小池至夫水彩画(通称ガッシュ)の世界

私、小池至夫(こいけのりお)が描いた水彩画を紹介しています。

上越タイムス新聞に掲載される

 

R5・3・2 地元紙の上越タイムス新聞に、小生の絵画の作品とコメントが、掲載されました。

 

私の名前はみなさんご存じだと思いますが小池至夫(こいけのりお)と読みます、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

1月に第1回「自由画廊 私の作品」のコーナーが新設され、その日のうちに投稿させていただきました。

「赤倉 冬初めの雪 枯野にも」という題名ですが、冬初めに降った雪の風情と普段見向きもされないであろう枯野原を、私の主観ですが美しいと感じた枯野原を、ぜひとも皆様に鑑賞していただきたい一心で応募しました。

そして2月中旬過ぎごろに採用の朗報の連絡をいただきました。

 

そして本日、大変光栄でうれしい日を、むかわさせて頂きました。

 

このコーナーの第二回目の作品になりましたようです。

 

画面の右と一番上は、新聞を切りぬき、日付とタイムス紙を、そして上部は私の投稿の写真とコメントを、下には絵画の写真を組み合わせて、一つの画面にしてみました。

というのは新聞の絵画の写真が、おぼろに見えたものですから、再度写真を付け加えさせていただきました。

同じ写真で投稿しましたのですが、このくらいに鮮明に映っていれば皆様にはっきり伝わったのかなあと少し心残りですが、でも掲載していただいただけでも幸せだったなあと思っています。

 

山の中腹の赤い屋根の建物が赤倉観光ホテルです、歴史的建造物でもあり、いつ見ても素敵ですね。

 

この画面の裾の方の紅葉のあとの朽ちそうな木の葉の哀愁や、白い雪との対比の美しさなども魅力ではないかと思っているところです。

 

早朝から早速妻に報告して、喜んでもらい、そして、今日は上越市の趣味の会の「将棋の日」でしたので新聞をコピーして皆さんに披露させていただきました。

それを知った趣味の会の人が、この春日山荘で、早速、新聞を、ご覧になられたとの報告を受けました。

そして本日は将棋の団体の大会日でして八クラスぐらいの中で小生がグループ長を務めたDクラスがきしくも優勝させていただきまして二重の喜びでした。

 

そして戻ってからこのブログをつづっています。

ただ今PM 4時半になるところです。

 

早速知人より「新聞見たよ、大したもんだね」との連絡が、いやこちらの方で投稿したのですと、お答えさせていただきました。

でも新聞に載るということは頑張っていることなので喜ばしいことじゃないのとのことでした。

いつも気に留めていてくださいまして、そしてありがたい、ご一報までいただきまして

感謝申し上げています、ありがとうございました。

 

この作品はこのブログの「思い出シリーズ」で先日掲載された絵画です。

冬のさなかにふさわしいのではないかと思ったものですから、この作品を投稿してみました。

詳しく関心のあるお方は、どうぞ、ご覧になられてください。

 

少しはしゃぎすぎたでしょうか、でも、何か事を起こしての掲載と違いますので喜んでいる次第です。

 

上越タイムス社さんには、アマチュアの作品の発表の場を作っていただきまして感謝申し上げます、どうか末永くこのコーナーを存続していただきたいと願っているところです。

そして読者の皆様に少しの、うるおいでも感じて頂けたなら作品の作者もこんな喜びはないのではと思っています。

 

後で書き加えたのですが日にちが前後して申し訳ないですが 3月4日 今日も、大変に喜ばなければいけない出来事がありました。

妻が聞いてきまして知人の母娘さんが、小生の作品が掲載されている新聞をご覧になられて、素晴らしいとお褒めの言葉をいただいたとのことでした。

ありがたいお言葉で感謝しかありません、ありがとうございました。

 

今日は3月3日 ひな祭りの日を迎えました。

だいぶ気温も上がり、降る雪も何か「なごり雪」みたいになり、うれしいやら寂しいやら人間は勝手なものですね。

 

やがて学生さんにとっては卒業式のシーズンになってきましたね。

学び舎や恩師や学友との別れ、そして故郷を後にされる人や、いろいろ希望に満ちた未来に向かっての旅立ちを迎えられるのでしょうね。

卒業式といえば、歌は「仰げば尊いし」でしたね。

♪ あおげばとうとし わが師の恩

  教の庭には はやいくとせ  ♪

仰げば尊しの意味は【仰ぎ見るほど尊いもの】ということだそうです。

この歌は古いですか、でも私たちにとっては一番、馴染みがあり思い出深い曲でしたね。

この歌を口ずさむたびに良き青春時代が、純な、まっさらな、恩師のお顔が、そして感謝の気持ちがよみがえってくるのです。

恩師の皆様には、頭をいくら下げても 々 ありがたく感謝の気持ちでいっぱいです。

お世話になりました。

 

ちなみにわたくしは、以前にも述べさせていただきましたが、50年以上前の昭和43年3月の終わりごろ、高田ではまだ雪の残る中、高田駅から就職のために上野駅に降り立ったのでした。

親兄弟のお世話になりまして高校まで出させていただきました。

つい先だってのことのように思い出しているところです。

月日の立つのは本当に早いものですね。

光陰矢の如しですか。

ないものねだりですが、血気盛んで怖いもの知らずで希望に満ちた、あの頃に戻れたら、そうそう初任給額面で二万一千円で会社へ食費として六千円そして早速、現金書留封筒で三千円を親元へ、そして毎月仕送りをしていましたっけ、人様より一日でも早く仕事を覚えようと歯を食いしばり頑張って、そして自分の食いぶちは自分でと、そして30歳で一級建築士を30代、40代で積算士、一級施工管理技士を、それぞれ取得しましたり、遠い日のことでした。

 

3月6日(月曜日) かなり春めいてきましたが今日は「啓蟄」の日ですね。

土中で冬ごもりしていた生き物たちが、目覚める頃の事を言うのだそうです。

同じくテレビにて「桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿」さくらきるばか、うめきらぬばか

の話を聞きました。

梅は古い枝が、すぐ枯れてしまうので積極的に剪定し新しい枝を伸ばした方がよいので

切った方がよいのに切らない選択はないということだそうです。

切らないと樹形が、崩れるとも言います。

桜は切ると切り口から腐りやすいので剪定しない方がよいので、切ってはいけないということだそうです。

 

まことしやかに」 3月7日 テレビで林修さんが、この言葉を使われていました。

本当ではない、あるいは本当かどうかわからないのに、いかにも本当のことのように感じる様。

真実と見せかけている様。

だそうでした。

できれば使っていただきたくない言葉ですかねえ。

 

3月8日 妻の知人から妻が聞いてきました。

「新聞見たよ、あれは赤倉だよね」とのお言葉だったとのことでした。

 

3月9日 ご近所の奥さんに朝方お会いしましたら「新聞拝見しました、素晴らしかったですね、実物を見てみたいわ」との、お褒めの言葉をいただきました。