大人たちの教え、学校では学べないであろう

そのような大事なことを地域社会から自然に学ばれ、素晴らしいことだと称賛して

尊敬しているところです。

 

日本人が忘れかけている絆という交わり、ぐしゃぐしゃに、崩れかけている人間が生きていく上に一番大事な常識などは、このようなことから学び、始まるのではないかと

多くの先人の方々の思いと知恵をも感じ、そしてこれを守って受け継いでいくのが

私たちの使命であり、守っていかなければならないと強く強く思っているところです。

 

これからの日本人の人たちは、日本の美徳を世界に知らせしめて、世界の生末を

変えていっていただき、それが、賢い日本人の役割だと強く思っていて

期待しているところです。

 

人は、命を懸けるほど熱中することが、生涯どのくらいあるのでしょうか。

そして若き頃のことを良き思い出に、幸せですね、うらやましいですね。

直江津祇園祭 万歳ですね。

 

そして、旧町内名の天王町、塩浜町、福永町 等々 昔の名前には、皆さん

今でも愛着が、あられるのではないでしょうか。

 

 

このような直江津の町中の中央部に継続だんごで有名な三野屋さんのお店があります。

直江津駅のすぐ近くです。

 

   

話は変わりますが、最近気づいたのですが、手の爪の伸びるのが早くないですか。

最近では5日に一度ぐらいのペースで爪切りを、しているみたいです。

若いころと比べて仕事をしてないせいですかね。

私に関しては、爪の栄養分が頭の薄いところにいって、髪の毛が生えてくれる

方を望みたいのですが。

誰か転換法を考えて頂けないですかね。

そうしたらノーベル賞をいただき、大金持ちになれるのでしょうね。

 

 

2月22日  今朝の読売新聞の朝刊に西郷輝彦さんが、お亡くなりになられたと

載って、いました。

ご冥福をお祈りいたします。

 

少年時代(中学2年か3年生の頃でしたか)から、憧れの人でした。

デビュー当時の、あの、ほんの少しだけ悪っぽい感じとか、そして男っぽい感じとか、

とにかく格好がよく、たまらなく好きでした。

デビュー曲の「君だけを」夢中で、ラジオから流れてくる歌を手書きで

聞き取り、歌っていました。

当時は貸し本屋さんがありまして当時の雑誌で「平凡」や「明星」など

借りたりして夢中になって、みたりしていました。

日曜日のお昼には玉置宏さんのロッテ歌のアルバムなど楽しみにみていたものです。

当時のテレビのチャンネルはカチャカチャ廻す式のもので、たまに映りが悪くなり

その時にはテレビを手のひらで、はたくと治ったりして、懐かしいですね。

その頃の御三家といえば「橋幸夫舟木一夫西郷輝彦」さんの面々で当時は

それぞれヒット曲の連続、破竹の勢いで夢中になって華やかで楽しませて

いただいていましたね。

そして小遣いをためて、たまに板チョコを買って食べたり、小さな幸せでした。

その頃は私の履歴は、まだ真っ白でしたか、ないものねだりですが、ほんの少しでいいですから、あの頃に戻ってみたいですね。

でも当時の中学校の中間テスト、期末テストが嫌でね、テストがないと思われる

大人に早くなりたかったでしたね。

今でも鮮明に覚えているのは国語の勉強で煙という字を覚えるのに「火書いて右に西書いて下に土書く」 妙なことを覚えているものですね。

水戸の黄門様ではないですが人生楽ありゃ苦もあるさですね。

 

「君だけを」

♪ いつでも  いつでも  君だけを

  夢に見ている  ぼくなんだ  星の光を  うつしてる

  黒いひとみに  出会うたび  胸がふるえる  ぼくなんだ  ♪

 

なんというロマンチックな歌詞なのでしょうか、本当に素敵な曲ですね。

その他には「涙をありがとう」「星娘」「星のフラメンコ」等々

ありましたね。

特に「涙をありがとう」の曲が好きで、覚えようと何回も歌っていたら姉から

いい加減にと、諭されたことがありましたっけ。

 

読売新聞の朝刊の一面の「編集手帳」に在りし日のことが綴ってありました。

西郷輝彦さんの歌手としての活躍や、芸歴などが詳細に載っていました。

筆者の方も、思い出深く印象に残っておられたのでしょう。

でもこの欄に登壇されるとは、やはり大歌手、大俳優で、あられた証左

であると改めて、思いました。

 

重ねてご冥福をお祈り申し上げます。

 

2月25日

只今PM5時少し前です。

それにしても日が伸びたものですね、雪と悪戦苦闘していた時には、もう真っ暗でした

ものね。

冷めたホットコーヒーを、いただきながらブログづくりをしています。

きょうは良いお天気でして、あたたかく道のアスファルトも黒々と見えてきて

洗濯物もよく乾いて一昨日までの雪が噓みたいで、お陰様で一日、じょんのび

させていただきました。

屋根の雪下ろしも心配していたのですが、昨日の午後と今日とで、かなり雪かさが

しもだまって、ほっとしているところです。

雪国に住む私たちにとっては、雪下ろしをするか、しなくてもよいかは、天と地の

差ぐらい切実の大問題なのであります。

やがて三月になりますので、これからの雪はイルカさんでもないですが、

あの優し気で情緒たっぷりな歌声の、なごり雪となってロマンと余韻を楽しませて

いただきたいと願っています。

 

まだ明るいのですが習慣で玄関ポーチの街灯のスイッチを入れたら、橙色の灯りが

やわらかくぼんやりと灯りました。

今夜はテレビで

 PM7時から、ちさ子さん、一茂さん、良純さんの「ざわつく」をみてPM8時からは、

 BS5チャンネル「新日本プロレス」 今日はどの選手でしょうか

  観戦を楽しみたいと思っています。

 

2月26日

昨夜みました、新日本プロレスジュニアヘビー級の決勝戦高橋広夢対YHO選手の

一時間近くの、もうもう、両選手の死に物狂いの激闘でした。

素晴らしい、とてもすごい試合を観させてもらいました。

これがまさしく真のプロレスであり真のプロ集団中のプロであれせられるのだと

実感して、いるところです。

高橋広夢選手が勝利されたのですが、私は、これだけやれば勝敗抜きで両選手共に

爽やかで美しい汗を流し、誉れ高い時間を過ごされたのではないかと思いました。

私たちにはわかりませんが、両選手にとっては恍惚の時間でも、あったのかなあと

思っています。

両選手共に、本当に、ご苦労様で、ありがとうございました。

試合後にリング上でYOH選手が、羞恥心も、かなぐり捨てて男涙で泣き崩れて

いました。

これはもう悔し涙ではなく、やり切ったという、そして自分をほめてやりたい

という思いのうれし涙ではないかと重々、察しれられました。

そして勝者が対戦選手に、試合後にねぎらいの温かい言葉を、投げかけられて

おられる姿にも素直に感動を覚えました。

一生懸命にやられておられるだけに相手の気持ちも分かり合えるのでしょう。

両選手共に今後のご活躍を祈念しております。

 

早朝のBSの歌番組の「サブちゃんと歌仲間」のビデオを朝食をいただきながら

楽しく拝見させてもらいました。

最後に北島三郎さんと二葉百合子さんの歌で「栄枯盛衰」に、いつも聞きほれて

います。

歌の内容もさることながら、お二人の詩吟調の趣のあるセリフも素晴らしく

私も覚えて歌いたいのですが私には、だいぶ敷居が高そうで聞く方に専念

したいと思っています。

特に「井戸も最初は濁り水 辛い悲しい涙の後には うれし涙があるものを」

このセリフのくだりが大好きです。

そして一番素晴らしいのは、大歌手の共演と共に、三郎さんの成熟された

優し気な歌声と百合子さんの凛とした歌声の響き合いの素晴らしさだと

素人なりに感じているところです。

素晴らしい人生の歌で、数ある歌の中で、このような名曲は後世に残って

いかれるのではないかと思っています。

お二方の大歌手でありながら、誠実で、まじめな歌い方や姿勢にも感動して

見習わなくてはと、いつも思っているところです。

「実るほど頭が下がる稲穂かな」ということわざが浮かんできました。

本当に達観された方々の、なかなかできないと思われる所作に、さわやかな

微風や感嘆と称賛の声を盛大に、あげさせていただきたいと思っています。

 

朝食の後で、薄いレースのカーテン越しに、薄橙色のあたたかそうな明かりが

みえたので、カーテンを開けてそっと外を見てみたら、お隣の雪の山に東からの

朝日があたっていて、それが白い雪と薄群青色のまだら模様の上に、薄い紫色、

薄い紺色が、そして白光と、ほんの細かく転々と光を放って、まるで宝石をちりばめたように素敵な雪模様を見せていました。

降りやまない雪を見ていると、容易ではないのですが、このような美しく素敵な

雪模様は,雪国に住む私たちの、ほんのつかの間の醍醐味なのでしょうか。

それにしても春が待ちどうしいですね、上越市は、おかげさまで

今日も晴れのお天気のようです。

 

新潟県では、蔓延防止条例ですか この6日まで発令されていますが近くの酒房

でもかなりの間お休みされていますが、これで解除になることを願って、そして

同時にお店の方や近所の顔なじみの皆さんともお会いしたいと、心待ちに待って

いる毎日です。

 

世界ではいろいろ大変なことが起こっていますが、雪解けとともに、世界中に

若葉の芽生えるような美しく明るい希望の春が来てくれることを

神様におすがりして祈願しているところです。

 

だいぶ日にちが立ち今日は、7月8日(金曜日)です。

昨日は七夕さまで、雨の心配もなく、無事に織姫と彦星さんが出会いをされたのではないかと思われますね。

七夕の前の梅雨明けは何十年ぶりなのだそうですね。

いよいよ上越祇園祭が何年かぶりに開催されるそうで、楽しみですね。

高田では大民謡流しがなく直江津では踊られるそうですね。

特に直江津の皆さんは、笛や太鼓の練習をされたり、飾り屋台の準備をされたり

町中が同じ気持ちになり祭りをされる喜びで、いっぱいなのではないかと他事ながら

大いに想像しているところです。

一生のうちで。そういう理屈無しに、わくわくされる出来事がおありであると

いうことは、なんと幸せなことと思われますね。

大人の方々は、さぞかし、おいしいお酒に酔いしれるのでしようね。

小生としては羨ましい限りです。

お天気に恵まれるといいですね。

 

令和四年7月27日

AM10時半過ぎに、直江津祇園のにおいをかぎたくなって、出かけてきました。

昨夜は5000発の花火が夜空に打ち上げられたそうで、またしても直江津の方々の

祭りに対しての心意気を感じました。

メイン通りには御祭禮の提灯が飾られていて祭りの雰囲気が醸し出されていました。

一番見たかった飾り屋台の姿が、見受けられなくて残念でしたが、これもコロナの

影響なのでしょうか。

お洗米の時には活躍されるのでしょうね。

 

7月28日

上越タイムスに屋台の巡行の様子が掲載されていました。

大変に失礼しました。

ちょうど時間の折り合いが悪かったのでしょうか。

 

ついでに高田城址公園に寄ってきました。

数多くの蓮の開花が早く心配しましたが、相変わらず北堀と南堀の花園が見事で

西堀もそこそこ咲き乱れていました。

多くはピンク色の花ですが、ほんのまれに白色の花も咲いていました。

早咲きの心配もないようで胸をなで下ろしています。

帰りに某スーパーへ寄りましたら5倍デーで、やっとのことで車を停めて買い物をし

レジでも散々待たされ、12時過ぎに帰宅しました。